4月1日
4月1日。満開の桜が咲き誇る中、多くの社会人が新しいスタートを切る日である。
私の会社にも、新入社員が入社した。緊張した面持ちで、入社式で意気込みを言う。誰だって初めての環境は緊張する。
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午前中の研修が終わって、お昼休み。
一緒にご飯を食べながら、色々と話す。時が経つにつれて緊張が解けて、「初めて合ったときはこうだったね〜」とか「〇〇が好きなんだ〜」とか、いろんな話が飛び出す。その時に、うちの会社の選考の話になり、新入社員の子からこんな話があった。
「うちの会社の面接、面接ぽくなかったです。なんか一般的に聞かれる学生時代に力を入れたこととか、あんまり聞かれなくて。なんのために働くかとか、自分の価値観だとか、そういうことをざっくばらんに、話したって感じで。だからこそ色々とリラックスして話せました。」
これを今、就職活動をしている方が聞いたらどのように感じるのだろうか。対策が練れない、やりづらいと感じる方もいるのだろうか。
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会社に入るまでに「選考」というものがある。書類を出したり、会社に行って面接をしたりする。
働くとなったら、自分の多くの時間をその仕事や会社に渡すことになる。また、会社はその人に大切な仕事や役割を預けることになる。就職活動は、自分のパワーを発揮できるか、希望が叶うのはどこかを探す時間だと思っている。とても貴重な場だ。
だが、いつからか、
就職活動は内定取りゲームになっていった。
学生時代に何かチャレンジをしないといけない、とか。
面接でこういう回答はしちゃいけない、とか。
はてまた、内定をつかみ取ろう、とか。
私も学生時代に「就職活動で語れるようにサークルやアルバイトをするべき」ってキャリアセミナーとかで言われて、すごく違和感を感じたことを覚えている。学生時代は、さまざまな世界が広がっていて、チャレンジできるとても貴重な時間。その時にした経験は、果たして「就職活動」のためにあるものなのか?
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日本は、高校3年生や大学3年生の就職活動が始まるまでは、「いかに正解通りに答えられるか」が物差しになって評価されている気がする。自分の気持ちとか、価値観とか、自分と向き合うことで出てくるものではなく、決まっている答えに対して、いかに正確に答えられるかが勝負になる。これはある意味、楽だ。だって教科書や解答集と向き合えば、どう答えれば丸がもらえるかわかるからである。カラクリがわからなくても最悪、暗記すれば良い。
しかし、就職活動と言うものが始まった瞬間、「自分のキャリア」という誰かが「答え」を持っているわけではないことに向き合うことになる。しかもその答えを導き出す方法も、一つではない。正解がない世界に突如放り出されるような感覚になる。答えは自分しかわからないから、自分と向き合わないければいけないが、自分が何に興味があるか・ないかということは、自分自身が一番よくわからない。わからないから、苦しい、不安にもなる。向き合うことをやめたくなる。
だからこそ、一般的な答えや、内定という結果が出ている人が言っていることが正解ぽく見えて、それ通りにやればよいという感覚に陥ってしまう。
それを繰り返しているうちに、自分が言っていることに自分の気持ちが追いつかなくなって、台本を読んでいるかのような感覚になる。その時にふと、「あれ?自分はどうしたいんだろう?」となって迷走し出す。
本当にこのサイクルの中で、自分の1度しかない時間をどこに使うかという「答え」は果たして見つかるのだろうか。
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就職活動という時間はなんのために存在しているのか?
面接はなんのために存在しているのか?
合格するためにするために行動することが「良いキャリア」を作れる方法なのか?
採用活動や就職活動が一体なんのために存在しているのか、仕事を探す側も、仕事を預ける側も、改めて向き合う必要があると感じた、4月1日であった。