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マンガの中の少女マンガ/家(12):わたなべまさこ『はだしのプリンセス』
「少女マンガ家マンガ」前史と言えるような作品である。
わたなべまさこは1929年生まれ、そのきらびやかな絵柄と圧巻のストーリーテリングで多くの傑作を生み出し、1950年代から現在まで(!!)活躍を続ける少女マンガ、そしてレディコミ界におけるレジェンダリーな作家である。その影響力も大きなもので、たとえば萩尾望都はいくつかの著書の中でコマ割りに悩むとわたなべまさこに立ち戻るのだと語っている。
サイコパスなシリアルキラー幼女の無邪気な殺戮道中を描く「聖ロザリンド」をはじめとした怖しいマンガの数々、中国文学史上の四大奇書に数えられる『金瓶梅』のマンガ化もそのひとつに数えられる大人っぽくエロティックな(でもやっぱりいろいろと怖い)物語群など読むべき作品だらけなのだが、わたなべマンガについて語り出すときりがないのでグッと我慢である。
さて、今回取り上げる「はだしのプリンセス」は集英社『週刊マーガレット』で1966年に連載されたコメディである。元気ハツラツな少女の活躍、生活感あふれる日本の描写と海の向こうのゴージャスさ、そして実に大人っぽい恋愛模様、この時期のわたなべの魅力がギュッとパッケージされた楽しい一作である。
主人公のマーガレットは地中海の浮かぶ緑の島「ムーン・スター王国」の王女…ながら、ニンニク入りのカレーライスが大好きな元気いっぱい少女。
母はすでにないものの、大好きな父親(この王国を統べるチャールストン大公だ)と毎日仲良く暮らしているのだが、実は王国はけっこうな財政逼迫している危機的状況なので、口喧しい「おばあさま」は世界一の大金持ち、ピンカム公爵家の令嬢ピンキーとチャールストンをくっつけようと目論む。なお、ピンカム家の財力といえばものすごく、「一秒間に何億という財産のふえ方なんですよ」ということらしい(図1)。さながら与沢翼である。
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しかしというかもちろんというか、このピンキーは実にいけすかないヤツなのでマーガレット的には結婚話には絶対反対の構えである。チャールストンの方も亡き妻の思い出を胸に抱きつつ、ひたすらミジンコ研究に邁進する学究肌なので、ピンキーにはまったく興味がない。しかし、お見合いの場所たる日本では折りよく海洋生物学会があるというので、これ幸いと海を渡るチャールストン。マーガレットもお見合いを台無しにする助っ人として日本へ同行するのであった。
さて、日本を舞台で中心になるのは、父・チャールストンをめぐる恋愛のプロットで、滞在先の旅館で働く椿水江と出会い、互いに惹かれ合ってゆく。面白いのが、ミジンコにしか興味のないチャールストンが水江を目にした時に、その姿がミジンコに見えてしまうという1コマ。(図2)これで水江がチャールストンにとってアリな女性なのだ示されるわけだが、ちょっとびっくりである。
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まずしい日本の庶民である水江と国王たるチャールストンは惹かれ合いつつもお遠慮や誤解、そしてピンキーの介入などからすれ違い、お互いに身をひこうとする…そこでやはり水江に惹かれるマーガレットが元気いっぱい頑張って二人のかすがいとなっていくのだが、この親世代の恋模様が実に情感たっぷりで読ませる。のちに大人の女性向けのマンガで縦横無尽に活躍するわたなべのセンスはすでにここに現れているのだ。
ところで、肝心の少女マンガ家の話はどうなっているのか。実は、チャールストンの恋愛模様と並行して展開されるのが、マーガレットを主人公としたこども版「ローマの休日」的なプロットであり、こちらに「少女マンガ家」的なキャラクターが登場するのだ。チャールストンとピンキーの接近に機嫌を損ねたマーガレットは来日ただちに失踪してしまい行方不明になる。浮浪者風の格好で街をうろついていた彼女と出会い手助けすることになるのが、王女の行方不明を聞きつけを特ダネを得ようと駆け回っていた週刊誌記者の三九郎だったのだ。この三九郎、実はチャールストンの恋のお相手・水江の弟で、彼との出会いがマーガレットと水江の出会いにもつながっていくのだが、重要なのは彼が働く週刊誌であり、それが実は本作の掲載誌「週刊マーガレット」なのである。
当時の「マーガレット」誌はまだまだマンガ雑誌といえる内容ではなく、誌面にはさまざまな読み物記事が掲載されていた。そのため、三九郎も「記者」であって、現在のマンガ雑誌の編集者とはだいぶイメージが違っていて、特ダネのために駆け回っている。そして、三九郎の恋人で、やはり「マーガレット誌」で仕事しているのが、マンガ家のリリ子なのである。リリ子は三九郎を愛しつつつもその不甲斐なさを頼りなく思っていて、「少女週刊誌の記者のくせに特ダネ一本とれないような人みこみがないわ絶好よ!!」と発破をかける。(図3)
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さて、このリリ子先生がどんなマンガを描いているのかというと、それほどはっきりはわからない。しかし三九郎が死んでしまったと早合点して嘆いている場面に描かれた原稿用紙を見ると、四コママンガや一コママンガではなく、複数ページのいわゆる「ストーリーマンガ」に該当するもののようだ。(図4)
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はじめに「少女マンガ家マンガ」前史と書いたのは、このような感じでリリ子があくまで脇役であり、マンガ家としての仕事ぶりがあまりはっきり描かれないからというのもあるだが、もうひとつには「少女マンガ」「少女マンガ家」ということばが作中で使われないからでもある。それぞれのことばがマンガやマンガ家を切り分けるカテゴリとして重要になってくるのは、もう少しあとのことのようだ。
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