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明日の日記

2024/9/19 お題『白紙』


以前私が使用していた日記帳には、一風変わった点が存在する。それは購入から二日立って気付いた異常性であり、きっかり朝の6時から8時にしか発生しない。その限られた時間帯にだけ、本来私が明日書くはずのページの裏側にインクで文章が浮き出てくるのだ。

内容は、その日私が何をするのか、どういった問題が舞い込むのかということを、やや不明瞭に書き記したものであり、実際にその予言が外れたことはなかった(とはいえ、後から見返して「こういうことだったのか」と得心が行く程度の予言であるが)。

私はそれを『明日の日記』と呼んでいる。

私は毎日、0:00時に欠かさず日記を付ける。明日が始まった瞬間に、昨日へと回されたものごとを書き残すのだ。この行為に対しては、なんら特別なことはないと自負している。

『明日の日記』について、より詳細に説明しよう。見た目は変哲のない、文房具屋に積んである市販のA4ノートである。浮き出た文字について。裏側のインクが透けて見えるものの、表に何か書かれた形跡はない。その文章は鏡文字になっていて、写真アプリの反転機能を使う必要がある。

このことから、私がその日の晩(正確には明日の深夜)に書いた日記の裏写りが、その日の朝にタイムスリップしているのではないかと推測したことがある。保存していた画像と見比べた結果、そうではないと分かった。言葉使いも内容も、私の日記と大きく異なっている。

よくよく考えれば、本来今夜に書く内容を先に知ることは、その日記と異なる内容を恣意的に書くことができるということで、タイムパラドックスを考慮すれば当然の仕様だった。

ある日のことだ。

そんな微妙に役に立たない『明日の日記』が、発生しない――次ページが完全に白紙である朝が訪れた。これは私をこれ以上なく不安な心地にさせた。

ここまで一ヶ月程度欠かさず発生していたものが、何かの気まぐれで途切れてしまうものだろうか?ちらりと本棚を一瞥すると、褪せて分厚くなったノートの束が見える。日記はもう3年も途切れたことがない。私はこの異常が起こらないという異常を、見に降りかかる危機の兆候であると判断した。

私は電話で断りを入れ、仕事を休んだ。どういった危険が迫っているのか分からないため、家から出ないことが最も安全だ。本当なら海外にでも逃げ出したい気分だったが、飛行機事故やそこへ向かうまでの交通事故を考え出せば不可能だった。

時計の音、外でなるクラクション、逆に布団を被った無音の全てが死を連想させた。

そうした緊張は私の精神と体力を確実に削っていき、気付けば私は体育座りのままに眠りに落ちていた。起きたのは明日の朝5時のことだった。

つまり、『明日の日記』が白紙であった理由はこんなにもくだらないことだ。私がその日の夜、日記を書けなかったということ。習慣の継続が、そこに盲点を生んでいた。

それ以来、私は日記を書いていない。『明日の日記』によるこの波乱が起きたのは、未来に対する確証に私が甘えていたことを意味する。健全な人間一般として生きるためには断ち切る必要があった。明日中毒である。

ただ、始末に困ったのは、私が日記恐怖症とでも言えるものになってしまったことだ。『明日の日記』のノートが普遍的なものであっために、どのような種類の日記帳に書き込んでも、朝にはなにかよからぬ予言が浮き出ているのではないか、という思い込みが抜けない。本当に浮き出ていた場合、また依存してしまうのではないか――そんな考えに囚われて筆が進まなくなってしまった。

とはいえ、日記を書くという習慣から抜け出したことは、私に少なからず爽快感をもたらした。今まで積み重ねてきた自己の人生の延長上に立つという責任や、過去より追いかけてくるしがらみの恐怖が徐々にはけていった。

思うに、私が明日をまっさらな明日として生きるためには、そこが白紙である必要があったのだろう。


おわり

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