残像日記 3/6
残像日記とは?
→ 前日の内容書いたメモから適当にまとめた日記
引っ越しをしたためwifiが現状繋がらない。
スマートフォンなら4〜5Gを使用することができるため現在noteを投稿できているが、正直フリック入力だと気分が乗らないな。
キーボード入力と明らかな違いを感じている。もちろんフリック入力に慣れていないわけではない。もう随分長いことスマホを使っている。PCを使っていた時間よりスマホを触っていた時間の方がずっと長いはずだ。その上私のタイピング速度が優れているわけでもないので、フリック入力とスピードにそこまで差は存在しない。
ならば何が違うのか。私は「流れ」の有無だと思う。
フリック入力の変換は、常に立ち止まることを要求してくると感じる。足元を見ながら歩いているような、そういった注意深さだ。しかし、こと文章を書く上では前を向いて遠くを見通した方が書きやすい。
英文を単語ごとにぶつ切りで話されると、その単語一つ一つの意味はよく理解できるが、文全体の意味がかえって分からなくなるだろう。それに近いことが起きているような気がする。
フリック入力は単語を並べ繋げていく方法に近く、キーボードによる入力は全体図が頭にあった上で、それを文字という絵筆で塗り広げていく過程のように思えるのだ。キーボードの方が誤字や誤りを含む表現が増えるかもしれないが、勢いにおいてはスマホに追随を許さない。
そうだ、文章を書く際には些細に気を配りすぎると全く書けなくなる。書いてる最中に表現が気になって、少し戻って書き直す、やっぱり書き直す……を続けていると本当にキリが無い。私はこの沼の常連である。入ればたくさんのボトルキープが立ち並んでいる。つまり書きかけの小説だ。
しかしながら表現を気にせずに書き進めるのはとても難しい。不可能と言ってもいいだろう。文章を書く以上最低限のフォーマットは必要だろうし、文法がなっていなければ丸ごと書き直すことになるから意味がない。
そも、表現を大切にする心、表現に執着してよだれを垂らすような在り方なくして文章を書くぞ!とは、なかなか……拘ってしまった結果の文章、という気がする。
もっと気楽に書くべきではある。世に正解の文章があるならば、わざわざ私のような人間がここに打ち込む必要がないんだ。ただ正解を読めばいいのだから。