いつかなんて言ってくれるな
たとえば、私はよく演劇をしてるので
(いまも公演間近だし)
岩井さんの出演する舞台、
いつか観に行きたいです
と言っていただくことがあって、
興味を持ったり気にかけてくださって嬉しい。もしその大半が実現されず流れていくとしても、いつか、とコメントしてくれたその瞬間の気持ちが本当のときは伝わるので、ありがたく嬉しいです。
それでも思う。舞台のことにはかぎらず、エゴでわがまま勝手極まりない考えではあるけどやっぱり思う。
「いつか」なんて未定で頼りない言葉はまったくすきじゃない。そんなのはもっと宇宙規模に大きくて不確かな未来なんかに対して、ロマンチックに使ってほしい!ロマンチックに!いつか!
万が一があればラッキーの、貸したきり返ってはこないマンガのような言葉だとおもう。
こんなふうに表すと性格がわるいということになるかもしれないけど(やだならないで)、
いつかなんて言ってくれるな。
とはいえ自分でも本心かつ軽はずみに、
今度いきたい!行こう!見たい!とか言ってしまったりもするんだけど。「今度」と「いつか」っていうのもまた違うとおもう。
できない約束ばっかり結んで生きてくんでしょうか。結びっぱなしで忘れちゃうのはいやなので、なるべく嘘でなく、限りある時間の中でやりたいことはなるべくやりたい。
そう簡単にはいつかにしちゃわず、食べたいと思ったものはわざわざ出かけて食べてみたい。友達と休日を過ごしたい。夜は恋人にあげたい。あつ森やりたい、映画みたい。あれ?
この仕事終わったらこれやりたい、
みたいなことを常に思っている気がする。
みんなもそう?
いつかといわず、目先の楽しみ。
日々の活力として、たとえば私が何か与えられたら嬉しい。それは案外、不要不急で無かったりすることも、あるかもしれない。
そう思って新しく演劇しながらLINELIVEしたり、いろんなことをやってみた一年でした。
いまは、いつか、マスクをつけずに無意識のまま密になっていた暮らしに戻れる日を。
うれしいって抱き合ったり、食べ物を分け合ったり、汗まみれで声を枯らしたりライブをみたり。そういう時間のことをいつかと言わざるをえない。元気でいてね、いつか会おうね。
最後に、わたしが叶えてよかった
「いつか」だったことを紹介します。
この目で本物のラフレシアを見ること!
小学生の頃、父に買ってもらった図鑑
「21世紀こども百科」の《花》のページに乗っていた、世界でいちばん大きな花。
(またはくさタイプのポケモン)
その図鑑で見た写真が忘れられなくて、思い切って見に行ってみた。マレーシア、ボルネオ島の熱帯雨林。ラフレシアは寄生で発生する花で、咲くまでに2年、咲いたら3日で枯れるという儚さ。行ってみるまで開花を見られるかわからないんだけど
ラッキーなことに、
みれました!
自分で足を運んで見れたものって鮮烈。
いきなりマレーシアの写真が出ましたが(笑)
この話の続きもまた、いつか。