活動体験記 No.26
「なぜそのような活動を続けているのですか?」初めて会う人に大学1年生のころから遺骨収集のボランティア活動に取り組んでいる話をするとよく聞かれる質問である。私はこれまでに沖縄で5回、北マリアナ諸島で2回活動させていただいたことがあるが、何度現場に入ってもその場所の雰囲気に慣れることはない。堆積した土の中や岩の隙間からご遺骨や遺留品(亡くなる直前まで使用していたかもしれない櫛、食糧難の中で料理に使っていた鍋、逃げるために履いていたであろう靴…)をお迎えするたびに「本当にこんな過酷な環境で人が生きようとしていたのだ。」と79年前の戦争によりもたらされた人々の悲しみや生活の痕跡を目の当たりにするのである。現代で数分後には命を落とすかもしれないと怯えながら生活している日本人がいるだろうか。日常に不満があったとしても趣味でストレス発散をしたり美味しいごはんを食べられたり、なんだかんだ今が楽しいと思える私は戦争に巻き込まれていないという幸せを当たり前のように享受しているのだと感じる。その一方で、戦没者は戦後79年経過した今もなお沖縄や異国の地で植物に埋もれながら眠っている。この事実を知って果たして見過ごすことができるのだろうか。故郷に帰ることのできていない戦没者がいるのに、戦争は終わったと言えるのか。昨今では終戦記念日を知らない日本人が増えていたり、平和学習に関連した特集を目にする機会が減っていたりするように感じる。そのような風潮がやがて世界を再び戦火の渦で覆うのかもしれない。遺骨収集に携わる私たち大学生には、同じ過ちを繰り返さないためには戦争という出来事を知っていなければと思う。そして、初めの問いに対する私の答えは「激動の時代を懸命に生きた戦没者やご遺骨を待ち続けるご遺族のため。そして現代を生きる若者として、過去の悲しい記憶を後世に繋いでゆく責任があるため。」だ。