約束の行方
約束は守られた。
長年生業としていた薬屋を畳んで、新たな勤め先としてスーパーに併設された薬品コーナーで働くことになったとその人から聞いてから、ずいぶんと月日が流れていた。
かつて彼が経営していた店の電話はとうに不通になっており、それ以外の連絡先を知らなかった私は気になりつつも向こうからの連絡を待つしかなかった。
その人は以前私が会社勤めをしていた頃の得意先で、営業補助業務の電話で話すうちに親しくなった。私の仕事は内勤だったが、休日に視察と称して店の方に何度か足を運んだ。お客さんが来るまでの待機時間に様々な身の上話を聞かせてもらった。歳は彼の方が二十近く上だったが、会話のリズムが合うのかなにげないやりとりが楽しかった。話は昭和の時代の店の経営の大変さについてが主だったが、自身の若い頃のことや現在の家族の話も時々語ってくれた。
私が会社を退職してからは付き合いはしばらく途絶えていた。けれど結婚を機に遠い街に住むことになり、うまく周りに馴染めない空虚な日々の寂しさからつい懐かしさが込み上げて、私から彼に連絡した。十数年ぶりの突然の連絡に驚きながらもやわらかく受け止めてくれた。とりとめもない話も辛抱強く聞いてくれた。私の気質をよく知る彼だからこそ話せたこともあった。
それからたまに電話で日常のことを話すようになった。既知の仲の心安さからか、誰にも言えずに抱えていた想いも少しずつ吐き出せた。共感も理解もされなかったが不思議と孤独ではなく、返してくれる言葉には嘘のないその人の想いが溢れていた。その日々が永遠に失われてしまったのだ。
落ち着いたら詳細を知らせると言われたが、なんとはなしにもう連絡はないだろうとどこかで思っていた。本当は新しい仕事なんて見つかっていないのかもしれないとまで思うようになっていた。
私を心配させまいとしてもっともらしい嘘をついたのか。何百キロも離れた街に住む彼の消息を知る手立てはなくて、ただ生きていてくれたらいいなと思うしかなかった。
自分は年来薬畑で働いてきたからそれ以外の仕事はできないと、折にふれては口にしていた。
大手チェーンの支店が地域へ出店するたびに頭を痛め、経営するお店の売り上げが低迷し続けても店を畳む決心はなかなかつかなかったと言う。
苦労話を聞かされるたびに私はまだまだ世の中を甘く見ているんだなぁと思わされたものだった。そしてそれらの苦労は彼が限りない愛情に満ちているからなんだと感じさせられた。
息子さんや娘さんに次々と降りかかった不本意な出来事、その金銭的な後始末を全て自身で引き受けてきたと言う。親にうまく甘えられなかった私はその話を聞くたびに妙な憧れと羨望を感じていた。その人に理想の父親を見ていたのかも知れなかった。
騙され続けた人生だったと、それでも人を信じることをやめられなかったと彼は言っていた。
約束は守ったよと言わんばかりの連絡に不思議と思っていたほどの感慨はなく、なぜだか一つの大切な思い出が終わったと感じた。もう好きな時に気安く電話をかけられないという事実は変わらなかった。
今度のお店は雇われ店長だ、50過ぎて初めて給料をもらう生活だよと言って笑った。
あのお店は本当に跡形もなく消えてしまったのだ。
そんな私の気持ちを見透かすように、じゃあまた次のオリンピックの年にでも連絡するとするか、あなたが元気で良かった、と軽やかに告げてその電話は切れた。
携帯の画面に残されたその人の番号を保存してもいいのか迷ったが、上の名前だけを入力して登録した。私からはもうかけることはないだろうと思いながら。