はじめまして、菜那子です。#1
はじめまして、菜那子です。
好きなものは、海と船です。将来の夢は航海士になることでした。
最近ハマっているのは、スケボです。隅田川沿いを滑走しています。
普段は外資系企業で(命を削りながら)コンサルタントをしています。
今日は少し生い立ちについて話そうかと思います。
1997年1月に東京郊外の町工場の家に生まれました。
毎年夏は、伊豆で過ごしました。だから東京育ちだけど海は身近な存在でした。小学3年生くらいのときに豪華客船飛鳥Ⅱの就航パレードを見学しました。これがきっかけで船が好きになりました。今でも飛鳥Ⅱは原点でもあり、憧れです。
あまり小中学校の記憶はありませんが、友達がいなかったことだけは覚えています。小さい頃から人と距離感を掴むのが苦手で、あまり学校にも通いませんでした。中学校は警察が常駐しているほど荒れていたので、高校は真面目な校風のところに進学しました。でも真面目すぎて、性に合わなかったので入学後1ヶ月で退学を決めました。その後いろいろありつつも、幸いなことに奨学金をもらえたので、オーストラリアの高校に留学しました。
オーストラリア留学は結構楽しくて、なんでもない日でも放課後にみんなでビーチに行ったりしてました。Marine Studiesの授業で、クラスメイトと離島にいってシュノーケリングしたり、船の操縦を学んだのはいい思い出です。英語はできないけど数学はできたから、学校代表として数学の地区大会に出場したりもしました。あ、あと通学路とか学校に野生のカンガルーめっちゃいました。懐かしい。
そんなこんなで(?)帰国後は、早稲田大学に進学しました。学部では「外れ値」みたいなお友達とたくさん出会いました。みんな変わり者で、でもそれぞれの分野で輝いていました。彼女たちは社会人となった今でも親友です。
そして大学在学中に「海と船が好き」「商船三井のにっぽん丸に乗れる」という理由だけで内閣府主催の「世界青年の船」という事業に参加しました。簡単にいうと世界各国の青年たちが1.5ヶ月間船上で衣食住をともにするという事業です。(事業の詳細は素晴らしいアラムナイたちが複数noteを出しているので、読んでみてください)
この「世界青年の船」という事業は私のキャリア観を大きく変えました。大好きな船に乗れたけど、結果として「航海士にはならない」と決断するきっかけになりました。船酔いがひどかったとか、そんな理由ではなく「私がやるべきことは他にある」と(謎の)使命感に駆られたからです。
思い返してみると、高校や大学で留学できたのも、「世界青年の船」事業に参加できたのも、その他在学中にいろいろな経験をさせてもらったのも奨学金(主に税金)があったからでした。こんなに社会に支えられているのに、なにも恩返しできていないと当たり前の事実に気づきました。
ただどうやって恩返しするのか、わからなかったのでとりあえず国際開発学、環境経済学、平和学、安全保障学など興味分野を勉強しはじめました。教授と仲良くなると、他の授業に潜らせてくれたり、シンポジウムに連れて行ってくれたり、他の教授を紹介してくれたりしてくれたので、効率的に知識を吸収することができました。同時に活動家の友人も多くいたので、その子達の活動に参加させてもらっていました。触り程度ですがフィールド経験も積めたのは良かったです。
勉強していく中で自分が興味範囲の根本にあるものに気づきました。
「誰かが傷つくことが嫌だ」
ということです。
開発学を勉強したのは、貧困に苦しんでいる人がいるのが嫌だったから。環境学を勉強したのは、気候変動により命を奪われている人がいるのが嫌だったから。平和学・安全保障学を勉強したのは、紛争・戦争により傷ついている人がいるのが嫌だったから。
こうして自分の中で「誰も傷つかない社会をつくる」というビジョンが完成しました。
ビジョンが見えてきてからの活動も書きたいのだけど、ちょっと長くなりそうなので今日はここまでにしておきます。
次回は、そのビジョンをどのように実現しているかを書いていこうかな、と思います。