教師とはどうあるべきか
ChatGPTが作成する英文の内容理解問題を教師は使っていいか
教師が自分でどういう理解をしているかを確認するために出題をするのに、それをChatGPTに任せるようでは人間としての英語教師の役割は終わっていると自ら認めているようなもの
というお話を先日発表でお聞きし、それからあれこれ考えた
究極にはおっしゃる通りで、教師が自分で作成をする方が良い
ただ、それって例えば授業内で扱う発問は教科書に載っているものをそのまま使うで良いのか
長文読解問題集の解答解説は出版社が作成したものをそのまま使うので良いのか
さらに言えば、授業で扱う英文自体誰かが作成したもので良いのか
極論を言えばすべての教材、題材、授業展開等々は手作りであるべきかどうかとも考えることができる
教師の時間は限られており、また教師の偏った発問パターンや英文パターン以外を読んだり解いたりすることにも意味があるため、どこかで教師は妥協をして、また他者のものを利用する効果も踏まえて既存の教材等を使いながら時間をバランスよく割り振っているのだろう
そこで立ち返って評価の場面で使うべきかどうかについては、その教師がその出題で測られる評価をどのように捉え、出題する場面をどれだけ重視するかによるのだと思う
私は定期考査は評価の材料としては非常に小さな割合を置いており、通常の授業内での形成的評価やパフォーマンス評価を重視しているため、定期考査の出題にたくさんの時間をかけて準備をする必要性をあまり感じていないのかもしれない
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もう一つ考えたのが、ChatGPTのようなサービスがまだ新しいから抵抗がある方もいるのだろうなという点だ
昔の訳文と解答しか載っていない長文問題集の時代にカラフルで丁寧な至れり尽くせりな解答解説集つきの問題集が出たころ、きっと「自分で考えなくなる、教師が説明をすることを放棄している、教師としてのプライドを捨てている」等のお考えの先生もいらっしゃったのではないだろうか
しかし、現在そのようなことをおっしゃる先生は少数派だろう
このように、新しいがために受入れがたく感じる方もいらっしゃるのではないかと推察する
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すべてはその教師の教育観であり、指導観次第なのだろう
様々な考えがあってよいし、様々な指導方法があってよいと思う
皆が目指すべき唯一絶対の指導方法など存在せず、一人一人の先生が他者から学び、自らの指導を常に振り返りながら、時には自分の指導を公開して意見をいただき、目の前の生徒に対して割き得る時間を最大限に活用して指導をしていれば問題ないのだと思う
上記のようなことをせず、自分の学習における成功体験に固執し、自らを成長させようともせずに、自分が教えたいように教えるような教師にだけはならないようにね、ということをこれからも後輩たちには伝えていきたいと考えている
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