妥協、迎合、価値観のようなナニカ
きっと大学入ってからずっと自分を見失い続けていたであろう落第生の備忘録。
1.今従っているのは本当に自分の価値観か?
こんなことを考え出したのは、大学4年生の時の経験がきっかけです。
端的に言うと、「好きで選んだはずの、2年学んだ専攻に全く魅力を感じなくなった」のです。研究を続ける意欲も全くなくなっていました。
そして「このまま研究を続けて、運よく卒業できたとしても、次に待っているのは全く興味のない大学院でしかない」ということに気付いてしまった時、私は生きている実感すら失ってしまいました。それが引き金になり、大学院進学を前にして4年次で留年。現在休学しています。
この際に私は自分を見つめ直し、「選択肢が限られているとき、その選択肢を自分が好きで選んだと思い込もうとする」思考が自分の中にあることに気付きました。
専攻選びも、実態を見ると、そもそも選択の余地がほぼない中で「好きになれそうなもの」を選んだだけでした。
これ以降、私は「過去の自分の行動の指針」を疑うようになりました。
2.自分の価値観を放棄した瞬間
そもそも私は「決められた道を自分の選択だと思い込む」思考を、大学受験の終盤に身に付けていました。
大学選びで意志を通せず、学びたかった分野を断念せざるを得なくなったことがそのきっかけです。そもそも中高時代完全に腐っていた自分は、勉強をそこそこにカラオケやゲームセンターに入り浸る生活をしていました。その際、ゲームやカラオケを通じて音楽に触れることで、「音楽が人の心に与える影響」にとても興味を持っていました。
そして私立大学で「音楽と心理学を両方学べる」場所を見つけた私は、当時の自分としては考えられないほど勉学に打ち込み、特待生枠を勝ち取りました。
しかし、国立大学に受かったことですべては水の泡。音楽も心理学も諦め、理系の道を進むことになります。
「お前は化学が好きだろう」「理系に進むほうが将来が広がる」など様々な言葉で両親や学校は私の翻意を試みました。私立大学に進ませる気がないことは明白。
学費がネックになるとわかっていたから、学費が免除される特待生枠を目指して、成し遂げたのに、その仕打ち。
私は「自分は化学が好きで、理系の学問を学ぶために東大に行く」と自身に言い聞かせて、芽生えていた音楽と心理への興味を全てかなぐり捨てたのでした。
今にして思えばきっとこの瞬間、私は自分の人生を他人事にしてしまったのでしょう。勉学意欲と成績が落ちていく中、ひたすら「思い込む」力を鍛え、「置かれた場所で咲いている」という自己暗示を繰り返して大学生活を歩むことになります。
3.むすび
まぁ正直な所被害者意識が膨れ上がっている部分が半分以上でしょう。
それでも自分の人生で最大の後悔を挙げるなら、間違いなく「大学選びで自分の意志を捨てたこと」だなと、何年も経ったのに未だに思います。
(こちらの大学にしていたら今の友人とは出会えていないなと思うのでそこは複雑ですが、それはまた違う次元の話だろうなと……)
確かなことは、「私大へ進んで音楽や心理学を学んでいる自分の姿」を、今でも夢に見てしまうこと。IFの妄想をほとんどしない自分が、その姿だけはふと思い描いてしまうのです。