見出し画像

金村推しが観た、金村美玖写真展 「みとめる」


はじめに

9月24日、私の「奇跡の推し」金村美玖ちゃんの写真展「みとめる」を観に行ってまいりましたので、その感想文兼日記の文章です。
私が当日Xにポストした内容(これです↓)の油多め味濃い目版になってます。

また美玖ちゃんにレターで感想を送ったのですが、それとも重なる部分があります。。(余計ですね笑)
よろしければお付き合いください。
なお残りの会期はあと約1週間ではありますが、若干のネタバレが含まれております。
その点、これから行かれる方はお気をつけいただければと思います。

「みとめる」に行こう

「みとめる」は金村美玖ちゃんが2023年から日本各地に一人旅に出かけ、旅先で撮っていたセルフポートレートとランドスケープ作品で構成された写真展です。
美玖ちゃんがしばしば弾丸一人旅に出かけていたことは彼女のファンであればよく知る所でありますが、セルフポートレートを撮っていたのは初耳でした。
そして写真展のタイトルが「みとめる」。
これも彼女のファンなら周知のこと、美玖ちゃんの代名詞?とも言えるワード「承認欲求」を言い換えたと言えるタイトルです。
「承認欲求」をいい意味で前へ進む原動力としてきた美玖ちゃん。
かねてからの彼女の発言から、いつかは個展を開くのだろうと思っていましたが想像以上に早いタイミングでの開催。
しかも展示されるのは美玖ちゃんのセルフポートレート。
私自身、多少ですが写真を趣味としていることもあり、これは何としても見届けなければと思いました。
休暇の調整ができていなかったのですが、完全予約制のチケット枠がどんどん売り切れてしまうので焦って適当に2週間先のチケットをとり、後から仕事の調整をし、行ける段取りをつけました。
そして当日。
会場のNew Galleryは神保町駅から歩いて5分ほど。
私は学生時代をこの近辺で過ごしていたこともあって、通学で使っていたお茶の水駅から歩いて行きました。
それでも10分程度ですかね?
時間となったので、いよいよ入場。
決して広くない展示スペース、十数歩歩けば奥まで着いてしまうくらいです。
そこに美玖ちゃんの創り出した濃密な空間が待っています。
展示は時系列に、2023年冬・2023年春・2023年夏・2023年秋・2024年冬・2024年春、そして約3分の映像の計36点となっています。

初見の感情のざわつき

2日前に美玖ちゃんにミーグリで「『みとめる』観に行きますよ」と伝えたところ、「ゆっくり観ていってください」と言われました。
ですので、ある程度最初から何度か繰り返し観ることは想定していたのですが。。
1回目の衝撃、、という表現は適切ではないのですが、最初に一回り作品を観ている途中では私自身の感情が大きくざわつき、胸が締め付けられるような思いで一杯になりました。
これはきっと展示されている作品が彼女の約1年余りの心情の動きを表しているから。
そして私がそれを一気に受け止め、無意識にシンクロさせようとしたからこその情緒だったのかなと思っています。
推しバイアスが大きいから感動もデカいんじゃないの?と言われると何とも言えませんが。。
とにかくこのまま終わってはいけない。
平静な心で改めて観なければ。。

ゆっくり観てみよう

で、改めて2023年冬から。
このブロックは同じサイズの小さな写真9枚と写真と同じサイズの鏡で構成されています。
美玖ちゃんは美術展ナビさんのインタビューで「気持ちが陰のときの写真は小さく、陽のときは大きく」と答えていましたが、このころはまだ自分を「みとめる」気持ちも「みとめられたい」気持ちも小さなものだったのだろうと思わされます。(インタビューはこちら↓)

写真自体もあまり色が多くなく、空虚でいて、しかし心を一度無にリセットして再始動しようという意思も感じられます。

続く2023年春は大きなサイズの写真2枚。
桜の花の元、遠くを見つめる美玖ちゃんと、金網のフェンスの間からはみ出して咲く桜のアップの写真です。
フェンスからはみ出した桜は、「みとめてくれる?」と問いかけてくるようにも、観ている側が「頑張ったね、みとめるよ」と語りかけるようにも見えます。
その桜と対をなすように並べられた美玖ちゃんの写真は「私も頑張るよ」という決意の表情のように見えてきます。

2023年夏は海岸での写真6点。
砂浜に置かれたラムネ瓶にピースをする彼女の影の写真が極めて印象的です。
このブロックの写真に限らず、全編を通して彼女が被写体として笑顔を見せている写真はありません。
でも、この影はカメラには写したくない笑顔があったのかも、、と想像させる1枚です。

夏と秋の移り変わりの場所に、また鏡が配置されています。

2023年秋は紅葉の中の写真7点。
美玖ちゃんの表情も色付いた木々も落ち葉が浮かぶ水面も、全てが憂鬱に見えます。
木々を写した写真はピントが当たる場所が無くボケを強調したカットになっていて、「光あれど困惑」な想いが伝わってくるようです。
美玖ちゃんが木々の上から差し込む光に手を伸ばすカットがあります。
その手は光を求める欲望なのか、光に辿り着いた安堵なのか、その光が眩し過ぎて遮りたかったのか、、興味深い1枚です。

2024年冬は尾道の旅館と街並みで撮られた5枚。
この5枚は統一されたサイズで2023年の冬よりは大きく、しかも横並びに一列でレイアウトされています。
写真展のキービジュアルに使われた写真がここから選ばれていること、そして街中の写真では地元の子供達……作品の中で唯一、美玖ちゃん以外の人物が写っている写真が使われていることから、何かこの段階での心の整理やちょっとしたゆとりが生まれたのかも知れないと想像します。

次の季節の前にまた、ギャラリーの柱に鏡が置かれています。
展示の所々に配置された鏡の意図を考えましたが、写真展を観に来た観客に自分の表情を見せることで「今までの作品、どうですか?今のあなたはどんな気持ちですか?」と無言の問いかけをしている役割が一つ。
そしてもう一つ、展示されている3つの鏡が時期を追うごとに大きなサイズになっていることに気がつきます。
これまでと違ってこの最後の鏡は人の顔がしっかり映るサイズです。
つまり、この段階では自分の顔が直視できる、即ち「みとめた」状態でいるんだよという意思なのだと捉えました。
この最後の鏡の額には美玖ちゃんのサイン、そして「みとめる」の手書き文字が書かれています。
つまりこれは見る人のブレークタイムでありながら、一作品の色合いが濃く、鏡に写った人が作品を構成する要素となるのです。
そして偶然かも知れませんが、角度によって映り込む2023年の「過去の金村美玖」。
展示のレイアウトを作るとき、美玖ちゃんもこの鏡に映った自身を観ているはずです。
美玖ちゃんが過去の自身を振り返りつつ、現時点の立ち位置を確認したのがこの鏡の意図なのではと考えながら観ておりました。

そして2024年春、奥入瀬での写真3点
とても美しい写真です。
因みに今回の撮影地で私が唯一訪れたことのある場所です。
奥入瀬の木々と渓流をバックに、岩にもたれる美玖ちゃんの写真があります。
この川は流れを感じさせないように撮られていて、それはポートレートという作品で人物以外が主張しないようにという意図だと思うのですが、まるで絵画を観ているようで時間が止まっているようにも見えます。
美玖ちゃんの表情は3枚ともクールで眼差しは力強く。
アップの写真では涙が流れているようにも、、いや、何かの前ボケかな。。
これが一先ずの今までをやり切った自分。
でもまだまだ満足してる訳じゃないんだよ、またここから前に進み始めるんですよ、という様に感じました。
最後に映像作品「みとめる」で展示が終了します。

全体を通してみよう

最初に「セルフポートレート」と聞いた時、写真にはよりストレートな美玖ちゃんが表現されているのかなと想像していました。
ですが、実際に作品を観ると半分くらいはその要素もあるのですが、フォトグラファー金村美玖とモデルの金村美玖が相対している要素もかなりあるなと感じました。
先に書きましたが、写真に写る美玖ちゃんに笑顔はありません。
最後の「みとめる」映像の中で一瞬だけ笑みを浮かべる場面があります。
そこに美玖ちゃんの別の一面、所謂陽キャな所が現れているのですが、全編を通すとフォトグラファー美玖ちゃんが撮りたいテーマ(それはきっと笑顔の金村美玖ではなくて)をモデル美玖ちゃんが表現して見せるというセルフコミュニケーションがあったのではと思えます。
逆に、ランドスケープ作品はダイレクトに美玖ちゃんの目に写ったものです。
個人的には直接的にその時々の彼女の心情が表現されているのはこちらで、観る者がセルフポートレートに対峙したときの想像をより補完するものになっていると感じました。
また、冒頭書きましたように、作品の全ては忙しいアイドル活動・学生生活の合間を縫った弾丸旅行の旅先で撮影されたものです。
それゆえ恐らく絶好の撮影日和な状況で撮られたものばかりではなく、これが彼女が過ごしてきた年月の一コマを切り取ったように感じさせ、展示全体に大きなリアリティを与えるものになっています。
一人旅、スタッフさんは誰もいない状況で撮られた写真達。
2023年春の桜の美玖ちゃんの写真はよく見ると顔の産毛だったり、髪も所謂「アホ毛」が写っていたりします。
髪はまあ春風に吹かれて、かも知れませんが、レタッチで修正しても良い訳で、敢えてそうしていない所に「ありのままの自身」の表現への拘りが伺えました。

最後に

配布されるハンドアウトには、「これらの写真は全て嘘偽りのない私で構成されています」と書かれています。
ただ、それはシンプルにその時々を切り取ったに留まらず、写真の構図や設定、作品のレイアウトやライティング、先に書いた鏡の仕掛けなど表現者としてのセンス溢れるフィルターを通したものになっていて、これがこの写真展を素晴らしいものにしている一因だと感じています。
そして恐らくご覧になったみなさんの多くが感じられたと思うのですが、「みとめる」は完結していないということ。
今までの自分がやってきたことをみとめつつ、また前に進んで更に進化した自分を「みとめる」旅を続けていくのだろうなあと思います。
金村美玖さん、あなたが「推し」になってくれたのは本当に奇跡です。
出会えて本当に良かったです。
私も少しは自分をみとめられるよう、自分と改めて向き合おうと思います。
素敵なひとときをありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?