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ヒッキーコラム⑥ ●初の海外公演も、「ヒッキー」だった。  韓国語で「引きこもり」って?

「ヒッキー・カンクーントルネード」は、韓国でも上演したことがある。

「なぜ韓国で、日本特有といわれている『引きこもり』の演劇を?と、思いつつも「でも、呼んでくれるならどこでもいい!」というスタンスで意気揚々と向かったわけですが(同じものを面白がってくれる人を探しに行く、という動機でしたから。)、当然、韓国での上演なので、台本を韓国語に翻訳しなければいけないわけです。

そこでまずタイトルの「ヒッキー・カンクーントルネード」をどう訳すか、という話になり、ソッコーでつまずいた。

「ヒッキー」は当然「引きこもり」の愛称ですが、そもそも「ヒッキー」は、「引きこもり」の音から構成されちゃってるので、韓国語の「引きこもり」がどういう音なのかわからないと、タイトルさえ訳せない。

そこで「韓国では引きこもりのことをなんていうんですか?」と聞くと、「韓国には、『引きこもり』に当たる言葉は、ないです」とのこと。これはもう10年かそれ以上昔の話で、現在は引きこもりに当たる言葉は当然あるようですが、当時はまだなかったようです。

それはびっくり。「え、じゃあ、例えば家で、子供が学校にも行かず、働きもせずに何年もいたら、その親はどうするんですか?」と聞くと、

「そういう場合は、親はそのことを外に漏らさないようにします」

とのこと。

オウノー!結構まずいじゃん!一番、膿むパターン!

そこから韓国の、儒教から始まるなかなかに強烈な縦社会のことや、受験、就職など、「社会人」と言われるハードルが高いことなどを知ることになる。

別の作品でお呼ばれした時も、公演後の打ち上げ会場に行くと、「作家としての岩井」が来るまで、みなさん料理にも手をつけずに、若い人は立ってたりとかしてて。なかなかの文化の違いだなあと思ったり。

日本と同じかそれ以上に「建前主義」ということも。どこの国も同じような感じなのね~、と思いながらも、引きこもりに関しては、もしかしたら日本の方が表立ってみんなが話している分だけ、健康なのかも、ととか感じつつ。

と同時に、日本の2chを中心としたネット文化のようなものが、世の中のなかなか表に出て話になりづらいことも誰かがネタとして、いい意味で軽率に話題として出してしまうことで、話づらかったことがやがてはカジュアルに話せるようになっていくことを助けているんだなと思った。

引きこもりという言葉も、登場した頃はネガティブな面だけが取り上げられていた。治らない病気、犯罪者予備軍、危険人物、キモい。などなど。

誰もが「自分は違う」という文脈で使って、特に「社会不適合者」「犯罪者予備軍」というニュアンスが強かったと思う。だけど、そこから時間が経って、やがて「ヒッキー」という愛称が付いたり「自宅警備」というシニカルなニュアンスがついたくらいから、「おれ、去年3ヶ月くらい自宅警備してたわ」と、当事者として話す者が現れ始める。

そうなると雪崩式に、「引きこもり」という概念自体が、誰か特定の人を指すのではなく、「誰にもで訪れる一時的なキャラクター、または状態」という受け取られ方が浸透していく。

「話しづらかったことが、いくつかの愛称がつくだけで話題にしやすく」なったり、それが続くことで、「他人事だと思っていたけど、意外と自分もそうかも?」と感じるきっかけになったりと、時によって、言葉によって、とんでもない傷を生み出してしまう2chを初めとしたネット上の会話によって、救われる可能性のある多くの精神というものがあるということも、この頃に意識したように思う。

それもこれも、「ヒッキー」を韓国で上演させてもらった経験から得た感覚だ。

そして「ヒッキー・カンクーントルネード」韓国上演の数年後、続編となる「ヒッキー・ソトニデテミターノ」も韓国で上演された。これはハイバイでの公演ではなく、台本だけが海を渡り、韓国人演出家、韓国人キャストで上演されたんだけど、印象に残ってるのは上演後のアフタートーク。

僕の「何か質問はありますか?」の問いかけにいち早く手を挙げた50代くらいの女性が、

「日本にはこんな病気の人がいるんですか?
 私たちの国にはこういう人はいません!」

と、まあまあ強い感じでおっしゃる。

「んん?」と驚いていると、間髪入れずに、その女性の隣に座っていた若い女性が、

「いますよ。韓国にも」と言い放った。

50代女性「いないですよ?」

若い女性「います。あなたたちが知らないだけです。」

そんな問答がしばし続いた。
これを目の前に僕は、翻訳家の方の言葉を思い出していた。

「もし家に引きこもりの人がいたら、
 親はそのことを外に漏らさないようにします。」

そう。そのことの弊害が、まさにこの50代女性の言葉に現れていた。

でも、それと同時に、若い女性の「当然」のように「引きこもりはいます」と大勢の人がいても言える空気がそこにはあった。実際、その場で他の観客からも「いるよ。引きこもりはいる。」との声がいくつも上がっていた。

どうやって解決していくのかは、日本でもわかっていないし、また別の問題が湧き上がったりで、てんやわんやだけど、どうか「話すこともはばかれる」という最悪な状態にはなって欲しくないなあと思う。

そのためにも、「カンクーン~」と「ソトニデテミターノ」は、これからも上演し続けていった方がいい、と思っている。

てことで、見にきて下さいませ!

※ちなみに、トップに貼ってある画像は、「ヒッキー・ソトニデテミターノ」の韓国版と日本版の、「40代の引きこもり、和夫」の写真である。笑
自室のゴミの山に入り込んで暮らしている引きこもりという、取材を元にした衝撃のキャラクター。日本では名優、古館寛治さんが演じた。

日本版©️引地信彦

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