言葉によって印象が変わる

テレビを付けていたら、ドイツのメルケル首相が、着席したまま式典に出席されたというニュースがたまたま聞こえてきた。立っていると体が震えてしまうので、体の震えを抑えるために椅子に座られたのではないかとのこと。

ニュースは次の言葉で締めくくられた。
「メルケル首相が首相としての任務を全うできるのか、疑問視する声も出ています。」

これを聞いて、なんだか、心がざわざわした。なんだろう?この感覚は。自分の心に問いかけた。

立っていると体が震えてしまうような状況でも、首相としての責任を果たすために頑張ってくれている。もし、メルケルさんが自分の母親だとしたら、こんな声をかけるんじゃないかな?

「お母さん、これまで、お母さんが一生懸命、ドイツのために、ドイツ国民のために頑張ってきてくれたこと、本当に素晴らしいと思うし、尊敬しているよ。でも、今、立っていると体が震えてしまうんだよね?心配だよ。。少しは自分の体のことを考えて欲しい。だって、長生きして欲しいから」

そんな人に、「疑問視する声」って、なんだろう?「心配する声」と言ったっていいのではないか?もう少し、愛ある言葉が世の中に溢れたらいいなぁ。



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