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『Seven Pieces』 超短編小説

七つの、おそらく聞いたことがない話

40歳を過ぎても独り身の健一が、犬を飼いはじめた。やって来た小さなトイプードルに、健一は「健一」と名づけた。健一は健一をとても可愛がったが、自分と同じ名前をつけてしまったことに気づいたのは、それから十余年後のことであった。

【これまでのあらすじ:天才登山家、山田は、今日も世界の名峰に挑んでいました】

山田「フウ、フウ」 

山田「ハア、ハア」

ザザッ

山田「よし、ついにエベレストの登頂に成功したぞ!!」

翁「そこのお兄さん…」

山田「エベレストの頂上におじいさんが!!」

翁「ここは、エベレストやのうて、高尾山やけど…」

山田「どうりで、都内の自宅を出て1時間半でエベレストのふもとに到着したからヘンだと思ってたけど、登る山、間違えてたんだなあ…」

翁「まあ、お弁当でも食べなさい」

おじいさんは、自分のお弁当を半分、山田に分けてくれました。ふたりは楽しいひとときを過ごしたといいます。

【ゲート】はすでに開かれている。これまでに何人の人々が、それを通ったことだろう。肉体を軽視して。【ゲート】をくぐって旅立っていった人々は、口を揃えて次のように言っていた。

自分には、この体は少し重すぎる。

とても大きな球体が発する力、重力と呼ばれる力が私たちの姿や思考を決定づけ、私たちはそのゆりかごの中で暮らしてきた。それはとても居心地のいい場所ではあったけど、束縛には変わりない。

【ゲート】が現れたあの日から、私たちは皆、選択を迫られているのだ。進むか、留まるか。【ゲート】は、遠くへ行きたいという思いを、容易く実現させてくれる。それは本当に遠く。海の向こう、月の裏側よりも、過去の人間たちによって考えられていたどこよりももっと遠く。帰ってきた人間はひとりもいない。

私だって遠くに行きたい。部屋をきれいに掃除して、数人の知人にメールを送信して、お気に入りのスニーカーで【ゲート】をくぐりたい。でも今日はバイトのシフトが入っている。

登校してきたヨシオの後頭部には、毒々しい紫のキノコが生えていた。

クラスメートは優しさゆえに、ヨシオには黙っていた。

翌日、登校してきたミツコの後頭部に、毒々しい紫のキノコが生えていた。

俺の飼い犬はときどき、地面を熱心に舐めている。地面から何を補給しているんだ。ずっと疑問だった。だから、俺もやってみた。地面をおそるおそる、舐めてみた。俺の意識は遠のいていった。

眼をさますと、きれいなお花畑のなかに泥だまりがあって、子ゾウが、それはそれは愉快に泥あそびをしていた。鼻で泥を吸い上げて遠くに飛ばしたりしている。なんて楽しそう。俺はこんなに楽しそうに遊ぶ動物をみたことがない。愛おしく感じた俺はゾウに近寄り、その腹を撫でまわした。すると、ゾウの腹に貼り付けてあった、一葉の手紙を発見した。それは俺の飼い犬がしたためたものだった。

「闇雲に地面を舐めるだけではダメだ。的確なポイントを、的確なスピードで、的確な回数だけ、舐める。そのいずれが欠けても、わたしたちはわたしたちの求める結果を得られないだろう・・・(第5幕)」

俺は驚愕した、なんで今まで俺の飼い犬はこんな重要なことを伝えずにいたのか。友達じゃなかったのか。俺はあまりのショックに泣きそうになった。次の瞬間、立ち直った。もう気分は爽快だ。「今からブックオフに行こう!」と空にむかって叫んだ。ブックオフとは様々な情報が飛び交う、知的階級のための空間のことである。そこに行けば、俺の飼い犬が書いた本が並んでいるかもしれない、ということに思い至ったのだ。俺の犬が書いた本が並んでいた。どうやら俺の犬はベストセラー作家というほどではないにしても、そこそこの中堅、という地位を築いているようだ。

俺は中古で売られていたサイン入りの本を買った。金は全く無かったが買えた。飼い犬だから、頼めば気軽に、すらすらと、心地よいジョークなんかも交えながら、サインをしてくれるかも知れないが、まあそんなことは俺が老人になって、最後の瞬間を迎えたときに考えればいいのだ。ブックオフの天上に備え付けられたプロペラが優雅に回転していた。それよりも俺は、この本の元の持ち主が、唾をつけてページをめくるヤツだったらどうしよう、という不安に駆られて泣きそうになったが立ち直った。俺はすがすがしい気分の俺が好きだ。ページをひらく。

「地面を舐める!カラダに活力がある!あいつは私を殺そうとしている!地面を舐めなくてもいい!(第22幕)」

俺の眼鏡フレームはぐにゃりと折れた。近視なのに老眼鏡をかけていたせいだろう。俺の犬のせいではない。そう言い聞かせたが怒りは収まらなかった。だが怒りはすぐに収まった。遅くなったがここで自己紹介をしておこうと思う。

俺はよしひこ、28歳だ。スイカと宮崎駿が好きだ。『となりのトトロ』はみていないが。多分ものすごい名作なんだろうと想像することはできる。おそらく『となりのトトロ』のクライマックスでは、カーツ軍曹とその愛人のラマンダが重要な役割を果たすはずだ。そのぐらいは分かる、想像できる。人並みの頭を持っているからそのぐらいは分かる。俺を馬鹿にするのもいい加減にしろ。

飼い犬は地面を舐めている。それは恐怖の裏返しなのかもしれない。だが俺にできることは皆無だ。だが何か俺にできることはあるはずだ。俺は飼い犬の名前を呼んだ。名前は全く覚えていなかった。走ってくる飼い犬。地面を舐めてはいない。もう地面はそこには無かった。犬は走ってはいなかった。歩いていた。でももう同じことだ。天上に備え付けられたプロペラが優雅に回転していた。でもそれは俺の飼い犬の仕業なのか。仕業ではなかった。俺は犬など飼ってはいなかった。俺はよしひこという名前ではない。俺はよしひろだ。俺はよしひろではない。のりまさだ。そして俺は猫を飼っている。俺は猫など断じて飼ってはいない。

11:00

典江「あら、お隣の盛夫さん、こんにちは」
盛夫「あっ、こんにちはお隣の典江さん」
典江「どちらへいらっしゃるの?」
盛夫「今日は鍋でもつくろうかと思って、買い出しに」
典江「あら、いいわね~寒い日にはやっぱり鍋よね!」

15:00

カツーン

カツーン

典江「なに!?このおっきな音は?」

ガラリ

盛夫「ああ、お隣の典江さん」
典江「盛夫さん、この音……」
盛夫「ああ、こうやって金槌ふってると、寒い日でも汗かきますよ」
典江「なにしてるの?」
盛夫「? 鍋ですよ」
典江「つくってるの?」
盛夫「朝話したじゃない。へんな典江さんだなあ」
典江「鍋つくってるの……」
盛夫「鍋つくってますよ」

彼がおぞましい自己陶酔のうちに創りあげた与太話を聞くたび、全盲になって初めて得た「真実の光景」だとか、自分が被爆二世であるとかいう出鱈目を、沈痛な面持ちで語る姿を目にするたび、激しい嫌悪感と憤りが去来し、しかし、その憎むべき男に文章を与えているのはほかならぬ私自身なのだという事実に、戦慄を覚えました。こんなにも嫌っている男と顔を合わせ、彼がテープレコーダーに吹き込んだ意味不明の言葉の羅列(彼はそれを「メロディー」と呼んでいました)をもとに、偽りの文章を書き連ねている自分が惨めでなさけなく、きっぱりと関係を絶とうと思ったことも一度や二度ではありません。しかし結局のところ、彼から遠ざかることはできなかったのです。こんな茶番はもうやめたいと、私は何度も彼に言いました。しかし、そんなときに、彼は決まって私に言うのです。

「我々が語るのをやめれば、世界はもっと酷いことになるよ」

ご存知かもしれませんが、彼は内実、とても気の弱い男です。また、頭も鈍い。彼が私を引き止める際に使う言葉は、いつだって、内心の動揺をみっともなくさらけだした、大仰で陳腐な台詞でしかなかったのです。語彙が少ないから、「世界」だとか自分の身に余る大げさな言い方しかできないのです。私は私の文章を彼に与えることで世界を救うなど、これっぽっちも考えたことはなかった! 本当です。いや、あなたが信じないのも無理はない。結果的には私は彼と一緒に世界を救おうとしていたのだから。彼はいつだって馬鹿みたいに純真だった。いや、私は何を言っているんだ、人並みの暮らしも送れない愚鈍な人間のくせに、彼は本気で世界を救おうとしていた。そのために彼の「メロディー」を私の文章に乗せて広める必要があった。

なぜ人々は私たちが創りあげた偽りの文章を受け入れたのでしょうか。人々が私たちの話になど耳を貸さなければ、こんなことにはならなかった。彼と私が語ったのは愚かな虚言でしかありません。しかしそれは、世に蔓延する残酷な真実よりもいくらかましなものだった。だから人々は私たちを祭り上げたのではないでしょうか。私はほんとうに混乱している、狂っているのです。あの男は独房で何をしていますか。いや、何をしていたっていい、とにかくあいつの一切を信じてはいけません。こんなことを申し上げる必要はありませんね。あなたは聡明な方だ。あなたが私たちの話を受け入れることなどないでしょう。あなたはいつだって腐った真実の側にいるんだ! 畜生、取り澄ました顔で人のことを見下しやがって。いや、すみません、あなたに八つ当たりしたって仕方がないのです。結局私は現実を恐れ、彼を頼るしかなかった脆弱な人間なのです。

私たちが作った教団は多くの人間を扇動し、また、あまたの人間を私の書いた文章にもとづいて、殺めました。その一切を指揮したのはこの私に他なりません。彼は何もしていないのです。彼の「メロディー」は極めて抽象的なもので、そこには人の命を奪うなどといったことは指示されてはいなかった。しかし、私は教団のすべての罪が私に起因すると述べたいのでは、断じてありません。あの男がいなければ、私はなにもできない無力な人間であったのですから。あの男の「メロディー」こそが、私がこの世で聞いたなかでもっとも美しい音でありました。それをもとに私が書いた文章を、彼は「素敵だ」とほめてくれた。そして、「自分の書いた文章のとおりに事を為しなさい」と言ってくれた。

私もあの男も死して罪を償うこととなりましょう。一刻も早くあの男を殺してください。あの男が次の「メロディー」を奏でる前に、殺してください。本当は私があの男を殺したいのですが、それは叶わぬことです。あのおぞましい、腐臭に満ちた美しい「メロディー」は、私だけのものです。ほかの奴に聞かせてなるものか。独り占めしたいんだ。ええ、お望みとあれば全ての事件の顛末を洗いざらいお話いたします。教団における私の名? いまさらそんなことから始めると仰るのですか。そんなことよりも早く私とあの男を殺してください。いや、失礼、私は焦りすぎている。あなたが知りたいのであれば、それは必要なことなのでしょう。私の名はユダ。イスカリオテのユダ。

write by 鰯崎 友

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鰯崎 友
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