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「選挙に行こう」では頷けない誰かへ

 6月22日参院選が公示され、街中には選挙ポスターがぼちぼち貼り出されている。
 ポストには参院選の入場整理券が入っていた。いよいよだ。

 私は、今回の選挙も投票に行く。
 それは私にとってあまりに当然のことだ。両親は選挙のたび投票に行っていたし、幼いころから投票に付いていくこともしばしばだった。だから、選挙があれば投票に行く、という行動はこと私においてはあまりに必然的で疑いようのないものだった。

選挙に行かない理由

 けれど、日本ではいまや投票に行く人と行かない人は数にして変わらなくなってきている。前回の参院選(私が選挙権を持って初めての選挙だった)では、とうとう投票率が50%を割っている。
 この事実はずっと認識していたし、だからこそ私はivoteで活動をしている。

 なぜ、半数近い人は、投票に行かないのだろうか。
 ivoteは参院選公示前の週末、若者を対象に街頭調査を行った。詳しい結果等はのちの記事にゆずるが、そのなかでもさまざまな声が聴かれた。

「選挙に関心がない」
「面倒くさい」
「投票日忙しい」
「現住所に住民票がない」
「投票に行ってもどうせ変わらない」

 など。

 なるほど、言いたいことはよく分かる。私も冒頭に書いたように親が投票に行く環境で育たなかったら「行かない側」にいたかもしれない。
 が、1年と少しivoteで活動するなかで、自分が投票に行く理由、他の人に投票を呼びかける理由は何だろうかと向き合ってきた。
 前置きが長くなったが、そこで見つけた個人的な想いを、ivote代表の肩書を借りて、これを読む誰かが行動を変えるきっかけになることを願って、この機会に少しつづってみたい。

私が投票するわけ

 まずもって、「あなたの一票で結果が変わる!」というような言い方は、私の考えにはあまりなじまないように思う。むろん、投票に行くときには、自分の選んだ候補が議席を得ることを望んで票を投じている。
 それじたいは間違いないが、現実に自分が投票所に足を運んだか否かで結果が変わるとは内心思っていない。(とはいえ一票一票の積み重ねが結果を決めているのだから、多くの人が足を運べば結果は変わり得るが、それはまた別のお話。)

 それでも、あなたが何かに不満を抱いているとき、何かおかしいと感じるものがあるとき、守りたいものがあるとき、それを投票というかたちで表明することには絶対に意味がある。
 他人事でなくて、「じぶんごと」だと思うことがらがあるなら(誰にでも絶対にあるはずだから、気づけたらというべきか)、声を届けるべきだ。その声には、以下でも書くように潜在的な力があるはずだから。

 それはひとまず置いて、私の話をしよう。
 私が投票に行く理由は、むしろ次のふたつにあるのだと思う。

一票の力

 ひとつは、自分の一票のもつ潜在的な力を信じていること。

 私が投票率の低下についてもっとも抱いている危機感は、いずれ本当に危機が到来したときに、もはや選挙によって民意を届けられないという事態に陥ってしまわないかということだ。民主主義のいちばん大事な点は、国民の行動によって「変えられる」ということだと思う。選挙がまっとうに機能しなくなることは「変えられない」社会になること。そうならないためには、自分が国民として力を持っているんだと、声を届け続けなければならない。

 それに、投じた一票は数字としてかたちに残る。投票した候補が当選すれば、自分の投じた一票はその議員の活動の後押しになるし、落選したとしても、その対立候補に投じられた一票は、その落選した候補者の背中を押すにとどまらず、当選した議員にとっても対立意見がどれだけあるかという事実は、活動する上で大きな意味を持つだろう。
 なにより投票率として残るその数字、それだけの人が選挙で声を上げ力を行使したという事実は、その後の政治家の行動や次の選挙での身の振り方に影響を及ぼし得る。
 その一瞬で実を結ぶかどうかは別にしても、私が一票を投じることには、私がここに有権者として生きていて、力を持っているんだということを訴える意義があるのだ。

知ってしまったのだから

 もうひとつは、社会にある問題を知ってしまった以上、それを無視して行動しないことは自分に嘘をついてしまうことに思われるから。

 私にとって、性差別の問題は大きな意味を持っている。この問題が特別に意味を持ち出したのは私が大学に入ってからだろうか。それ以前から一応の興味を持ってはいたが、どこか俯瞰的な視点でしか見ることができていなかったように思う。
 しかし、大学の授業で性差別の実態を学び、自分が男として生きてきたことで知らないうちに受けてきた、「自分の特権」に気づかされて、これはおかしいと思った。友人から、女であるがゆえに自分の道を狭められた体験をきいて恐ろしくなった。
 そして何より、自分の妹がこの構造に苦しめられることがあってはならないと思った。

 こうして性差別の存在を知った。守りたいものがあることに気がついた。これもひとつの「じぶんごと」なのだろう。
 知った私には、そのために行動する責任がある。動かないことは、差別を維持し助長することと同じだと思ったから。投票はそのうちのひとつ、いちばん簡単でいちばん確実な方法。投票用紙が届いたのに、それを無視することは、自分の中で許されないことだ。
 これも私が一票をつかう理由だ。
 自分のため、自分の大切な人のため、この星に生きる誰かのため。誰のためでもいい、投じることのできる一票を使う理由にはじゅうぶんだ。

 このふたつは、学校に主権者教育に行った際に必ず伝えるようにしている。自分が心の底から本音として伝えられることだから。
 私の一票がもつ力。誰かのために使うことのできる力。

選挙に行こうでは頷けないあなたへ

 長くなってしまったが、投票する理由なんて実際何でもいいと思う。
 上に書いたのは、私の個人的な考え、想いだ。
 あなたは、あなたが納得できる理由で、あなたの納得できるやり方で、その一票を使えばいい。

「投票に行け」とは言わない。「投票は義務・責任だ」とも私は言わない。
 けれど、「投票に行ってほしい」と思う。
 あなたは、あなたやあなたの大切な誰かのために使える力を持っているのだから。

 投開票は7月10日。当日行けなくともそれまでの期間でも投票できる。
 住民票を移していなくても不在者投票ができる。
 あなたが、投票に行かない/行けない理由でなくて、自分の一票の意味や可能性を少し考えるきっかけになれば、私がここに想いをつづった意味があったといえるだろうか。

2022年6月24日
tomohiro


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