「ハイバイと岩井をさかのぼる」 第3回

俳優の選び方、初演「ヒッキー・カンクーントルネード 」の思い出

(構成・文:上條桂子さん)

――そこら辺の配役だったり、その後に男性の役柄を女性が演じてみたりっていうのが出てくるんですけど、俳優を見る目、みたいなものも面白いなって思っていて。

岩井 でも僕は、ずっとブレずに、自分が思う「いい俳優」って、引きこもりから外に出たときには完全にでき上がってたと思いますね。

――じゃあもう、変わってないというか。

岩井 変わってないと思いますね。多少の変化はあるかもしれないけど、そこはすっごい揺るがないものなのかもしれないです。自分が書く台本とかに関しては、どういうのが書けるだろうとか、どういうのがいいんだろう、お客さんにとってどういう台本がいいんだろうみたいなことを考えてブレたことも山ほどあるけど、俳優に関してはないかもしれないですね。

――それは、前に別のインタビューで答えてらっしゃったように、集団のなかにいてもちょっと生きづらそうなタイプってことになりますか。

岩井 ああ、そういうのはほぼ関係ないですね。そういうことじゃなくて、台本2~3ページのやりとりとかやらせたら、ほぼ結論が出るっていうか。でも最近だともうちょっと僕も知恵がついてきたというか、本読み一発勝負だとすごいの出せる人って、ちょいちょいいるんですよ。さっきの「俳優してみませんか講座」のおばちゃんじゃないけど。でも、稽古重ねていくとそれが擦り切れていく人っていうのもかなりいるんですよ。だから稽古してみないとわからないっていうのは、忘れちゃいけないですね。だからオーディションがあるときは、一回見ておしまいじゃなくて、こっちがオーダーを出して、それに対してどう変化するかっていうのを見て、ちゃんと自覚的にやってるのはこの辺で、さっきすごいと思ったこの部分は自覚的じゃないとか、本人ではコントロールできない部分なんだなっていうことが区分されるんで。そうやって実力をはかるのは時間がかかることだけど、でもすごく明確にはなるやり方ですね。

――稽古っていうのは、独自のスタイルというか、進めていき方って、たぶん変わっていってる部分もあるとは思うんですけど。俳優を1~2ヶ月でつくっていくわけじゃないですか。

岩井 本読みする。台本持ってる状態で立つ。またそれ繰り返しているうちにみんなだんだん台詞は覚えていくから。っていう流れ自体はあまり昔から変わらないです。ただ、ここに、三年は、実際に俳優が台本を離して稽古するまでの時間はある程度持つようになりました。むかしはもう、台本を書いた時点で全部が頭のなかで決定していたんで、それにどんどん嵌めていくみたいな稽古の仕方ですね。俳優にあまり自由度がない。

――アドリブとかではなくて、基本的に脚本通りにやるっていう。

岩井 そうですね。まあでも、「ここでこの台詞を入れた方がいいな」って思ったら、それは足していくんだけど、アドリブっていうのではないですね。ただ、その人にとってのナチュラルなしゃべり方みたいなものがあるけど、僕が書いた語尾とは合わないみたいなときは、「台詞と同じ内容のことをあなたが言うとしたらどういう風に言いますか?」っていうので、っていうのはけっこう最初のうちからやってたかもしれないです。

「ヒッキー・カンクーントルネード 」の稽古と本番

――それは稽古のなかで、話し合いのなかで変わっていくっていう感じですよね。それは演じる俳優によって変わるかもしれないし。

岩井 稽古の仕方はもしかたら、大学のときにみてた演出家のやり方っていうので、自分もそれでいいやっていう風になってたかもしれないですね、初期は。

――でもほら、そのあと岩松さんのをみて、ずっと繰り返しやって、俳優の意図をなくしていくっていうのにちょっと違和感っていうのが生まれたわけですよね。

岩井 それはありましたね。それは共有できることですよね。

――俳優の持ってるものっていうのを、もっと信じてあげるみたいなことなんでしょうか。

岩井 それは段々考えるようになりましたね。

――でも俳優が、「岩井さん、もうちょっとこの方がいいんじゃないですか」みたいなこととか言ってきたりするわけですよね。

岩井 あるはあるけど、すっごい少ない気がしますね。例えば「カンクーン」の出演者だと、チャン・リーメイくらいじゃないですかね。でもだいたい合ってましたね、言ってきたことは。そこで意見が食い違うって言うことはなくて、大学のときからそれは思ってたんですけど、稽古が2〜3週間くらい過ぎたら、その役のことって演出家よりも俳優の方が理解しているって思ってて。だってその役一つについて考えてる時間がぜんぜん違うから、そこから先はもう俳優の方がわかってるはず、みたいなところがあるから。「さっきはこう言ってたけど、そのあとの2~3言のやり取りだけでここまで変化しちゃうのに違和感がある」みたいなことを言われると、「ああなるほどね」って、それによって変更することもあるし、でも、全体の流れ的にはこっちの方が優先って場合はそっちの方をとったりみたいなのは、比較的話し合いで決めていったような気がしますね。向こうが言ってることが理解できなくて、それをはねのける、みたいなことでは全然なかったですね。

――稽古のときの空気感としては、割と和やかというか。

岩井 「カンクーン」初演のときはまだ和やか。だけどここから和やかじゃなくなりますね。

――『ヒッキー・カンクーントルネード』やって。吉祥寺ですよね。

岩井 はい、吉祥寺。50人くらいのキャパのところでやって。観た人がめちゃくちゃ面白いって言ってくれて。たぶんこの時が、50、50、50だから150人……4回か3回公演だったんだけど、次でたぶん倍か3倍くらいになるんですよね。お客さんの数がボーンっと増えて。口コミで広がって。これの本番中か稽古中に、この「登美男」と「綾」っていう兄妹がすっごい好きになって、金子と西村理沙がやった。で、続編を書くんですよ。『ヒッキー・エンゲキリョウホウ』。次の月ですね。「カンクーン」の稽古中に劇場を取ってます。

――時系列に並べてみようと思ったら、最初の方はものすごいペースでやってるなと思って。

岩井 最初の年は、そうですよね。だからいま後輩にあたる池田亮(劇団「ゆうめい」主宰)っていうのが一生懸命やってるんですけど、あいつも年4以上のペースでやってるんですよね。最初のうちはそんなもんなんだなって思って。あとやっぱ、最初のうちってやっぱ軽いんですよね。僕から全俳優に直接声かけてるし、稽古場も僕が取るし。だんだん関わってくる人が大きくなって、舞台やキャパが大きくなってくると、どんどんかかる時間も長くなっていって。それがやっぱり最近僕がいろいろ脱ぎ捨てたくなった理由でもあるのかなって。

――こういうのやりたいってなって、じゃあみんなやろうって、パッとやる、みたいな。

岩井 それは一番いいですよ、やっぱり。

――アトリエヘリコプターの工場見学会(前田司郎主宰の劇団「五反田団」の稽古場にて毎年正月に開催される、五反田団周辺の劇団が共作する芝居)があんなに面白い理由みたいなのも(笑)。

岩井 あれはノリのみですからね。だけど前田(司郎)くんにしたって僕にしたって、じゃあもうちょっと大きいところでやるって言ったらわかんないです。前田くんはもうそういうのあんまりやらないかもしれないけど。パルコでやるとか、もっと大きな劇場でやるみたいなことになったら、「その客席を埋められるだけの芸能人を」みたいな話になって、平気で2年先とかになっちゃいますもんね。その頃やりたいかわかんないです、みたいな感じになってきちゃうから。この頃はほんと、俳優に電話したらすぐ「出るよ〜」ってくらい僕も含めてみんな暇だったんで。

――スケジュール埋まってます、みたいなことではないですもんね。観に来ているお客さんとしては、割と若い人が多かったんですね。

岩井 最初は身内ですよね。それぞれの人が友だち呼んでくれてとか。あと、俳優の志賀廣太郎さんとかもこのときもう観に来てくれてて。あとは後々僕がアニメの脚本を書くことになるんですけど、以前ポケモンの劇場版をずっと書いてた園田英樹さんっていう人もこのときに来てて。それは西村が、僕が行ってた大学の桐朋とは別の、西新宿にある東放っていう芸能人養成所みたいな学校があるんですけど、そこの先生を園田さんがやってて。そこの生徒だったんですよね。16歳だけどこれに出て、園田さんがみて、「すごい面白いから一緒に仕事やらない?」って誘ってもらって。その翌年くらいからアニメの脚本を書き始めてるんですよ。

岩松了、平田オリザからの影響

――脚本を書くにあたっての勉強って。

岩井 一切してないですね。

――それまで読んでたっていうのは大きんですかね。

岩井 いや、でも僕……10代ですよ、本読んでたの。20歳過ぎてからほぼ本読んでない。まじで読書量ないですからね。

――もともと読むのは好きではあった?

岩井 いや、でも……いまの読書の仕方とはちがうっていうか、10代のときとかってちょっとかっこいいから読んどかないとみたいな。村上龍と村上春樹読んどかないと。

――意味わかんないけどとりあえず読まなきゃ、みたいな。

岩井 そうそうそう。でも勝手に自分で分析すると、自分の戯曲って、本読んでないから書ける戯曲だなっていう気はしますね。やっぱりなんか、「いわゆる戯曲」っていう形式にまとめようとする、たとえば戯曲を山ほど読んでると、言葉の使われ方にもっと引っ張られると思うけど、僕はやっぱり全然そうじゃなくて、日常の方から……

――会話から広げていく、じゃないけど。

岩井 日常ですごい面白いものを、舞台上に伸ばしていく、みたいなつくり方をしてたから。そこでやっぱり、このやり取りじゃだめなのかな、戯曲としては、みたいな裁きが入るわけじゃないですか。山ほど戯曲読んでたり、演劇観てたりすると。

――観すぎると書けなくなるというような。

岩井 自分の外に正義ができちゃうと、やっぱり書けなくなっちゃうから。たぶんそれはそれでよかったんだろうなって気がします。

――それでパッと出したものが、評価を得て、ファンが増えてしまった。

岩井 岩松さんの舞台に関わってから『ヒッキー・カンクーントルネード』を上演する間に、オリザさんの『東京ノート』も観てるんですよね。それでさらに深度が深まるというか。
岩松さんでいわゆる「現実の機微」というか、あとは「人間が興奮したときに使っていくワードが変わっていく」みたいなこととか。それをあくまで日常の空気の流れのなかでやってくっていうので。だから岩松作品の登場人物は激昂したりももちろんするわけですよね。その何か月か後に、それも2002年だったと思うんだけど、青年団を始めて観て。『東京ノート』を、現代美術館でやってたんですよ。本当に美術館のロビーで、美術館のロビーが舞台となる演劇をするっていう。それはもう、始まって何分くらいでかはわからないけど、超号泣したんですよね。きっかけは台詞でさえなかったんですけど。冒頭で美術館のロビーに一人、座って本読んでる人がいて、やがてそこにまた別の人が入ってきて、なんとなく辺りを見回して。特にお互い意識しているそぶりもないわけですよね。どこ座ろうっかなってあとで来た人がちょっと伺って、結局もともと本読んでた人から一番遠いところに座る。そして、その3秒後くらいにもともと座ってた人が座り直すんですよ。ほんの少しだけ、居心地の悪さを感じたのか、小さな動きですけど、座り直した。もうほんっとに細かい話なんだけど、それ観て僕は超泣いて。
岩松さんのは台詞のやり取りで、「あの人がしゃべったことに相手はリアクションしなかったけど、リアクションしないことや何も返さないことがゼロなわけではなくて、今ものすごくいろんなことを感じてるからこそ、見え方としてはゼロの可能性がある」と。それに対して、平田オリザという人は、もっと顕微鏡サイズの細かいことをやろうとしている、と。だからある空間に人がひとりいて、そこにひとり別の人が入ってきただけで、座っていた人にとってその空間の意味が大きく変わる、みたいなこと。なんなのこれ? 演劇? もはや新しい人間の研究方法なんじゃないか?みたいな。このサイズのことを出し物にしている人がいるんだと思って、度肝抜かれて。
で、当時から感激するとすぐその作り手に会いに楽屋に行ってたりとかしてたんですけど、そのあとけっこうすぐにオリザさんに会いに行ったんですよ。で、その話したら、「まだ台本始まってないじゃん」って笑われたんですけど。でもやっぱ演出としてはそれはちゃんとあって。衝撃でしたね。そんなミクロなところからスタートして、戯曲の世界観としては最終的に未来の日本の話を描いているけど、現在の日本の話でもあるし、っていうのが……うーん。それで、オリザさんの場合はだれも激昂とかはしないわけですよね。

――淡々としゃべってる、みたいな。

岩井 それも岩松さんのさらに先というか、表立って人間の感情なんてわからないよっていうか。ただ、「わたしたちはその人間のことを想像することしかできないけど、想像することまではできる」っていうところに希望を見出そうとするというか。そこにも僕はすごく感動したから、なるはやでこの劇団には関わろうという感じでしたね、その当時は。そこら辺と並行している感じですよね。外にすごい人たちがいるなって感じで見て回ってて、『ヒッキー・カンクーントルネード』やって、『ヒッキー・エンゲキリョウホウ』やって。『ヒッキー・エンゲキリョウホウ』はちょっと興奮して書きすぎて、コケて。


(つづく)

(文字起こし 碇雪恵さん)

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