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甘い「飲むヨーグルト」の衝撃:異文化交流の洗礼

ブルガリア人にとってのヨーグルト

ブルガリアは日本人にとって馴染み深い国とは言い難い。唯一、ほとんどの日本人がブルガリアについて思い浮かべるものと言えばヨーグルトであろう。実際、ブルガリア人にとって、ヨーグルトは特別な存在だ。

僕の祖父母は山間部に住んでいた。羊や山羊、牛を飼っていて、祖母が新鮮な乳を使ってヨーグルトを作るのが日常だった。そのヨーグルトを使って作られる「アイラン」という飲み物は、僕たち家族にとって夏の定番だった。アイラン(トルコ語:ayran)は、ヨーグルトに塩と水を加えただけのシンプルな飲み物。バルカン半島から中東、中央アジアまで広く親しまれ、暑い日の乾いた喉を癒す定番だった。特に夏休みに祖父母の山の家に泊まりに行ったとき、昼間の暑さの中で飲む冷たいアイランは格別だった。

日本に住む前に、明治ブルガリアヨーグルトのプレーンを食べたことがあった。ブルガリア政府の認定を受けたこの製品は、ブルガリア由来のLB81乳酸菌を使用していて、ブルガリアのヨーグルトの味にかなり近かった。そのおかげで、日本のスーパーでそれを見つけたときも驚くことはなく、むしろ懐かしさを感じた。そして僕は、「明治ブルガリアヨーグルト」という名前がブルガリアのヨーグルト文化を尊重して作られていることを表していると感じ、誇りに思っていた。

甘い「飲むヨーグルト」との出会い

そんな記憶があったからこそ、日本の夏、蒸し暑い日にコンビニで「明治ブルガリア飲むヨーグルト」を見つけたとき、自然と手に取った。「ブルガリア」の文字が大きく書かれたそのパッケージに目が留まり、以前食べたヨーグルトの味を思い出した。きっとこの飲むヨーグルトも、故郷を思い出させてくれる味だろうと期待しながら、容器を開けて一口飲んだ瞬間――

「甘い!」

思わず驚きの声が漏れた。アイランとはまったく違う甘さが口の中に広がった。酸味は控えめで、塩味など全くない。まるでデザートのような感覚だった。その場で思わず立ち止まったが、彼女に「日本ではこれが普通の飲むヨーグルトよ」と教えられ、そうなのか、と思った。

でも正直に言うと、頭の中はとても混乱していた。明治は「ブルガリア」の名前を使いながら、ブルガリアには存在しない甘いヨーグルトドリンクを売り出していた。食べる方の明治ブルガリアヨーグルトは確かにブルガリアのヨーグルトに近い味だったのに、飲むヨーグルトではぜんぜん違う路線を取った。ヨーグルトを甘い物だと思っている日本人の常識に合わせて商品を開発したのだろうけど、「ブルガリア」と国名を冠していることから塩味のアイランを想像してしまった僕にとっては、大きな違和感どころか戸惑いを覚えるものだった。

ヨーグルトが繋ぐ文化

甘い「飲むヨーグルト」との出会いは、単なる味の違いに対する驚きにとどまらなかった。その甘い「飲むヨーグルト」は、塩味のアイランを愛してやまない僕にとっても、ちゃんとおいしい飲み物だったのだ。自分が甘い「飲むヨーグルト」をおいしく思うことなど、これまで考えたことが無かった。

つまり僕は甘い「飲むヨーグルト」を日本の文化が生み出したおいしい飲み物として受け入れていた。初めは甘い「飲むヨーグルト」のくせに「ブルガリア」を名乗るとはけしからんと思い、メーカーに文句を言ってやろうかと思うほどに驚いたが、このおいしさに免じて、「ブルガリア」を名乗ることを許そうと思うようになった。

以来、ブルガリアに帰ると、軽食店や街角の店でアイランを買うのが楽しみのひとつになっている。冷たいアイランは、忙しい旅の合間に喉を潤してくれる頼れる存在だ。同じ「飲むヨーグルト」でも、日本の甘い「飲むヨーグルト」とブルガリアのアイランはまったく異なる飲み物。それぞれの土地で育まれた個性があり、どちらも正解だと思う。甘い「飲むヨーグルト」との出会いは、異なる文化や価値観を受け入れ、それを楽しむことの大切さを教えてくれる体験だった。道場で柔道に触れた少年時代の僕の日本への憧れは、こうした発見を通じてさらに深まり、広がっていく。


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