見出し画像

【FM店主日記Day65】奥田民生の生きる理由

尊敬する人は誰か、と聞かれると奥田民生とリリー・フランキーと答えることが多い。

二人とも自然体で、周りにどう思われてようが関係ない、おれはおれでマイペースで生きている、みたいに思われていると思うのだけれど、実は周りの空気にとても敏感で、周りに機敏に反応しながらもどのシチュエーションでも同じような立ち位置に収まることがうまいだけなのではないかと思う。そして、二人とも自分よりもおかしな人を身の回りに置くことで自分をできるだけまともに見せる、ということもちゃんと計算に入れてるような気がする。

ま、あくまで気がするだけなので何の根拠もないのだけど。

人は質問されるとできるだけ立派なことを言おうとしてしまうけど、この二人はそれを逆手にとってできるだけ大したことなさそうなことを言う、というのも共通している気がする。そして、他者を頼るところは頼るけど、だからといって他者にそんなに期待してないってところも似ている気がする。

人は変えられないし、人に何を言ったところで変わらない。名言を連発したところでそれを聞いて感動した人が何かそれによって新しいことを始めるなんてことはほとんどない。名言に感動した人は次の瞬間には、また別の人の名言みたいなものに感動して、その次の瞬間にはまた別の名言に感動していることだろうし、要するに感動したいだけの人な可能性が極めて高い。感動したいだけの人を感動させたところであまり意味もないし、その人にとっても星の数ほどある感動の一つでしかない。

昔よく行っていた六本木のライブハウスで配られていたライブスケジュールが書かれたフライヤーに毎月リリー・フランキーが書いたイラストが載っていた。たしかまだ東京タワーの本とかが発表される前だった。そのイラストに一言そえられているのだけど、その一言がいつも鋭くてそれを見るのが楽しみだった。

ある時のイラストにこんな内容のコメントが書かれていた。「悪い女とは、顔が悪い女でも性格が悪い女でもない。悪い女とは、運が悪い女である。」と。その通りなような気がしたけど、そんなことは不特定多数の人に向かってとても言えたものではない、とも思った。

短い言葉で真実を切り出すためには、他の人が熱くなっている時に熱くならないことが重要であり、少し遠目から他人事として傍観する距離感が必要だ。

まあ、いずれにしても、尊敬する人は誰か、なんて滅多に聞かれるものでもないけれど、聞かれた時には、伊藤博文とか夏目漱石とか宮崎駿、あるいはスティーブ・ジョブズみたいな何の参考にもならなそうなそれっぽい答えよりも、まだ生きていて自分よりも一回りかそのくらい上の人をあげるのが会話のネタとしては良いのでは、と思うのだ。

フェルマータ店主 KAORU

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?