Ⅴ.酒呑童子オルタはどこまでハジけるか? 1/2 ~酒呑童子説話の「母体」~
FGOのサーヴァント・酒呑童子は、自らの経歴について、「大陸にいた頃がある」と語っている(酒呑童子・アサシンの幕間)。
その頃の記憶は曖昧模糊としているということだが、
このあたり、説話上の酒呑童子(例えば最古の稿本『大江山絵詞』の酒呑童子)にはまったく無い要素・設定になっている。逆に言えば、説話から引っ張ってきたものでない以上、FGOの世界上ではなにか背景があるのだろう、という事にもなる…(?)
酒呑童子さんのお話について、当初想定していた大きな幹の話は終わりかけてきているが、この設定を掘っていくことで、酒呑童子の別の姿、仮に酒呑童子オルタと名づけておこう……今年も酒呑童子さんの水着は来なかったので……酒呑童子オルタが、どんなサーヴァントなのかを予想しながら、酒呑童子に関する研究をもう少し紹介していきたい。
といっても勿体つけずに行く。
酒呑童子(キャスター)の実装当時、当初伏せられていた真名に対して、ごく一部の界隈で予想されていた真名がある。
(結局はスカしたわけだが…)
大陸にいた、という経歴にもつながる予想された真名、それは
「斉天大聖(孫悟空)」である。
<① 酒呑童子 = 斉天大聖 説とは?>
あまりに突拍子もない予想だろう。僕もそう思う。
この、あまりに大胆な真名予想の大本は、過去の記事でも、何度も紹介している高橋昌明氏の書籍、『酒呑童子の誕生』に記された、ある説の提唱がもととなっている。
その説においてもっともキャッチーな一節は、こうである。
“斉天大聖の現在の中国読みは、チィーティエンダーション(qi tian da sheng)である。これを口中で繰り返していただきたい。とくにチィーティエンの部分、どことなく酒呑に似ていないだろうか。もちろん、斉天と酒呑の音韻の違い、中世福州音で斉天をどのように発音していたかなど疑問は残るが(中略)中国語会話に堪能でない祖本作者が翻案の時、いわば宛字の感覚で酒呑童子としたとも考えられる。”
(高橋昌明『酒呑童子の誕生』 第二章 酒呑童子のふるさと(中公新書、1992年))
といっても実は(というか当然というか)高橋昌明氏が、酒呑童子の正体が斉天大聖だ、と言っているわけではないし、この発音の相似性は、氏の発案の根拠のひとつでしかなく、もっときちんとした提唱の理由がある。
今回のキモはほとんど髙橋氏の主張の紹介になっていく。(剽窃にならないよう気をつけよう…) 詳しく見ていこう。
<② :酒呑童子説話の「母体」をみる>
今まで、酒呑童子とその説話について、
・酒呑童子の「原像」(疱瘡神・盗賊・竜宮の主)
・酒呑童子説話の「意味」(【境界】の確定・珠取り説話)
・酒呑童子の「本性」(八岐大蛇の落胤・龍(ナーガ)・第六天魔王)
と、いろいろな要素を見てきて、すでに混乱を極めている感じもするが、もうひとつだけ要素を追加させてもらいたい。
それを酒呑童子説話の「母体」の要素、と呼ぼう。
上記の、原像、意味、本性といった要素だけでは、酒呑童子説話のストーリィがどこから来たのか、判然としきらないところが残る。
ここも高橋昌明氏の言葉を借りれば、
“本章ではさらに話を進めて、説話それ自身の形成過程に肉迫してみよう。その際、文学作品なら当然のこと、童子の形象化やストーリーの組み立てには、成立基盤に解消できない独特の飛躍がある。”
(高橋昌明『酒呑童子の誕生』 第二章 酒呑童子のふるさと(中公新書、1992年))
酒呑童子説話は確かに、酒呑童子の「原像」に対し、説話的な「意味」を付与するため、あるいは酒呑童子の「本性」として別のものも想定しながら成立したが、そういった要素を肉付けしていくための「母体」となった、ストーリィの発案のネタ元があったのではないか、という指摘である。
そして、元ネタについては「酒を呑んで退治されたのだから『古事記』のヤマタノオロチの説話だろう」という説が存在して然るだろうが、そこに合流するのはやはり、前に紹介した「伊吹山系」の流れで『伊吹童子』と合体したあと、さらに八岐大蛇の落胤として認定されたタイミングであると思われる。説話の要素として照合できない、欠けている部分が多いからだ。(勿論、これが同型の説話であり、日本文化によくマッチし定着し得るものだったという事は否定しない。)
一方、説話にある多くの要素が照合できる、有力な元ネタの候補がある。こちらを酒呑童子説話の「母体」とする説がいまは主流となっている。
その元ネタ候補こそ、中国の説話、『補江総白猿伝』である。
<③ :酒呑童子説話は『白猿伝』から生まれた>
“酒呑童子説話の内容に、唐の小説「補江総白猿伝(略称白猿伝)」が影響を与えているという説は、近世には貝原益軒はじめ盛んに唱えられたけど、近代西洋学の導入以来ほとんどかえりみられなくなっていた。この忘れられた旧説に光がさしたのは最近のことで、黒田彰氏は「白猿伝」と逸本・サ本を本格的に比較し、多くの一致点を確認している。”
(高橋昌明『酒呑童子の誕生』 第二章 酒呑童子のふるさと(中公新書、1992年))
筆者注釈: 逸本というのは、最古の稿本『大江山絵詞』のこと。サ本というのは、サントリー美術館蔵『酒伝童子絵巻』のことで、こちらは「伊吹山系」の稿本である。
ということで、『白猿伝』が酒呑童子説話の元ネタではないかという説は江戸時代から唱えられてはいたが、近年?再び注目されている。『白猿伝』は下記のような話だ。(見栄え上、引用の形式にする。)概ね、酒呑童子に照応する大猿退治の説話であり、酒呑童子説話と比べると、「主人公の妻がさらわれる」という要素が付加されている、という感じだろうか。
・6世紀前半の、梁の時代、南方遠征軍の別将の、欧陽コツ(コツ:糸ヘンに乞)は福建省の長楽で、異民族の居住地を次々に平定していった。彼には美人の妻がおり、その妻も遠征に帯同していたが、土地の者から「この地には美女をさらう神が居る」と教わり、欧陽コツは忠告に従って妻に対する警護を固めた。しかしその夜、風が吹いたかと思うと、その時には既に妻は消えていた。
・欧陽コツは懸命に妻を捜し回り、数ヶ月後、宿舎から離れたとある深山を捜索することにした。すると、岩窟があり、その岩門を楽しそうに出入りする数十人の女たちがいた。女たちの話を聞くと、この岩窟は白猿神の住処であり、女たちはみな彼にさらわれて来たのだと言う。欧陽コツの妻も同じように白猿神にさらわれ、洞窟の奥に病臥していた。
・白猿神は不思議な力を持っており正面から戦いを挑めば百人がかりでも倒せないため、彼は妻や女たちと相談してだまし討ちの策略を練る。十日後の再会を約束して白猿神が戻って来ないうちに引き上げた。
・十日後、欧陽コツは策略どおり美酒と犬(お供ではなく餌として)と麻縄とを用意して再び岩窟へとやって来た。欧陽コツに岩の陰に隠れる。すると、白い衣をまとい、美しいあごひげを伸ばした男が、杖をついて女たち従えながらやって来た。男は犬を捕まえてその肉を引き裂き食べ始め、満腹になると女たちに勧められて酒を飲む。数斗飲んだところでふらふらになると、女たちの介添えを受けて奥に進み、寝入ってしまう。
・女たちの手招きに従って部下と共に武器を手にとって入ってみると、男は正体を現して白い大猿となっており、寝台に手足を縛られてもがいていた。欧陽コツと部下が体を斬りつけても傷ひとつ付かないが、急所であるヘソの下を刺すと、血が一気に吹き出た。白猿神は「これは天が自分を殺すのであって、お前のちからではない」と言って絶命する。
・岩窟の中は白猿神の残した奇妙な宝物であふれ返っていた。さらわれた女のなかには、攫われてから十年たっている女もいたが、容姿の衰えた女はどこかに連れ去られ、姿を消すということだった。
・欧陽コツの妻は既に白猿神の子を身籠もっており、一年後に男子を出産したが、その容貌は白猿神にそっくりだった。この子は聡明で、それを気に入った、欧陽コウと親交のあった江総が引き取って育てた。これが初唐三大家のひとり、欧陽詢(おうようじゅん)である。
最後に白猿神の息子として出てくる欧陽詢は実在の人物で、唐の太宗(2代目皇帝であり、武則天を皇后のひとりとしていた)を支えた賢臣のひとりだが、容姿が猿に似ていたらしい。では『白猿伝』は、欧陽詢を中傷するためにあったかというと、聡明という褒め言葉があり白猿神も度量が広いところがあって、残虐ではあるが攫った女たちも楽しそうにしている等、悪いイメージばかりでもない。(そもそもサルに似ているという事は貶す表現ではないのだろう)
それはそれとして、酒呑童子説話との整合で言えば、下記を例に、35点もの一致点があると分析されている。
人を攫う性質がある/貴人の親族を攫うことが討伐譚のきっかけとなる/深山に棲んでいる/常人の力では倒せず策を要する/酒を愛し、酔っ払う/登場時と寝入った際で姿が変わる/容姿の衰えた人は食ってしまう etc.
この一致点の多さが、酒呑童子説話の「母体」を「白猿伝」と認める理由になってくる。また、酒呑童子のイメージが猿から来た、ということであれば、高橋昌明氏が主張する、酒呑童子=疱瘡神であり、赤面の猩々のイメージが投影されていることにも重なる(と高橋昌明氏自身も指摘している)。
(なお一方で、「【内部】と【外部】」といった要素はこの説話にはないため、やはりここは日本で説話化する際に特有の「意味」が与えられアレンジされた部分であるとも読める。)
さて、この時点では、酒呑童子のモデルが『白猿伝』の大猿だ、という事だけなわけだが、ここからさらに展開される高橋昌明氏の説が、酒呑童子と斉天大聖の関係をみるうえでは重要になってくる。
高橋昌明氏は、『白猿伝』周辺の説話も調査し、『白猿伝』から発展したと思われる説話『陳巡検梅嶺失妻記』(以降、『失妻記』)に、『白猿伝』にはないものの『大江山絵詞』には相応の要素がある一致点を発見する。『失妻記』において白猿神の立ち位置に相応する白猿の精について、その居場所を占う占い師の要素(安倍晴明との相応)、占い師の部下の2名の神将が白猿の精を討伐している要素(源頼光、藤原保昌との相応)などがその一致点にあたる。
もし酒呑童子説話の「母体」が『白猿伝』だけであれば、安倍晴明や源頼光の要素が『大江山絵詞』に含まれてこない。つまり、『失妻記』の要素を取り込んで成立した経路も間違いなくあり、これ“ら“を「母体」に酒呑童子説話が成立したと推理している。
そして、この『失妻記』においては、白猿の精(申陽公とも呼ばれている)が、自らをまた、「斉天大聖」と名乗っているのである。
<④ :それで、酒呑さんは「斉天大聖」なのか?>
酒呑童子説話の「母体」のひとつであった『失妻記』において、酒呑童子の立ち位置に相応する「白猿の精」は、名を「斉天大聖」といった。
だから、サーヴァント・酒呑童子 = 斉天大聖である、のかも知れない。
しかし、ここで非常に気をつける必要があるのは、ここで言う「斉天大聖」というのは直接「孫悟空」を指している概念ではない、という点だ。
つまり、端的に言えば『西遊記』が成立したのは『白猿伝』が成立したずっと後のことであり、『西遊記』における「孫悟空=斉天大聖」の設定のほうが、『失妻記』の「白猿の精=斉天大聖」の設定を受けて誕生したと考えられているためだ。
この、『西遊記』の「孫悟空」の原像も一大テーマとして研究が深いが、福井敏氏の指摘を紹介する。
福井敏氏は、『西遊記』の孫悟空を、五行山に閉じ込められる前と、その後の2段に大別し、それぞれの孫悟空像をいったん別個に分類したうえで分析を行っている。氏の論文によれば
“この「孫悟空」の活躍時期にはおよそ五〇〇年のへだたりがあるのだが、「斉天大聖・孫悟空」と「行者・孫悟空」を比較してみると明らかに描写に差がみられる。”
(福井敏、「補江総白猿傳」にみられる「孫悟空」像-「孫悟空」の原像をめぐって-、奈良教育大学国文:研究と教育、1995)
として、五行山に封じられる前の時期の「斉天大聖・孫悟空」の原像側に、「白猿伝」との関連を見出していく。
西遊記のバージョンのなかでも源流に近い『楊東来本西游記』に登場する孫悟空が金鼎国の王女を奪って洞窟に閉じ込め妻にしていた点(これは『白猿伝』の妻をさらう要素につながる)なども指摘しながら、
“まず誰もが考えつくのは、「白猿」のつかうあやしげな術と「孫悟空」のつかう仙術とに似通った点があることだろう。「孫悟空」のもつ有名な「筋斗雲の術」(飛行能力)は具体的な術名こそないものの、「白猿」も似たような術を使っている”
“そのほかにも白猿の、白い衣を着用したいわゆる書生風の容姿は、宋代の『大唐三蔵取経詩話』中の「猿行者」に反映されており、「白猿伝」の『西遊記』に対する影響の大きさがうかがえる。”
(福井敏、「補江総白猿傳」にみられる「孫悟空」像-「孫悟空」の原像をめぐって-、奈良教育大学国文:研究と教育、1995)
としている。
孫悟空ではなく酒呑童子の話をしたいので、『西遊記』の成立についてはいったん深掘りはやめておこう。
ただ、酒呑童子オルタの可能性を掘ってみる、という視点、つまりこの『白猿伝』の大猿が酒呑童子その人だったのか、という視点では、もう一点重要な要素がある。それは、そのキャラクターの生死である。死んでしまっては、その後の時代に生をつないでいる(同一人物としてある)はずがないからだ。
実は、ヘソを抉られて絶命した『白猿伝』の白猿神と違い、『失妻記』では白猿の精、つまり斉天大聖は殺されていない。
“「失妻記」におけるサル、申陽公の最期はどのように描かれているだろう。如春の救出を乞われた真君は呪文を唱え、二人の天将を呼び出して申陽公を捕らえるよう命じた。(中略)二人の天将は間もなく、申公を鉄の鎖に繋いで真君の前に引き立てて来た。申公が脆くと、紫陽真君は判決を下し、申公を鄙都の獄に入れて罪を問うよう天将に命じた。申陽公は道教の仙人紫陽真君によって裁かれ、鄙都(地獄)の牢獄に送られる。しかし、申陽公の最期については何も記されていない。”
(西川幸宏『サルの異類婚姻譚と「白猿伝」』、アジア学科年報、2007)
※ 太字は筆者(私)による修飾
『白猿伝』では最後に白猿神は死んでいるのだから、それが『西遊記』の孫悟空に、説話としての影響を与えているにしても、『西遊記』の孫悟空その人であるはずはない。まして酒呑童子であるはずもない。
しかし『失妻記』の斉天大聖ではどうか。やはり『西遊記』の孫悟空に説話としての影響を与えていても、本人である指摘はどこにもない。『失妻記』の斉天大聖を『西遊記』の孫悟空と同一の存在と見なす者は殆どいないだろう。
とはいえ、FGOの世界ともなると、別かも知れない。「鄙都(地獄)の牢獄に送られる。」という『失妻記』の結末が、「五行山に封じられる」という事に通じており、ここから三蔵ちゃんに助けられて『西遊記』がはじまる、といった連結が成立しているのかも知れないし、それがいずれ酒呑童子と接続する流れがある……なくはない…の、かも、知れない。
生きていればこそ、の接続可能性が、『失妻記』にはあるわけだ。
いやいや、とは言え、『白猿伝』は、唐の成立初期の前くらいを時系列とする説話なのだから、日本はまだ飛鳥時代くらいのはずだ。『白猿伝』の白猿神が酒呑童子そのひとだとすると、酒呑童子が長生きすぎるではないか。
この話題は、次の記事でみていこう。
<いったんまとめる>
紹介してきたように、酒呑童子説話の「母体」が『白猿伝』『失妻記』にあるとすれば、サーヴァント・酒呑童子は、中国においては「斉天大聖」を名乗る白猿の精として存在していたのかも知れない。
「母体」が中国の説話にあるから、そのキャラクターが昔中国にいた、というのは、相当強引な主張というか、FGOにおける英霊個人のストーリィとしては成立していないようにも思うが、酒呑童子が「大陸にいた」筋を説明する要素が他にまるでないのも事実ではある。
ここで重要になってくるのが冒頭紹介した高橋昌明氏の「酒呑童子と斉天大聖の名前の相似」なのかも知れない。
酒呑童子(アサシン)の幕間で、日本に戻ってきた頃はフラフラとしており、茨木童子がいろいろと整えてくれた、としている。何らかの理由で酩酊状態で日本に送られてきた斉天大聖が、かろうじて憶えていた名前を、茨木童子が聞き間違った、というかなり強引な筋を成立させようと思えばできなくはないか………?
日本に流れついた別存在を、「鬼」とみなしたことで、正真の「鬼」となってしまう、という例は、我々はとあるイベントで見てもいる。
ただ、仮にサーヴァント・酒呑童子(となった人物)が、『失妻記』の時代から生き続けていた「斉天大聖」であったとしても、それが『西遊記』において三蔵ちゃんと旅をした「孫悟空」その人なのか、「孫悟空」は「斉天大聖」を同じく名乗っただけの別存在なのかは不明でもある。
仮にサーヴァント・酒呑童子が『西遊記』の「孫悟空」だとすると、FGOの三蔵ちゃんが酒呑童子に思うところある描写が現時点でなかったり、あるいは斉天大聖はコハエースで既に登場したり(しなかったり)しているといった数多の矛盾もある。かなり望み?薄なのではないか。
とはいえまあ、掘ってみるのも面白そうではあるので、各方面からみて、『西遊記』への参加が成立するだろうか、という事については、次の記事で見ていきたいと思う。
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