見出し画像

言葉がひらがなで聞こえる

数年前、高校の同窓会に参加した時のことだ。

ちょうど僕は芸人を辞めたばかりの頃。
何か言う度に「お、さすが芸人!」「芸人はすごいな!」みたいな愛情のこもったコミュニケーションとしての芸人イジリを数々いただいた。
もちろん、元々が仲が良いので全然問題ないし、久しぶりに会えて単純に楽しかった。バイト時代に経験した意味不明な芸人イジリ(という言葉を借りた罵倒)と比べたら、春風が吹くお花畑でジェットバスにゆっくり浸かるくらいに心地のいいものだ。(野性の芸人はある程度繊細なので、プライベートで見かけてもそっとしておいてあげよう)

ただ、そんな中で印象に残っているイジリ方をした友人がいた。

「春山は"げーにん"頑張って偉かったよ、"げーにん"なんてなかなか出来ないよ」

おおっ!と感心してしまったんだが、お分かりいただけるだろうか。

他の友人たちはイジリはすれど"芸人"という言葉に意味を持たせた上で、その内容で僕をイジッていた。
一方、彼だけはイントネーションで意図的に"芸人"という言葉をひらがな化して僕に投げかけてきたのだ。
発せられた言葉の内容ではなく、言葉そのものをイントネーションで崩壊させて「芸人」という職業そのものを辱めるアクロバティックおイジリ。

思わず「お前のやり方が一番酷いぞ!」とツッコんでしまったが、本人もヘラヘラとしていたし、恐らく意図的なものだろう。怖いやつ。

こんな風に、日常の言葉がひらがなとして聞こえることがある。

ある時は子供が保育園の友達のことを話してくれた時だ。

「なおくん、ばななうんち、したの」

かわいい。

2歳そこそこの子供が、バナナに負けないくらいの特大ウンチをするなんて、有史に残るほどの一大事だったことは想像に難くない。

ところがどうだ。子供から発せられる言葉は常に全てがひらがなで、出来事の大きさが漢字やカタカナに変換される前に心にすっと入ってくる。

多分ひらがな化された言葉は、発した本人が意図的かどうかは置いておいて、言葉そのものを無力化してしまうのだろう。

無力化された言葉は時に攻撃的で、時に愛らしく、時に切なくさせることがある。

20代半ばの頃、大学時代の友人と酒を飲んでいた時だ。

僕「そういえば〇〇、今度"けっこん"するらしいよ」

〇〇は友人の元恋人であり、僕の友人でもある。つまり二人の共通の知り合いだ。
話題の一つにしようとした"けっこん"という言葉が、あまりにもひらがなで自分でえっ、と驚いた記憶がある。

20代半ばの僕はまだまだ結婚なんて遠い世界の話だと思っていた。
フィクションの世界でたくさん見てきた、結婚。
20代そこそこの僕から、なんだかよくわからないものとなって口からモンワリと出てきた、けっこん。

彼は少し黙って「そうか、"けっこん"か」と呟いた。
彼のけっこんもなんだか僕以上にモンワリとしていて、「そんなモンワリした言葉を口にさせてごめん」と思った。

僕「そう、けっこん」
友「けっこんね」
僕「…」
友「…」

僕たちが発した"けっこん"は、モンワリとしたまま居酒屋の焼き場の換気扇に吸い込まれていったと思う。

この文章を書きながら、改めて「結婚」と呟いてみる。

結婚。

良かった、多分漢字だ。
もう一度呟いてみる。

結婚。

…うっすら読み仮名がふってある気もしてきたぞ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?