【FM店主日記Day62】ふえるわかめの神様のありがたいお教え
やおよろずの神、と言われるくらい世の中には実に様々な神様がいる。何もかもが神様だ、という考え方は尊くもあり、時にめちゃくちゃ曖昧でもある。
特に日本の神道的考えは、某キリスト教やら某ユダヤ教やら某イスラム教のような一神教を否定することは全くなく、彼らが実は同じ神様を信じているにも関わらず何千年も戦い続けていることに対して意見することもなく、まあ、なんなら戦争の神とかもいるだろうし、そういうこともあんじゃね?みたいなノリなのかもしれない。
今日は八百万いるといわれる神の一人である、ふえるわかめの神についてお話ししたい。ご存知の通り、ふえるわかめの神はふえるわかめ、と呼ばれる乾燥わかめに水分が加えられた時に乾燥わかめを普通のわかめに戻す作業を管轄してくださっているありがたい神様であり、この神様なくしては日本国においてこれほどわかめが流通することもなく、今では海の近くだけでなく山間部などにおいてもわかめはごく一般的な味噌汁の具とされており、常日頃から非常に親しまれているごくポピュラーな神である。ありがたやありがたや。
しかし、である。このふえるわかめの神は少々ひねくれていらっしゃる、というか、少し扱い辛い側面があり、特に一人分など、少量の味噌汁を作る場合、ちょうどよい量、つまり適量を入れることがほぼほぼ不可能である、ということが知られている。これは、投入されたふえるわかめの量と、実際にふえたあとのわかめの量をコントロールできるのはこのふえるわかめの神様のみであり、これに関してはふえるわかめの神様に一存するしかなく、全てはふえるわかめの神様の仰せの通りにしかふえるわかめの量はふえることができないのである。早い話が、ふえるわかめの量がどれだけ増えるのかというのはもはや博打であり神頼みの行為そのものなのだ。
一人分の味噌汁に投入すべきふえるわかめの量を人類は長らく研究してきたが、ふえるわかめの量の投入量をいかに綿密に制御しても、実に68%の場合において、ふえるわかめの量はToo muchの量、つまり増えすぎてしまいその味噌汁はほぼわかめに支配されている状態となることがわかっており、31%の場合においてはToo littleの量、つまり増えが不十分であり、その味噌汁の汁分に対して物足りないと感じる量しかわかめは存在せず、ふえるわかめの増え率が不足している状態になることがわかっている。つまり、味噌汁を食べるものの視点からこれを観測すると、実に99%の場合において、ふえるわかめの量は多すぎるか少なすぎるからとどちらかとなることを、ニューヨークに本拠地を構える国際ふえるわかめ研究所も正式に認め、その研究結果を学会で発表している。我々人類が適量のふえるわかめを投入することができる確率はわずかに1%ほどであり、毎日一度ふえるわかめを用いた味噌汁を食べていた場合でも年に3-4回ほどしか適量のわかめが入った味噌汁を食べることはできないのである。
人生にはどう頑張っても自分の能力だけではとても制御できないことがあり、それを甘んじて受け入れることこそが人生において大切な考え方であり、「足るを知る」こそが幸せの秘訣であり、求めすぎても、与えられたものを拒んでも仕方がないのである、とふえるわかめの神様は我々に教えてくれる。神様に序列はないと言うが、接する頻度はまちまちである。頻繁に接することがあるふえるわかめの神様に失礼なきよう、今日も私はふえるわかめが増えすぎて味噌の存在を凌駕してしまった味噌汁を啜るのであった。
10月19日はふえるわかめの日です。ふえるわかめの神様に感謝しましょう。
フェルマータ店主 KAORU