残像日記 2/26
残像日記とは?
→ 前日の内容書いたメモから適当にまとめた日記
歯医者に行った。奥歯が痛むから虫歯だろうと思い診てもらったら、歯茎の炎症か何からしくその歯には虫歯はないと言われた。
代わりに3つも虫歯を発見されてしまった。そんなに?痛くなければ虫歯の存在に気づくこともないのは当たり前だが、そんなにあったのか。
ということで、治療することになった。とりあえず今日は虫歯一つを削る。痛かったら手を上げてくださいねーと言われて、これ本当に上げる人っているのだろうかと思った。床屋のシャンプーしている際に言われる「かゆいところないですかー?」に似た趣がある。
こう思っていたのは記憶の中の歯医者に痛みが存在しなかったからだ。小学生のころは何度も歯医者に通って銀歯を詰めてもらったはずだが、記憶では虫歯を削っても痛みは一切なかったはず……だったんだ。
ちゃんと痛かった。そんなバカな……歯って削ったら痛いんだ。神経に接触しているからだろうか、ピンポイントで刺してくるような痛みだ。カーっとくる感じではなく、ゾクってするタイプのやつだった。
まあ叫んだり暴れたりするほど酷い痛みでは全くないけども。こんな感じだっけ?とはなった。子供のころにこんな痛みを感じていただろうか?もしそうならそれなりに嫌な思い出になっていそうなものなのだが、むしろ子供のころの私はドリルや動く椅子など、近未来を体感する場所として好意的に捉えていた気がする。
痛みって記憶に残らないんだな……と感じた。当然だが痛みは何か衝撃とか傷が走った際に、痛みという情報を伝える伝達物質が分泌されてそれを感応して生まれるものだ。なので、記憶の上で痛かった体験を思い出しても痛みが訪れるわけではない。嫌だったなあという感覚は残るかもしれないが。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という言葉そのままに、熱さ=痛みや、味やにおいや感触のような物理的なものごとは記憶上ですぐに風化してしまうのだろう。記憶の上では確実に再現できないからだ。「嫌な思い出」みたいに、後から呼び出して同様の嫌さを感じる、みたいな復元性はない。
文字上の表現として使うなら、五感的なものよりストーリーの方が効果的ということなのか。いや、それは当たり前か。表現の集積である物語の方が人間に働きかける力が大きいに決まっている。だから単純な情景描写ではなく、そこに心理や物語の流れを忍び込ませるんだ。
ちなみに施術が終わった後、母から「麻酔した?」と聞かれた。
麻酔とかあるんだ……
歯医者 敗者 廃車 配車 拝謝 背斜 排砂 灰紗 肺写 胚沙