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【FM店主日記Day42】我慢する馬鹿と我慢しない馬鹿

世の中には結構「頭が良い」部類の人たちがいる。

僕は残念ながら多くのことが話を聞いただけではピンと来ないので、自分の目で見たり、自分の耳で聞いたり、自分の足で歩いたり、自分の手で触ったりしない限りたいていのことが理解できない。しかも一度では分からないことの方が多い。

しかし、この「頭が良い」部類の人たちはどうもそうではなくて、ちょっと文章を読んだり、動画を見たりしただけで、多くのことが理解できるらしい。この人たちはきっと「地球の歩き方」を精読することで、その土地を訪れた人と同等、あるいはそれ以上の知識を習得することができるのだ。

僕は自分の体験が伴わない話をすることが好きではないし、そもそも自分に何の権利があってそんな話を人様にするのか、という部分が疑問なので、又聞きした話とか、ソースがはっきりしないものに関しては言及しないようにしているし、できるだけ意見なんか持たないようなスタンスでいるのだけど、この「頭の良い」部類の人たちは、本を読んだり、動画を見たりして得た情報を、あたかも自分で獲得した知識かのように人に説明して回ったりすることもできるようだ。すごいスキルだなぁ、とちょっとだけ羨ましく思う部分もあるし、学生時代の頃とか、こういうタイプのそれなりに勉強ができて、ことあるごとにリーダーシップとかを発揮し、それなりに弁の立つ人たちが結構モテてしまったりするし、会社生活においても、こういう人たちがサクサクと出世してしまったりする。

僕はこれでも書いたりすることで収入を得たりすることもあるし、情報を受け取る側というよりも発信する側でいることが多いので、一つずつの情報がどこからやってきたのか、それは信頼に値するのか、自分がそれを他の人に向けて発信した時に問題なり得る要素が少しでもあるか、などのことを常に気にしているし、自分が発信してしまった言葉が断片的に切り取られて炎上する可能性があることもそれなりに心得ているので、情報を精査する、という作業はほぼ無意識にやっている。だから、本でちょっと読んだ内容をそのまま誰かにあたかも自分の考えかのように伝えたりするなんていう無責任なことはできないし、やりたいとも思わない。地球の歩き方なんてそもそもめったに読まないし、読むとしても、帰りの飛行機とかでぱらぱらとページをめくっては、「へえ、あそこのお寺ってそんなすごいところだったんだ」とか「この場所にはこんな歴史があったのか」みたいなことを後付けで知ることの方が多いし、いつも読んでからいけばよかったと後悔するのだけど、正直、行く前に読んだところで全く頭に入ってこないので、結局のところ、自分の頭のレベルでは体験を伴わないと理解も共感もできない、というのが現実らしい。

「頭の良い」部類の人たちにはこれからも頑張って世の中の秩序を保ちつつ、良い方向に牽引していってもらいたいし、リーダーシップを多いに発揮して明るい未来の構築に尽力してもらいたいし、世の中は「頭の良い」部類の人たちを多いに必要としている。彼らはどんなシチュエーションでもスマートに生きていくだろうけど、僕みたいなタイプは結局地を這うような生き方で、知り得たことの一つずつを自分なりに咀嚼して少しずつ消化していくしかできないし、まぁ、それはそれで良いと思っていたりする。若い頃は色々と思うこともあったけれど、最近ではそれぞれの人が得意なこととか好きなことだけやってれば世界はちゃんと機能すると思っているし、むしろ嫌いなことを我慢して続けている人たちが我慢し続けているせいでそれをやりたい人からその役割を奪い取ってしまっているのではないかと考えるようになった。

なので、むしろ嫌いなことを我慢して続けている人の方が世界にとって有害なのではないかと最近の僕は考えている。我慢が美徳な時代は過ぎ去った。頭が良い人だけが得をする時代も過ぎ去った。効率とか要領とかそんなものはどうでもいい。記憶力で語るな、肌感で語れ。これからは何かに夢中になれる馬鹿が輝く時代だ。知らんけど。

フェルマータ店主 KAORU



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