weekly ivote #13 – 宣伝と独りごと(ルールは誰のもの)
代表のtomohiroです。
更新を一週怠ってしまい、気づけばもう8月。
この夏も茹だるような日々が続き、学期終わりの心身のゆるみも重なってか学生生活最後の夏休みの始まりからすっかり体調を崩しておりました。
今週のweekly ivoteは、ivoteの夏のイベントの宣伝と定例会議での雑談を素材に私の独り言です。
真夏のIVOTALK
私たち、IVOTALK(〈あいぼーとーく〉と読みます。)というイベントを何度か開催してきました。
あるテーマにまつわる体験やあるある、愚痴なんかを話しつつ、ふだんならそのまま通り過ぎてしまうそんな会話から社会や政治とのつながりを見つける、
そんなコンセプトの企画です!
細かな政策の話とか込み入った討論はしません。このイベントには荷が重いし、そういう狙いではないので。
漠然とした興味で覗きに来てもらえるようなつくりにしているので、どうぞふらっといらしてください。
そんなIVOTALKをまずはこの8月、2週つづけて開催します。
(9月にも開催すべく準備中です……)
初回は8月16日金曜日。
「SDGsで変わったことってなんだろう」
オンライン(zoomの予定)なので、ぜひ気軽にご参加ください!
ご質問などあれば、HPやSNSのDMでもお受けしております。
ルールは誰のもの
さて、それから今週の定例会議で「ルール」について雑談したのでそこで思ったことなど備忘録的に書いてみます。
交通ルールと校則を素材にはじまった雑談でした。
ぶっちゃけ交通ルール守ってますか、って。
おそらく大半の人は「ルールには従うべき」という信念を共有していると思います。そうでなければおよそ社会は破綻しているでしょうから。
もっとも正確に言えば『原則として』という副詞が、その共有される信念には挟まっていると付け加えなければなりません。
世の中にあるルールと呼ぶべきものをすべて破ったことのない人はまずいないでしょう。それは知らなかったからとかいうわけに限られず、また法令レヴェルのものも含まれるはずです。
さて、ルールを破る人や行為が、あるときにはかっこよく映るのはなぜだろうかという疑問があがりました。
私は、権力への抵抗という象徴性が英雄的な姿をそこにみることができる要因だと考えました。
理不尽な力との闘いは、英雄譚の定番です。
現代社会において、少なくとも法令は民主的に=みんなの声を集めて作られているという建付けのはずです。
それなのにルール違反が独りよがりな偽善でなくて、ともすれば相当数の人に共有される善ともみなされるのはなぜでしょうか。
まあ考えるまでもないことかもしれませんが、それはみんなの声が適切に代表されていないから、あるいはその変化が適切に吸収されていないからということになるのでしょう。
しかし冒頭に書いたように「ルールには原則として従うべき」という信念が共有されない社会は、秩序を失っています。
出前授業でもこれまで何度か口にしてきましたが、民主主義(デモクラシー)というしくみは、「従うべきルールを自分たちで作る」という原則に依っていると私は考えています。
従う人と治める人が一致しているという建付けです。
それは適用される社会の規模や専門性の高まりによって、変容が必要でした。「治める人」は従う人の集団それじたいではなく、従う人が選んで任せる方がうまくいくので国会や内閣にその役割が与えられているのです。
ひっきょうこの「従う人」と「治める人」の不一致さの増大、距離の拡大がルールへの不満やルール違反の正当化が拡がるカギだと思うわけです。
まあ何が言いたいかといえば、そのカギを握っているのが「政治」というプロセスだということです。
政治への不満は、政治のプロセスに乗せてあげるのが解消へのいちばんの近道であるはずです。ただ不満がひろがり、政治の外でいくら共有されたとて、その納得のいかないルールから解放された先にあるのは無秩序です。
自分の従わねばならないルールが納得のいくものであり続けるためにこそ、政治的に声を発し続ける必要があるんだろうなと。
いくら政治に見放されていると嘆こうとも、やっぱり政治を通してこそ私の社会は私にとってよりよい姿でいてくれるはずだと、そんな思いを新たにivoteの使命を再認識した時間でした。
(こんどはマナーとの関係も気になりましたが、それはまた別のお話。)
ちなみにこの雑談、実験的に録音・録画してみたので何らかの形で公開するかもです。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
ivoteでは、少し明るい未来に向けて一緒に活動するメンバーを募集中です。
いつでも会議の見学できますので、お気軽にお問い合わせください。
それでは、また。
tomohiro
2024年8月2日