熱狂を終え、熱狂を追え
中学生の頃、姉がくれた一本の中古のアコースティックギター。
少し傷があって、焦げた茶の色は妙に光沢を放っていて、大きな穴の中から羨ましそうに音を出したいと見つめていた。
それは、僕の人生に彩りをくれたのだ。
初めて弾いた曲はMr.Childrenの『名もなき詩』
96年リリース、200万枚以上を売り上げたメガヒットナンバー。
愛はきっと奪うでも 与えるでもなくて
気が付けばそこにあるもの
そう、愛はそこら中に転がってる。
高校生になって、人生ではじめてバンドを組んだ。
アンプから叫ぶギターの声、肺の底から持ち上げるベース音、心臓を唸らすドラムの雄叫び、それらが三位一体となったメロディラインに僕はどうしようもなく溺れたのだ。
3年生の最後の文化祭で演奏するために集った3人。
「広い宇宙の数ある一つ...」そんな歌い出しから火を切ったライブは、熱を冷まさないまま幕を閉じた。
あの時抱いた五感の感覚が忘れられず、大学では軽音楽部にはいる。バンドのフロントマンとして、下北沢の小さなライブハウスでそれでも歌い続けた。
狂ったようにギターを掻き鳴らす、マイクには血が付いていて、歌を歌い続ける。
原点、弾き語りも続ける。
弾き語りではなく、弾き"叫び"だという。叫べ。
あの頃の自分には、"熱"があった。
微熱を放っていた。熱が人の形をしていた。
さあ今の自分に、ノックしよう。
相も変わらずノックし続ける癖をつける。
熱狂を終えた過去、そして今熱狂しているのか。
狂ったように熱狂したい。あの頃のように。
狂ってるくらいがちょうどいい。
熱狂と宗教は、きっと紙一重。
今夜、大正解を疑え。
いつまでも熱狂を追いかけ続けよう。
そうだ、きっとここからが面白い。ここからだ。
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