
「復帰」後私たちの日常はどこに帰ったのか展
住んでいる土地の昔の出来事を知ろうと思っても過去と現在がどうしても繋がらない。事実としてそういうことがあったということは理解できるが、今私が座っているこの土地もその事実の現場にいたものと思うと意識が遠のいてしまう感じがある。私の思考が甘いのかもしれない。
それでも私達は過去の繋がりの中の一番新しい瞬間なので、過去を知り未来へ繋げられるという特権を持っている。
前段の話が回りくどすぎましたが、知事選前の今日この頃平和学習と題し過去を学び未来に活かすしかないと思い、佐喜眞美術館にて開催されていた「復帰」後私たちの日常はどこに帰ったのか展を見に行き色々と考えたことを書こうと思います。
その前に、少し余談で。復帰から50年目を迎えるにあたり、昨年度政府が新たな沖縄振興策の検討の基本方向を発出しました。そこで、教育の事項で次のように書かれていました。
日本のアジアへの表玄関という沖縄の地理的特性に鑑みて、英語及びアジアの言語に関する教育は重要である。特に英語に関しては、米軍基地を始めとする豊富な教育資源を活用し、国内トップクラスを目指すべきである。
米軍基地を豊富な教育資源と言っちゃうんだな〜と思いました。それなら全国に豊富な教育資源となる米軍基地を作って教育力を高めてみてはどうだろうと嫌味っぽく考えてしまうぐらい何?この内容?と思ってしまいました。
さて、美術館では静かな展示室に凛と佇む作品たち。とても寡黙に、しかし近づいてみると作者の思いや気持ちが重たいと感じるほど伝わってきました。
作品を見終わったあと基地を見渡せる屋上に登ると、奥に青い海、手前に広々とした基地が広がり今まさに大きなヘリが離陸するところでした。
変わっているようで何も変わっていないんじゃないかと思う瞬間でした。
しかし、こんなに否定的なことを思いつつも、完全に私たちの生活はアメリカ統治下の影響を強く受けたものであり、それが一つの文化として住民に根付いていることは確かです。
全てを否定すると、戦後からここまで頑張ってくれた過去の人々の努力までも否定するような気がして乱暴に否定するのは違うよなと思います。そんなこんなで、自分の中の答えが中々でません。
そうこうしているうちに、美術館を出た私たちは米軍統治下中に、軍人で栄えた街やデパートに行き楽しく時間を過ごしました。これが沖縄の日常です。
話は変わって、Aマッソのヤンタンラジオで加納さんが、親戚が一同に集まった際に、畳の部屋で皆んなが集まったらピザやしコーラやろ!と騒がしくしていて、日本って戦争に負けたんやな〜と実感したと話していたことを思い出しました。
確かに、もし戦争の結果が異なっていたら、アメリカで人が集まった際には手巻き寿司パーティーが定番になっていた可能性もあるのかな〜と考えたりしました。今の日常生活も数十年前の戦争からの影響を受けた延長線なのかと思います。
戦争が起こってしまった時点で全国民の運命が変わりその影響が当時生まれていなかった私たちにも今なお残っています。今から生まれてくる人たちに私達は何を残して、何を改善できるのか。悩み続け考える必要があると思いました。
自分でも悩みながら色々結論が出ない話をしてしまいましたが、とにかく平和な世界でいたい。ただそれだけを思っています。