解離性同一性障害(DID)になったきっかけ

注意 この記事にはOD(医薬品の過量摂取)や自傷といったワードが出てきます。フラッシュバックの恐れがある方、不快な気分になる方はブラウザバック推奨です。


はじまり

1999年生まれ。22卒で某IT企業に就職しました。
憧れていた営業になれて浮かれていた束の間、配属先は子会社でした。
子会社は古い習慣が残っているような会社で、上司からのパワハラとセクハラにより夏に適応障害、不安障害の診断を受けました。

休職後、別部署に配属されましたがその後もフラッシュバックや注意散漫、寝る前に涙が止まらないなどの症状で再度受診したところ、鬱病とADHDの診断を受け2023年に退職に至りました。

退職後から現在はパートナーに支えられながらフリーターをしています。

きっかけ

ずっとやってみたかった仕事をしてみようと思い、コンカフェとシーシャ屋で働いていました。

メンタルと身体の弱い私は、お客様のちょっとした言葉や店長の指摘で病んだり、体調不良で休みがちになることがありました。
「どこかに逃げたい、消えたい」そんな願望が頭から離れませんでした。

2024年1月、ODや自傷をするようになりました。
一時的でも幸せになれる、楽しい。身体に傷をつけて血を流すとすっきりする、といった感覚でした。
その頃には出勤前にODして労働したり、労働中に自傷することもありました。

2月18日。いつも通り仕事を終えると駅前のベンチでパートナーに電話をかけました。
「もう生きるの辛くなっちゃった。今までありがとう」
それからの記憶は曖昧です。


なんとかパートナーの協力で、無事に帰宅できました。
「いゆは寝ちゃったの!」
パートナーにそう言っていたようです。

翌日、精神科を受診し、「鬱の影響で解離している」との診断を受けました。

それから1週間後にようやく私は目を覚ましました。そして、自分の中に小さな女の子がいることも認識するようになりました。現在のすみれです。

別の人格たち

その後もまた記憶が無くなることがしばしば起きました。

どうやらすみれ以外にもう一人居るとのことで、その子に源氏名の候補にしていたシキと名付けました。シキはODや自傷することを希望していましたが、パートナーの説得で無事辞めさせることができました。

ある日、すみれからすいという人格が分裂して現れました。すいは時々吃音症でうまく話すことができない人格で、ODや自傷をする子でした。

その後、仕事中の記憶が無いなーと思っていたらコンカフェやシーシャ屋で”仕事モード100%の私”としてりりかが現れて、気付いたら頭の中で男性の声がして、生活や仕事の諸々をサポートしてくれるあめが現れました。

この頃には気付いたらシキちゃんが居なくなっていて、恐らくあめくんと統合したのかなと思います。

現在

現在は交代しながら、お互いを支えあって日々生きています。

人格のみんなは私のパーツで、1つでも欠けたら大変なことになってしまいます。そのくらいみんなのことが大切です。

治療方針やさらに過去の話については別の機会に。

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