「過去の経験」に自分の本質が眠っていてたまるか
「私は面接で未来の話は聞かない。過去の話しか聞きません」
そう宣言する人事の方がいるくらい、皆「過去」が大好きなようです。
実際、過去してきたことの話を聞くメリットというのは確実に存在しているのでしょう。
「今の価値観に紐づく経験が過去にあれば、再現性が担保できる」
これが"過去ばかり見る"最大の理由だろうなと思います。
さて。
私はこの「過去深掘り」が嫌いです。
もっと具体的に言うと、「過去の経験と今の自分を紐付ける行為」が嫌いなんです。
理由はとても明白で、
「過去の自分と今の自分の同一性が見いだせないから」。
最初のエントリで書いた通り、過去の自分の本質は「妥協」「意志薄弱」「自己暗示」。
他人の価値観や選択の余地のない選択肢を、「自分の意志で選んだことにしよう」と必死で自分を洗脳し続けてきた、そんな人間でした。
こんな人間の「過去してきたこと」のどこに、
自身の価値観が眠っているというんでしょうか。
私が経験してきたことはほぼ全て、「誰かの価値観」に従って自分の考え方を塗りつぶしながらやってきたことです。
そんな経験を掘り起こしたって、
見えてくるのは「誰かの価値観」じゃないか。
これに気付いてしまった自分は、過去と今を紐付けることに対して拒絶反応を起こすようになりました。
自分の価値観に従ったと思えない経験を掘り起こされて、「これがあなたの人生だから、これがあなたの価値観でしょう?」と言われる。
19の時に完全に死んで、今にしてやっと蘇ってきたと感じる"自分の自我"が、今まで積み重ねた「経験」に塗り潰される。
積み上げてきた20数年は、もはや私にとって"毒"でしかありません。
記憶喪失になりたい。