鯨と蜥蜴の尻尾 非公式外伝    【彼岸花】


序幕

これは夢だ。
彼女がそうはっきり認識できたのは目の前の惨状とあの男の姿をこの目に映したからにほかならない。

周囲を染める鉄の香りと滝のように打ち付ける雨が人体では捉えられないほどゆっくりと彼女の身に染み渡る。

音がうるさい。
ドクドクと脈打つ音が。
ざあざあと打ち付ける音が。
どろりと流れ落ちる粘着質な音が。

手元で鈍く光る刃を向ければ、ようやく目の前の男が口を開く。

「…………丹是舎さん!」

見知った者の声に目を開けば、呆れたような表情をしているであろう少年が大きくため息を付いた。逆光で表情が見えずともおおよそそんな顔をしていることくらいは想像がついた。
早く出てきてください。そう言う少年の言葉に従い、のそのそと押入れの中から外へ体を滑らす。
押入れの隅に隠れるようにして寝ていたせいだろうか。体のあちこちが固まり、いつもより動きが悪く感じる。

「酔ったから昼寝するとは聞いてましたけど、わざわざ隠れる事ないじゃないですか」
「あー、悪い悪い。つい、ね」
「毎回探すこっちの身にもなってください」
「はいはい、悪かったよ」

大体、丹是舎さんは。と小言を続ける少年の言葉を聞き流しながら彼女はふいと風を感じ、窓の外に目をやった。微かに開かれたそこからは雨音が響いている。陽の光が見えず、室内で揺蕩う蠟の火から推察するにすっかり夜も更けてきていたようだ。
故郷の日の本に戻ってくるのは何時ぶりだろうか。思い返せばあの日以降、戻っていなかったかもしれない。
あの月が綺麗だった雨の日。彼女が初めて地に膝を付けたあの日。

「这是一种习惯吗?(クセですか?)」

それまで小言を続けていた少年がふいに彼女の右肩を指差す。

「なにが?」
「それ。丹是舎さん考え事してるとすぐそこ触るから」

無意識だったのだろう。
彼女は握りしめていた右襟から手を離すとその手を目前に掲げた。
甲に這う蛇が、ジッと天を睨んだ。

「なぁ善悪くん。ちょいと昔話でもしようか」
「なんですか急に嫌ですよ」
「いいじゃないの。夜が明ければあんたは一度戻らなきゃいけねえ。ならその前に少しくらい酔っ払いの戯言に耳を傾けてもいいんじゃねぇの?」

にやりと笑う彼女に少年は隠すことなくまた大きくため息を付いた。
酔った彼女の相手はいつも少年だったからだ。

「只是一点点(少しだけですよ)」
「ありがたいねぇ。そうだな、あれはそう。今日みたいな雨が降ってたんだ」

彼女は満足そうに笑いながら窓の外を見つめ、酒の入った瓢箪を一度揺らした。


二十年前。日ノ本。難波にて。

そこらの庶民と比べれば生活に不自由することはない家に生まれ、両親にも恵まれていた。ただ、彼女にとってそれは不自由の代名詞だった。

「ここにいたのね。さあ、おけいこの時間よ」
「・・・・・・はい、かあさま」

良いとこの家に貰われるように、と毎日のように行われる教育に次ぐ教育。
茶、華、琴、それ以外にも多くのこと。
自由な時間など無いに等しかった。それでも彼女が腐らなかったのはひとえに兄の存在が大きかったのだろう。

「母上。ただ今戻りました」
「あら、お帰りなさい。慈罪」

丹是舎慈罪。それが兄の名前だった。
剣の才があり、自慢の息子だといつも母が言っていることだけ記憶している。
兄は優しかった。時折、暇を見つけては妹の息抜きに付き合ってやる程度には。妹はそれだけでも嬉しかった。兄が持つ剣の才に、その優しさにいつも助けられていたから。

「それじゃあ、行ってまいりますね母上」

少し意識をよそへ飛ばしている間に慈罪は母に頭を下げていた。
直ぐに発つと言わんばかりに荷を持った慈罪に妹は思わず声をかけていた。

「にいさま、どこいくの?」

妹の声に驚いたように慈罪は振り返った。
母は一瞬むっとした表情を浮かべたがすぐいつも通り横にしゃがみ込むと妹の背を撫でた。

「慈罪はお仕事で遠くへ行くそうです。見送ってあげなさい」
「あまり相手をしてやれなくてごめんな。讃岐の国の領主様が私の剣の才を買ってくれてね。手を貸してほしいと仰ってくださったんだ。またしばらく会えなくなるだろうけど、許してほしい」

しゃがみ込み目線を合わせる慈罪に妹は何も言葉を返せなかった。
返す必要もなかった。兄の才は誰よりも分かっていたから。
それがわかったのか慈罪は妹の頭を一度撫で、下げ緒に括られた赤い房飾りを指で転がし今度は振り返ることなくその歩を進めた。

「さあ、おけいこに遅れてしまうわ。行きましょう」
「はい、かあさま」

母に手を引かれ、歩き出す。
今生の別れになる。そんな嫌な予感が外れてほしいと強く願いながら。

その十年後、兄 慈罪の訃報が伝えられた。


十年前。日ノ本。難波にて。

-昼間-

その日は、雲一つない青空が広がっていた。
洗濯物がよく乾きそうだ、なんて嬉しそうに呟く母の姿を朧げに覚えている。

兄 慈罪が死んだ。その連絡を受けたのは妹だった。
使用人が一人もいないこの家では来客の対応をするのなんて母か妹のどちらかだったからだ。

兄の訃報を告げにきた男は泣き崩れる母にただ淡々と状況を伝え続ける。
讃岐の国へ赴いた兄はその才を認められ領主護衛の任につき、領主を守って死んだと。立派な最期であったと告げられた。
その言葉に感謝の意を表す母と違い、妹は疑心しか抱けなかった。

あの兄が死ぬはずがない。強く優しい兄が死ぬはずなど。
それこそ、不意を打たれない限り。

「こちらが、御子息が使っていた刀になります。これくらいしかお持ちできず申し訳ない」

ずいっとこちらに手を伸ばす男の手には一本の刀が握られていた。
母はいまだ泣き崩れ使い物にならない。ならば、と着物の袖を伸ばし男の手からそれを受け取り刀に目を向けた瞬間、妹の疑心は確信に変わった。

鞘についた無数の傷跡。
刀を抜いてみれば刃の濁りと欠けがその戦闘の壮絶さを物語っていた。だが、妹が目にしたのはそこではない。
その刀には房飾りがなかった。兄妹でそろいの房飾りが。

この刀は似ているだけの偽物であると母はわからないのだろう。
男の領分に口を出すな、手を出すな。女は女の仕事をすればいいと常々言っている人間だ。わかるはずもない。

震える手を隠すようにゆっくりと刀を鞘へ納めれば突如ビリっとした感覚が妹の体を駆け抜けた。
その感覚を追うように顔を上げれば男は母に目など一切向けていなかった。
物腰柔らかそうに聞こえる声を出し、母を、兄を労っているように見せながらその目は何かを見定めるように妹へ向けられていた。
ジッと獲物を見つめる蛇のように冷ややかで鋭い目に捉えられ、妹は思わず目を伏せた。
見つめ続けていればいずれ生きたまま喰われる。そんな感覚が抜けなかったからだ。
下を向いたまま固まる妹を見てか、母がようやく細く声を漏らした。

「どうか致しましたか?」
「いえ、実は私にも御息女と同じくらいの息子がいまして。御母堂と御息女の心中お察しいたします」

思ってもいないくせに。
その言葉は形にはならなかった。

「それでは私はこれにて失礼いたします。次の仕事が控えておりますゆえ」
「はい、お引止めしてしまい申し訳ありません。誠に有難う御座いました」

時が経ち、幾分か落ち着いた母と一言二言言葉を交わし踵を返す男の背を見つめながら妹は先ほど受け取った刀を握りしめた。
どういう訳か、兄と最後に会ったあの時と同じ嫌な予感がしていた。
何度も何度も確認し、男の姿が完全に見えなくなった頃ようやく妹は口を開けた。

「母上、あのお方は」
「讃岐の国の領主様の家臣のお一人です。随分とお優しい方です。使用人が一人もいないことをとても心配しておりました。慈罪が領主様の下でよい働きをしてくれたおかげですね」

あのお方はーーーーー様と言ってとても御強く、などと宣う母の言葉は耳に入らなかった。
あの男が、領主が取り立てたとは言え一介の家臣の家族に優しさなど表すものか。
男は正しく獲物を見定めていたのだ。
家中を把握し、何らかの事実を知る可能性のある者全員を始末するために。

兄を、慈罪を殺したのはあの男だ。


-夕刻-

昼間の天気が嘘のように夕刻頃には空が泣きだした。
室内は蠟の火を灯しても薄暗く、近くに寄らなければ人の姿など影にしか見えないほどだ。
この暗さと音だ。家に忍び込むにはもってこいと言えよう。

妹は昼間渡された刀を抱えたまま自室にいた。
懐には小刀。
たとえどんな状況になろうと一矢報いてやろうと思ったからだ。

緊張で手が震える。
昼間出会ったあの蛇のような男の顔が忘れられない。
冷たく、何を考えているのかわからないあの目が妹に確かに恐怖を与えていた。

ギシッ。とふいに廊下の板が音を立てた。
時期に闇も深くなる頃合いだ。いつ襲撃があってもおかしくない。

息を殺し、抱えたままの打刀の鯉口を切る。刀の扱いなど分かりはしないが、兄の、慈罪の扱い方をいつも見ていたのだ。わからなくてもやるしかない。

「まだ、起きているのかい?」

母の声だった。
襲撃ではなかったのだ。
ほっと息を吐き、返事をしようとしたその時ふと思い至る。

母は、この時間にこんなところを歩き回る人だっただろうか。

父はすでに帰ってきている。普段ならば父の世話で忙しいはずだ。
疑念は妹の息遣いを荒くさせた。もう隠す余裕などない。
ギィギィざあざあと音を混ぜながら母が一歩、また一歩と近づいてくる。

ギィギィざあざあポタッ
ギィギィざあざあポタッ
ギィギィざあざあポタッ
ギィ

部屋の目の前で音が止まった。
何処からか吹き入った風が室内の蝋の火を吹き消す。
障子の向こう側に透けて見える影は確かに母だった。本来であれば安心できたであろう。障子に映るその手に大ぶりの刃物の影がなければ。

「ああ、だめだよ。だめなんだ、危害を加えようとしてはだめなんだよ」

うわごとを呟く母の影はゆらゆらと揺れている。
前に後ろに右に左に。まるで亡霊のように。

「危害を加えてはいけないんだ!」

母が手に持っていた鉈が部屋の障子を切り裂いた。
その隙間から見えたのは一面の赤。
淡い色の着物が染まるほどの赤と鉄の香り。そして、狂ったように笑う母だったもの。

「母様!」
「ああ、だめだよ危害を加えては!」

妹の言葉など当に届きはしない。
それを知ってもなお声を上げるのは血の繋がりゆえか。
発狂したように奇声をあげ、鉈を振り回しながら迫りくる母から殺されぬよう妹はただなすすべなく刀を抱えたまま逃げるしかなかった。

ギィギィギィざあざあざあ

家の中を刀を抱えて逃げ惑う。重さなど感じている暇など無かった。廊下に出て広い部屋をいくつも経由する。狭い部屋の中に入ったところで捉えられてしまえばおしまいだからだ。
何部屋も経由しながら逃げる途中。母と父の寝室の前を通った時により一層強くなった鉄の香りに妹はすべてを悟るしかなかった。

「慈罪、ああ、慈罪。どこにいったんだい危害を加えてはいけないとあれほど・・・・・・」

考えることもなく本能のまま逃げ込んだ先の厨(台所)で息を整えていれば母の妄言が遠くで聞こえた。
どうやら寝室の方を探しに向かったようだ。
母のアレが妄言か乱心か。もう妹にとってはどちらでもよかった。
既に兄はいないのだから。

息を整えているとふと竈の上に見慣れない物が置いてあることに気づいた。
透明で固い筒に入ったきらきらと光る液体のようなものだ。
周囲を警戒しながらそれを手に取り、傾ける。
赤に、黄色に、緑に、青に。
様々な色に変化するそれを美しいと感じながらもなぜか少しだけ恐怖を覚えた。
こんなもの家で見たことなどない。
無駄な買い物を嫌う母が、こんなものを買うはずがない。

「あぁ、こんなところにいた」

声がすぐ後ろで溶けた。
とっさに小瓶を手にとって走り出せたのはたまたまだと言えよう。
振りかぶる母の一刀を避け、転がるように厨から走り出ればいつの間にか宵も深くなっていた。
しんとした家の中でまたギィギィざあざあと嫌な音だけが妹の姿を追い続けた。

しばらく走り回り、逃げ込んだ先はあろうことか自室だった。
無意識に慣れ親しんだ場所を求めたのだろうか。よりによって袋小路に逃げ込むなんて。
焦りは緊張に代わる。声は着実に一歩、また一歩とこちらへ近づいてきている。

迷っている暇など無かった。
意を決して破損した襖を開き、部屋の中へ体を滑り込ませる。最速で音がならぬようにしっかりと襖を閉め、押し入れの奥に身を押し込めると妹は深く息を吐いた。それと同時に刀を抱えたままの手がガタガタと震えはじめた。
死への恐怖からではない。母を狂わせた得体のしれないなにか。そして、不意に思い出すあの男の目が妹の体を震わせていたのだ。

暗闇に目が慣れるころ、ようやく震えが収まり妹は冷静になれた。
あれは一体なんなのだろうか。
母は兄が死んだくらいで気を狂わす人ではない。
ならば。

「これ……?」

竈の上で見つけた小瓶に入ったキラキラ光るなにか。
いくら考えてもこれが原因としか思えなかった。
傾ければ様々な色を見せるそれは木で栓をされている。こじ開けられないこともないだろう。
木の栓をこじ開け、小瓶に鼻を近づける。少し塩の香りがする程度で刺激臭も何も無い。少しだけ指に取り、口に含んでみても同じだった。
塩のようなしょっぱさだけが口の中に広がる。
これは一体何なのだろうか。

「ここにいるのかい」

不意に声が落とされた。
驚きのまま小瓶を落としそうになったが慌てて抱えなおし、胸元へ戻す。
一際大きな音が体の中から聴こえる。
気づけなかったのは思考し続けていたのが原因か。だが物音など一切聞こえなかったはずだ。

そんなことを考えている暇はないとでも言うように妹は胸に抱えたままの刀にそっと力を加える。子供が大人に、刀で鉈に勝てるとは到底思えないがそれでもやるしかなかった。
音を立てぬよう鞘から刀を抜く。暗闇の中できらめくそれが、何故か美しく思えた。

身を捩り、わずかに開けていた押し入れの隙間から外を覗く。母はまだ部屋の中をうろついているようだった。
くるりくるりとあたりを見回していた母が背を向けた。
その瞬間、妹は押し入れを飛び出し持っていた刀をまっすぐに突き出した。

はずだった。

刀は母の体に届く前に地面に落ち、それに引っ張られるように妹の体も崩れ落ちた。
日本刀の重さは約1キロ。
それを子供の体で抱え逃げ続け、あまつさえ振るおうなどということ自体が無理だったのだ。
痛みをこらえ顔をわずかに上げれば、目の前に母の足が見えた。

「ああ、危害を加えるものは、殺さなきゃ…」

母が手にした鉈を振り上げる。
この身に迫る脅威が妹の目にはゆっくりと写った。
ドクン、と心臓が強く脈打つ。
体が動いたのはきっと偶然だろう。

母の降り下ろした鉈が妹に到達するその直前。
妹は素早く胸元に隠していた小刀を抜き、振り下ろされる鉈に沿わせるようにして弾き返した。突然の動きに面を食らったのだろう。母はそのまま少し体制を崩した。その隙を逃さなかった。鉈をはじいた勢いを殺さぬように身を翻し、妹はまっすぐそのまま小刀を突きだした。

音がうるさい。
ドクドクと脈打つ音が。
ざあざあと打ち付ける音が。
どろりとその手に流れ落ちる粘着質な音が。
肉を裂き、刃が食い込む感覚がその手に伝わる。

「母様、申し訳ありません」

せめて、苦しまぬように。
妹は握っていた小刀を半回転させると持てる限りの力で引き抜いた。
栓をなくし、その勢いを取り戻すように溢れ出した生温い雨はあたり一面に降り注ぎ、室内も妹の体をも染めた。

少しの後、雨の勢いが弱まってくる頃。
ゆらゆらと力なく立っていたそれは次第に力をなくしふらりと妹の方へと倒れ込んだ。妹は既のところで数歩下がりそれを避けると、ただ呆然と母だったものを見下ろしていた。

思うところがないわけではない。
母を、肉親を亡くしたはずなのに。ただ、今は何故だか気分がよかった。
手にした小刀も着物もそのすべてが母と同じように真っ赤に染まっていた。

「あめ、あめふれ、ふれ、かあさんが……」

一歩、また一歩と歩を進める。

「真っ赤に染まって……」
「死んだか」

聞こえる声にゆっくり目線を上げれば、蛇がこちらを見下ろしていた。


-深夜-

自身を見下ろす蛇を見ても妹は身動ぎ一つしなかった。恐れや恐怖からではない。ただ、何の興味もわかなかったのだ。
蛇はゆったりとした動きでしゃがみ込むと事切れている母の体を弄り、苔のようなアザを見つけると一つ舌打ちを落とした。

「二百八番の血縁だからもしやと思ったが期待外れだったようだな。耐性もなにもない。全く使えないな」

目の前で母の遺体を足蹴にされても妹は何も感じなかった。
それよりも、その腰に下げている刀に目が行って仕方がなかった。

「貴方は誰」
「私は、讃岐の国の領主の家臣だ。それだけで十分であろう」
「二百八番ってなに」

蛇の動きが止まる。

「知ってるよ。兄上を殺したの、貴方でしょう?」
「どうしてそう思う?」
「あの刀、兄上のじゃないから」

蛇の目が少しだけ驚きで広がったように感じた。蛇は妹の言葉に少し考えるそぶりを見せ「鯨の毒に充てられているのか」と呟いた。

「鯨?」
「知らなくていいことも世の中には沢山あるんだよお嬢さん」
「・・・・・・そう」
「・・・・・・いやだが、興味がわいた。私と一緒に讃岐の国へ来ないか。寝る所も食べる物も与えよう。ただその代わり、私たちの実験に協力してもらいたい」

妹は蛇を見つめたまま黙り込んだ。
何も言わぬ妹に痺れを切らしたのか蛇が小さく息を吐く。

「来なくても構わん。来ないなら来ないでこれと同じように始末するだけだ」
「できるんですか?」
「するさ。主君の邪魔になりえるのならば」

蛇がゆっくりと腰に下げた刀を抜く。
長い手足とそこから繰り出される斬撃はきっと痛いだろうな。なんて考えてしまう。
妹はぼぉっと蛇を見つめたまま胸元に手を伸ばし、手にしたままの小刀に力を加えた。

「覚悟はできたか?」
「ええ。母上も父上も、兄上もいないなら生きていても意味はない」

蛇からゆっくりと目を外し、俯く。
なぜか小刀を持つ手にさらに力が入る。
蛇が構えた刀がカチリと鳴る。
その音に妹は俯いたまま目線だけをあげる。
小刀の柄がミシリと音を立てた。

蛇が、刀を振った。

瞬間、無意識に体が動いた。
母の時と同じように半身で刀を躱す。だが一歩遅く、蛇の刀を躱しきれず右頬から肩にかけて一筋の赤い線が走る。
痛みは感じない。

みしみしと音を立てる小刀を力任せに振りぬくがそれよりも先に蛇の足が妹の体を捉える。
長身から繰り出されるそれが妹の体を宙へ飛ばした。
妹の体は毬のように数メートルの距離を跳ねまわり、音を立てながら地面を転がった。
庭の木にぶつかり、ようやく止まったと思えば前後から与えられた衝撃で息ができず、吐き気が体を襲う。
雨はいつの間にか止み、月があたりを照らしていた。

「気が付かないと思うてか。鯨の毒の事は良く知っている」
「じゃあ、それも、わかってた?」

未だ息の整わぬ妹は震える手で蛇の足元を指さした。
指さした先を蛇の目が辿る。そこには割れた小瓶が転がっていた。
良く見れば綺麗に仕立てられた着物にもきらきらとした何かが零れたような跡が残っていた。
蛇はほんの一瞬考え込むしぐさを見せ、すぐにハッとしたように口と鼻を手で覆った。

「これは!」
「家にあった入れ物。探し物は、これ?」
「くそ、これの価値をわかっているのか!」

妹はただにっこりと笑うだけだ。
蛇は悔しそうに舌打ちをすると納刀し、速足でその場を去って行った。

その場には静寂だけが残った。


現在。日ノ本。讃岐の国にて。

そこまで話し終えると、彼女は喉が渇いたと言わんばかりに酒を口に含んだ。瓢箪からはぽちゃりと軽い音がする。

「就这样?(それだけですか?)」
「それだけって、まあまだあるんだけどさぁ。話していいのかい?」

そういいながら目線をやれば少年はいつの間にか用意していたのだろう茶菓子を口に含んだ。

「どうせ聞かないと駄々こねるんですから早く話してください。僕も時間が余ってるわけではないので」
「冷たいねえ。じゃあそうだね、続きを話していこうか」

瓢箪を揺らす。
ぽちゃりぽちゃりと軽い音が雨音と混ざりあう。

「あの後すぐに近所で事件が起こった。見知らぬ侍が発狂して民を殺しまわったんだ。近所の人にはどこの誰だか分からなかったようだけど私にはわかった。犯人は、あの蛇だったってね」

彼女はそう言うと自身の右頬に刻まれた蛇を一撫でし、いまだ雨音が響く窓を見つめた。


五年前。日ノ本。讃岐の国にて。

-春-

あの事件の後、妹はすぐに荷物をまとめ家に火を放った。
一家心中のあった家など誰も寄り付かないだろうと思ったからだ。
真っ赤に染まってしまった自分も、かつて住んでいた家も、すべての思い出を棄てていかねばならない。そう考えての行動だった。

荷物として持ったものはさほど多くはなかった。
あの時一度も振るう事の出来なかった打刀。
しばらく食うに困らないだけの路銀とどこの質屋でも買取してくれそうな高価な着物や帯を数点。
使っていた小刀はおいていくことにした。
刃に罅が入り、使い物にならなくなったからだ。

服装も髪型も変えた。
下ろしていた髪は高い位置でひとまとめにした。
母の趣味で着せられていた淡い着物はすべて捨て、より濃い赤の着物を好んで纏うようになった。そして、女の身でありながら袴を着て外を歩いた。

そうしてすべてを捨てて家を出た妹は僅かな情報を頼りに讃岐の国へ赴いていた。
讃岐の国の領主、二百八番、毒。分らぬことだらけではあったが少しでも死んだ兄の情報を得たかったのだ。
だが、あれから五年。新しい情報は一向に集まることはなかった。

顔に傷のある身だ。できる仕事など限られてはいたが、金が尽きれば妹は何でもやった。
店番も金勘定も客引きも花や琴の手習いの先生も夜鷹のようなことも。金を積まれれば人すらも殺した。
それはひとえに母の教育のたまものか。
だがそれ以上に、兄と同じように才はあったのだと思う。
女の身でありながら刀を振るう才が。

「なあ知ってるかい。領主様のこと」

昼時。ふらっと入った城下の飯屋で男どもが話している声が耳に入った。
近くに子供連れもいるというのに下品な連中だと妹は眉を顰めた。

「知ってるさ。数年前のあの事件の後、領主様に謁見できなくなった件だろ?あの事件の時、顔に酷い傷が残ったとか」

あの事件。ちょうど妹が難波で蛇と相対していた頃。
讃岐の国では領主の庇護下にあった子供が数人誘拐されるという事件が起きたらしい。一部の子供は戻って来たらしいが二人、行方不明のままだという。内部犯の犯行か、それとも外部か。一時期はその噂で大盛り上がりしたという情報は讃岐の国に来たばかりの頃、妹の耳にも入ってきていた。

「そうその話だ。実はその領主様なんだが、奥方様が領主様に成り代わってるんじゃないかって話だ」

初耳だった。
妹は何事もないかのように食事を続けながら背後の男たちの会話に耳を傾ける。
男どもは興奮したように声量を上げながら話し続ける。

「眉唾もんだなあ。大体、女に政が務まんのかね」
「そうは言うが実際、領主様と会えなくなってからの方が治安がいい。もしかしたら、もしかするかもしれんぞ」
「お前の噂好きにも困ったもんだな」

ゲラゲラと笑う男どもの声に吐き気がする。
耐えきれず妹が振り返り、声を荒げようとしたその時だった。

「全くだ」

カツン、と石突がぶつかる音が響く。
店内にいた全員の音が消え、そこにいる全員の目が噂話をしていた男どもの方に向いていた。

目線の先には猟犬がいた。
特注品であろう鮮やかな青を纏った美しい猟犬が。
猟犬は冷ややかな目付きで男どもを睨みつけると殊更冷たい目を向けた。

「北郷様の苦労も知らず在りもしない噂話に花を咲かせるとは、ずいぶん暇なのだな」
「こ、これは、その・・・・・・」
「いいか、一度しか言わない。よく聞け。北郷様はお忙しいお方だ。その忙しさ故、民と顔を合わせる暇が取れぬのだ。いいな」

有無を言わさぬその圧にすでに男どもは震えあがっていた。
ガタガタと忙しなく立ち上がったかと思えば男どもは深々と頭を下げた。

「は、はい。申し訳ありやせん」
「わかればいい」

振り返りざま、バチリと目があった。

「なんだ、女。私に何か用か」
「い、え。失礼いたしました」

そう答えれば男は興味を失ったというよう震える男どもにも妹にも目もくれず店をあとにした。
随従していた紫色の着物の女が慌てた様子で男の後を追う。

あの男の目に見覚えがあった。
冷たく鋭い蛇のような目。
思い返せばあの時、蛇は母に何と言っていただろうか。
思考はやがて形になり、口は意思に反して自然と言葉をこぼしていた。

「蛇の、息子・・・・・・?」


-夏-

あれから暫く、妹は大小様々な情報を仕入れた。その際にあの時にいた男は領主 北郷の懐刀 経辺列花であることを知った。

長尺刀を扱い、巷では武神の名で知られていること。
先祖代々仕えており、領主の信頼が深い事。
そして、領主のためならばどんな相手も切り捨てる猟犬のような人間だということ。

それ以上詳しく調べることは叶わなかったが、立ち居振る舞いやあの冷ややかな目が確かに蛇の息子であると知らしめていた。

あの猟犬は領主 北郷に代わり、城下を監視する役目を担っているようだった。
ようだった、というのも城下で日銭を稼いでいると決まって城下を闊歩しているのを見かけるからだ。

「あのお侍さんは暇なんですかね」

遠くで巡回している猟犬を見つけ、そう女将に問いかける。
巡回中は目立たない着物を着ていることが多いが妹はよくその姿を見つけていた。
あのお侍さま?と問い直す女将に指をさして見せればおやめ、と手で制された。

「そんなこと言っちゃあいけねえよ。あのお方は領主様に代わって城下の治安を守ってくださってるんだから」

あの細腕で何を守れるというのか。そう言えば女将が慌てたように首を横に振った。
どうやら密かに想いを寄せる女が多いとのことだ。
変わった女もいるものだと妹は心からそう思った。
あんな変わり者と一緒になれる女なんて限られているだろうに。

「そんじゃあ、私はこれで」
「あぁ。また来ておくれよ」

前掛けを外し日銭を受け取ると妹は店をあとにした。その後ろ姿を不憫そうに見つめる女将の姿など一切気にすることなく。

今夜は仕事があった。

宿に帰り、仕事の準備を始める。
黒い着物を羽織り、袴を締め、髪を括る。
終わりに目じりに朱を指せば完成だ。

昔は振るう事の適わなかった打刀を手に取る。
この重さにもずいぶん慣れたものだ。
帯刀して軽く馴らす。
軽く鯉口を切れば鈍色が煌めいた。

準備は終わった。
窓を開ければ今夜は月が辺りを照らしていた。こういう日は闇に紛れるにもコツがいるだろう。

今夜の標的は町の金貸しだ。
暴利を貪っており、身内が何人も身を投げたのだとか。
依頼主の事情など知ったことではないが、金が貰えるのであればなんでも良かった。

窓伝いに宿を出てしばらく歩けば町のはずれにたどり着いた。
金貸しは仕事終わりに呑んで帰ってくるのが常だ。今夜もその瞬間を狙うつもりだった。

ちらり。
視界の端に青が映った。
思わず身を屈め姿を隠す。まだ疚しいことなどしていないはずなのに。

自身の動きに疑問を感じながらも物陰から様子を窺えば、その青の持ち主はやはりあの猟犬だった。
抜き身の刀が月明かりに照らされている。

「この先は何もないはず……一体どこへ?」

気になってしまったら駄目だった。
依頼の期限は今夜まで。それでも好奇心を押さえきれなかった。
妹は金を得る機会を放棄し、足早にしかし静かに猟犬の後を追った。

猟犬は迷いない足取りで街道から外れるとすぐそばの林の奥に入っていった。奥に進むにつれて月明かりも届かないほど暗く、妹は次第に追いかけるのが難しくなり、眉を顰めた。
追いかけ始めて暫く経った。
どこまで行くのか。流れ始めた汗を拭い始めた頃、突如開けた場所に出た。
慌てて姿が見えないよう少し距離を取り草木の影に隠れ様子を見れば、そこはまさに地獄と称するに相応しかった。

町民が数人。互いに武器を持ち殴りあっている。鉈を、鍬を、鎌を持ったまま殴っているのだ。

「ずいぶん減ったな」

猟犬は人数を確認するように見回すと問題ないと言うかのようにゆっくりとした動作で長尺刀を構えた。
それに気づいた町民たちが一斉に標的を猟犬に変え、襲い掛かる。

一閃。

切り裂かれた草花が風圧で舞い上がり、月明かりに照らされた刃が美しく煌めいた。
一太刀、二太刀と容赦なく町民たちを斬る猟犬の姿に妹は釘付けになった。
その動きに。その太刀筋に。返り血を浴びてもなお美しいその姿に。

元より武神と名高い侍となんの訓練も受けていない町民たち。
勝敗など分かり切っていた。

猟犬が最後の一人を斬り捨てる。林の中は虫の心音すら聞こえそうなほど静まり返った。

刀を振り、血を払い落とす。
その動作すら無駄が省かれたものだ。

周囲だけでなく顔にまで飛び散った赤はいったい誰のものか。
全員が事切れていることを確認した猟犬は鞘に手をかけたところで不意に動きを止め、バッとこちらを振り向いた。

目が合った、そんな気がした。

刹那、妹は痕跡を残さぬよう静かに、急いでその場から駆け出した。

音がうるさい。
バクバクと心臓が大きく脈打つ音が。
ざわざわと木々が揺れる音が。
カチンと響く刀を納める音が。
かあっとするような自身の血の動きすらも。

息が切れる。
急激な運動に脇腹に痛みが走る。
それでも足は止まらなかった。

出たときと同じように宿に戻った妹は荒い息を隠すことはせず、自身の手で顔を覆った。

先ほどまで見ていた光景が瞼の裏に映る。
舞い散る草花。
弾け飛ぶ赤。
真っ白に輝く月。
そして、鮮烈なまでに鮮やかな青。
青。
青。

「・・・・・・すごく、綺麗だ」

この日、妹は初めて仕事を放棄した。


-秋-

もし、自分の人生の転換期を指すならばここだと声を大にして叫ぶだろう。

妹が讃岐の国へ来ていつの間にか半年が過ぎ、季節は秋に差し掛かっていた。
あの日、初めて依頼をこなせなかったことを依頼主は責めなかった。
以前より依頼を受けていた付き合いのある人間だったという事もあるが、それ以上に妹の力量を買っていたのもあるのかもしれない。

ある日、その依頼主から再び依頼が舞い込んだ。
城下町の外れにある小さな村。花で有名な村に住む男を殺してほしいとの依頼だった。
金は以前と同じ、いやそれ以上に積まれていた。
一度失敗している以上、これ以上の失敗は自身が許さなかった。

妹は目の前の依頼主代理にこっそりと目をやる。
いつも依頼主の代理で依頼書を持ってくる幸薄そうな女だが今日はいつも以上に暗い顔をしていた。
よく目を凝らせば紫色の着物に微かに血の跡が見えた。
意に反する仕事でもこなしてきた後なのだろう。
昔の自分ならば大丈夫かと声でもかけたのだろうな、と思いながら妹は一言「引き受ける」と言葉を返し依頼書をひったくるように受け取ると、その場を去った。
すぐに準備し、今晩にでも終わらせるつもりだったのだ。

夜。
宿を抜け出す頃には今朝の快晴が嘘のように空は厚い雲に覆われていた。
どんよりとした空気が辺りを包んでいる。

「雨でも降りそうな天気だな」

さっさと終わらせるに限るだろう。
妹は少し歩くスピードを上げ、目的の場所へと向かった。
標的は一人。そんなに時間はかからないはずだった。

村に着くころには、はらはらと空が泣きだした。
村にいる人間は最悪、全員始末していいと聞いている。
ならば遠慮することはないだろうと村に入る前に刀を抜き、一歩足を踏み入れる。
だが、入ってすぐに違和感を覚えた。

人の気配が一切しないのだ。
既に普通の人間は眠りにつく時間。気配が薄くなっていても仕方がない。
だが、そうではない。
ここに生きている人間は一人もいない。そう思わせるくらい辺りはしんと静まり返っていた。

不意に遠くから音が聞こえた。何かが裂け、倒れるような音だ。
こんなに静かな場所でその音は不自然だった。だがなぜか足は自然とそちらへ向かった。
一歩、また一歩と近づくにつれ、徐々に音は大きくなっていく。

花だらけの村の中、整えられた道を辿るように音の発生源へと向かう。しばらく歩けば開けた場所に出た。

目にしたのは一面の赤。
どうやらここは村の名物となっている彼岸花の群生地だったようだ。
それだけではない。
美しい彼岸花の群れの中に倒れ込む人々と木々や草花の香りより強い鉄の匂い。

そして、その中心でただ唯一佇む青。
それは彼岸花の中で月の光をその身に受ける強烈な青を纏ったあの猟犬の姿だった。

薄い雲から時折覗く月と霧のような雨の中、その手に持つ刃は赤に染まっている。

「やはり雨はダメだな。雨天でも使えるようにならねば意味はない・・・・・・また、やり直しか」

月を見上げぼそりと呟く猟犬の声が風に乗り妹の耳に届いた。
今ならばまだ逃げられる。
そう思い一瞬足を浮かせるも、妹はしばし考えると上げかけた足を再び地に付けた。

「今回は、逃げないんだな」

こちらに背を向けたまま猟犬はそう妹に声をかける。
以前、目が合ったように感じたのは気のせいではなかったようだ。

さて、どうするか。と妹は黙ったまま目だけで周囲を見回した。
辺り一面に広がる彼岸花と死体の海。
背後には長い長い道があり、その先には民家。
正面にはいまだ背を向けたままの青い猟犬。

どう考えても猟犬を相手にし、無事にこの場所から逃げ切る自信は出なかった。
妹は大きく息を吐きだすと覚悟を決めたように刀を構えた。

「武神 経辺列花。お相手願う」
「やめておけ。 " 女 " を斬る趣味はない」

猟犬は興味なさそうにそう云い放つと周囲にある死体を注意深く確認し始めた。
ぶつぶつと何かを呟いている様子から記録を取っていることは容易に想像がついた。

霧雨だった雨は徐々にその勢いを増していっていた。
周囲を染めあげる噎せ返るほどの鉄の香りと空が零した大粒の涙が妹の身に染み渡る。

妹の体は震えていた。
雨に打たれたからではない。
女。
ただそれだけの理由で刀を持っていても相手にされていない。その事実が妹を震えるほど苛立たせた。

体の内側から声が響く。
見ろ。
見ろ。
もっとこっちを、私を見ろとナニカが叫んだ。

ミシッと柄が音を鳴らす。
妹は湧き上がる感情のまま、手元で鈍く光る刃をゆっくりと猟犬へ向けた。

「ーーーーー!」

見知らぬ男の名を叫ぶ。
それはあの頃、母が何度も何度も言い聞かせるように繰り返したあの蛇の名前だった。

その声に猟犬はぴたりと行動を止めた。
ゆっくりとした動作であの蛇と同じような目を妹に向けたかと思えば、何かを言いたげに口を開閉し、そして刀に手を添えた。

「気が変わった。後悔するなよ」

猟犬が刀を構える。
その動作にゾクゾクとした感覚が妹の体を駆け抜けた。

音がうるさい。
ドクドクと心臓が脈打つ音が。
ざあざあとこの身に打ち付ける音が。
どろりと喉を流れ落ちる粘着質な音が。
掻き立てられるようにこの身を流れる血の音が。

そして猟犬の目から伝わる死の気配と圧に心が震えた。

「後悔なんて、しない!」

叫ぶと同時に距離を詰め、首を狙う。
分かりやすい挙動に猟犬は最低限の動作で避けるとそのまま刀を振るう。
それを避け、今度は足を狙う。
避けられ、胴を狙われ慌てて猟犬の刀を下から弾くがそのまま身を翻し右の脹脛を切られた。
身体が傾く。それでも負けじと首を狙う。
だが、それすらも軽くいなされてしまい、痛みで体勢を崩した妹は周囲に散らばる死体の上を転がった。
数手。
たった数手だけで妹の体は血と泥で汚れていた。

痛む体に鞭打ちながら刀を構えなおすと、突如、猟犬が走り出した。
一歩遅れて妹が猟犬の動きに対応する。

刀がぶつかる。
勢いの乗った重い斬撃に体も刀も折れそうになり妹はとっさに刀に手を添え耐えた。
なぜか足元がおぼつかない。傷の痛みもあるだろうがきっとそれだけではない。
それとも、男と女の性能の差なのか。その事実に妹はギリッと音がなるほど歯を食いしばった。

もし、自分が男であったなら兄は死なずに済んだのだろうか。
もし、自分が男であったなら父も母もあんな死に方はしなくて済んだのだろうか。
もし、自分が男であったならもっと上手くあの蛇と戦えていたのだろうか。
もし、自分が男であったならこの猟犬は最初から自分を見てくれていたのだろうか。

いくつもの「もし」が頭の中を駆け巡る。
それが油断となったのだろう。

不意に猟犬が刀から力を抜いたかと思えば、足を振りぬく。
脇腹に入った一撃はそのまま妹を飛ばし、花畑の上を転がった。

膝をつき、立ち上がろうとする妹の目に入ったのは一面の赤の中、ひときわ目立つ青を纏った猟犬の姿。
猟犬は村人の返り血で微かに汚れた顔でジッとこちらを見つめていた。

既に妹の息は乱れきっていた。それでも体は自然と刀を構えなおしていた。
猟犬は小さく息を吐くと一言「つまらんな」と呟いた。

「は?」
「つまらないと言ったんだ。その程度の腕で、女の身でこの私に挑もうなどとは」

猟犬が刀を肩に担ぐように構える。
この一刀で終わらせようとしていることは容易に想像ができた。
痛む足を庇いながら妹も刀を持つ手に力を入れる。

勝負は一瞬で決まる。
先に動いたのは猟犬だった。

素早い動きで振るわれた長尺刀が妹の左肩を抉ろうと迫る。
その瞬間、妹は避けることを放棄し、ただ前へ突っ込んだ。
刃の根元が妹の肩に食い込み鮮血が舞い散り猟犬の頬を濡らした。あの日と同じように。

痛みで意識が遠くなる。
このまま眠ってしまえば楽だろう。だがそれ以上に、この猟犬に一矢報いてやらなければ気がすまなかった。

妹は肩口に食い込んだ刀が逃げだす前に素早く左手で掴んだ。
刃に手が食い込み、血が流れ落ちる。じんじんとした痛みと燃えるような熱さが左手に集まっても手は離さなかった。
刀は右手一本で持っている。思いっきり振り回せばどこかしらには当たるだろう。

自身の刀を返す。それに気づいた猟犬が刀を引こうと力を加えるが、抑え込んでいる手がそれを許さない。
刀が動かないことに猟犬は一瞬、驚いたように大きく目を見開いたかと思えばこちらを見てニヤリと口角を上げた。

力の限り刀を振る。
それと同時に猟犬は先ほどよりも強い力で思いっきり刀を引いた。

勝負に勝ったのは、猟犬のほうだった。

妹の刀は一歩遅く空を切り、力の抜けた手からすっぽ抜けた刀はくるくると空を舞い、少し遠くで墓標のように地面に突き刺さった。

もうすでに左手に力は入らない。
武器もない。
ふらつく足はやがて膝から崩れ落ち、妹は諦めて体を倒し天を仰いだ。

周囲の赤は一体どちらの赤だろうか。猟犬が刀から血を払う音が聞こえる。
火照った体に降り注ぐ雨が妙に心地いい。コキと首を鳴らす音が聞こえる。
ここで終わってもいいと思った。サクサクと近づいてくる音が聞こえる。
強く美しいこの猟犬に斬られるのならばそれでもいいと。

猟犬が妹を見下ろす。
特注品であろう青のコートにわずかに切れ目が見えた。
どうやらあと一歩届かなかったらしい。

「名は」

猟犬が妹に向け言葉をこぼす。

「・・・・・・え?」
「お前の名は」
「なん、で?」
「お前の、名は」

数回同じように問われたが、妹には意味が分からなかった。
少しの間思考し、言葉を発する。

「や・・・・・・」
「や?」
「 " 丹是舎慈罪 " 」

自身の名ではなく兄の名を答えたのはきっと無意識だ。
兄の名は誰も同じ名を聞いたことがないと有名だった。
一度聞いたら忘れられないとも。
この猟犬の記憶に少しでも残るのならば刀を持ったただの女ではなく、 " 丹是舎慈罪 "という名を残したかった。
それが、兄の弔いになると思った。

「丹是舎慈罪・・・・・・あと数年、足りなかったな」

猟犬の持つ刀がわずかに動き、妹は満足そうにゆっくりと目を閉じた。
ようやく終わる。そう思った。
だが、いつまでたっても想像していた衝撃は来ず、代わりに響いたカチンという音に妹は目を見開いた。
見れば猟犬はその長尺刀を鞘に納めていた。

「は?」
「興が醒めた。弱い者に興味はない」
「ふ、ざけんな!」

そのまま立ち去ろうと踵を返す猟犬に向けて妹が叫んだ。
痛む体を無理やり起こし、這いずるようにして猟犬を追う。

「弱くない、私は、 " 丹是舎慈罪 " は弱くない!」

猟犬の袴の裾に手を伸ばし掴む。だが興味ないと言うように軽く払われ、猟犬はさらに歩を進める。

「ふざけるな、ふざけるな!殺せ、殺せよ!今ここで!」

再び袴を掴もうと手を伸ばすが手が空を切る。
身体が発する激痛に、妹はもう指の一本も動かすことができそうになかった。

「さらばだ、 " 見知らぬ剣士 " 。次は・・・・・・いや、忘れろ」

「早く北郷様の元へ戻らねば」と呟くと猟犬は容赦なくその歩を進めた。
こちらを一瞥もせず、その背中が徐々に遠のいていく。
微かに見えていた青が、次第に掠れていきやがて完全に見えなくなった。

「ふ、ふふふ、あはははは!」

妹は体は地に伏したまま拳でガンッと音がするほど地面を叩いた。何度も、何度も拳を打ち付ける。皮膚が裂け血が流れようがもはやなにも気にもならなかった。
雨で冷えていたはずの体が急激に熱を帯びていく。
それは怒りか悔しさか、はたまた両方か。どちらにせよ、地面を殴る手は止まらない。

「あんたにとって、私は、 " 丹是舎慈罪 " は覚える価値もないってのか!」

音がうるさい。
ざあざあと打ち付ける音が。
ざらりとその手に伝わる音が。
ボコボコと沸騰するように湧き上がる血の音が。
バクバクと何かを伝えるように鼓動する心臓の音が妙に恨めしかった。

悔しい。憎い。恨めしい。腹が立つ。
あれだけ美しいと思っていた姿が途端に思い出すのも腹が立つほど憎らしくなった。

「だったら全部、全部壊してやるよ。あんたが愛する者もあんた自身も、全部!」

また強く拳を打ち付ける。数度拳を打ち付ける頃、不意に妹の耳からすべての音が消えた。どうやら血を流しすぎたらしい。
ぐらりと地に伏したままの頭が揺れる。
意識を失う直前、慌てた様子で駆け寄る白衣の男を見たような気がした。


目が覚めれば、妹は見知らぬ民家の布団で横になっていた。
見回せば部屋には白衣がかけられ、部屋のあちこちからは何かの薬剤の匂いがした。どうやら運よく医者かなにかに助けられたらしい。

ゆっくりと体を起こし、動きを確認する。
体の節々が固まり切っていたことから相当な時間を寝て過ごしていたのだろう。体を伸ばすように立ち上がり部屋の中を軽く動いていると、机にぽつんと置いてあった自分の着物を見つけた。
近寄って手に取ってみればボロボロで血と泥に塗れていたはずのそれは綺麗に洗われ、修繕されていた。

「・・・・・・ずいぶんなお人よしもいたもんだ」

外からは幼い子供と母親であろう女性の声が聞こえる。きっとこの家族は幸せなのだろう。
ならば。
妹は手に取った着物を手早く着なおすと自身が寝ていた布団を綺麗に畳み、荷物をまとめた。
そしてキョロキョロとあたりを見回し、そこらへんにあった紙と筆を取ると「世話になった」とだけ書き残し、誰にも見られぬようその家を後にした。

行くあても何もなかった。だが、やることだけはあった。
もっと広い世界を見なければいけない。
あの猟犬よりも強い者が海を渡った土地にいるはずだ。
そこで力をつけ、必ずあの猟犬に自分を認めさせる。そう心に決めた。

「髪を売ればいくらか足しにはなる、か」

いまだ痛む右足を引きずりながら妹は一人まだ見ぬ強者との出会いに笑みを浮かべた。


終幕

話し終えた彼女は慣れた手つきで瓢箪を傾ける。だが、瓢箪からは酒の一滴も出てこなかった。話しながら飲みすぎたせいだろう。
酒がなければ機嫌よく話すことなどできやしない。
中身が無いことに気が付かないほど話をしてしまったのかと苛立ちながら舌打ちを一つ落とすと少年の方へ向き直った。

いつの間にか少年は着替えていたらしく、見慣れた民族衣装を脱ぎ捨て、白衣と襟巻きを纏った姿へと変わっていた。
終わりました?と言わんばかりの表情を向ける少年に彼女はいつものようにおどけて笑って見せた。

「とまあ、あとは善悪くんの知る通りさ。負けて情けを掛けられ生かされた。悔しくてかつての名前を棄てて兄の名を名乗り、武者修行の旅に出た。その先で雇われてまたこの地に足を運んだってわけさ」
「本当かな?」
「まあ・・・・・・戦って負けたこと以外ぜぇんぶ嘘、だけどな!」

ゲラゲラと笑う彼女に少年はまた大きくため息をついた。「又开始了(またはじまった)」呟く少年に彼女は軽く謝罪を口にした。
だが少年の表情は訝し気にゆがめられたままだ。

それをみて困ったように眉を下げながら彼女は笑った。

「まあけど、あっちは私の事なんて覚えちゃいないだろうけどなぁ。長かった髪も切り、刺青も増えた。あの時殺し損なったこんな半端者のことを覚えている方がおかしい」
「もし、覚えていたらどうするの?」
「次こそ殺す。絶対に」

少年の問いに間髪入れずに答える。
そうだ、殺すしかないのだ。
そうでないとこの胸の疼きが取れることはないのだから。

そんな彼女の考えを少年は感じ取ったのだろうか。
大きくため息をつきながらただ一言。
太疯狂了(狂ってるね)と呟いた。

「なんとでもいいな。私はあの男に勝つためだけにあんたの国に渡り、道場破り紛いなことをして师兄(兄弟子)たちと一緒にこの腕を磨いてきたんだ。次は負けないさ」

不抜を決めた小刀を撫でる。
刀鍛冶には「使用者を選ぶ刀だ」と聞いたがそんなことは関係ない。これを抜くときは再び相対する時だと決めていた。
にやにやと一人笑い続ける彼女に少年は肩をすくめて見せた。

「まあいいや・・・・・・ " 丹是舎 " さん。使满意?(満足した?)」
「・・・・・・まあぼちぼちな。にしても善悪くんが飽きずに聞いてくれるなんて珍しいねぇ。あ、今は ” 島さん ” 、だっけ?」

そう言いながら肩を絡ませれば、少年は嫌そうな表情のまま虫を払うように 彼女を追い払った。

「我已经厌倦了。如果你不听我的话你会生气的。(とっくに飽きてるけど。話聞いてないと怒るでしょ)」
「ははっ!違いないねえ!」

彼女は声を出して笑った。いつも通りに。少年が望む " 丹是舎慈罪 " であるように。
少年は一度外に目をやると話の途中で纒めていた荷物を手に取った。

「それじゃあ " 丹是舎 " さん。僕はもう行きますよ。もうすぐ日が昇る。今夜ですからね。忘れないでくださいよ」

今夜、少年と彼女は雇用主の指令通りに子供を攫う。
子供のように見える兵器だと聞いているが彼女にはどうでもよかった。
雇用主の元にいるのも金払いが良い。ただそれだけだから。
念押しするようにもう一度同じことを言う少年に聞き飽きたとでも言うように彼女は笑いながら頭の上で手を振った。

「はいはい分かったわかった。路上小心(いってらっさい)」
「丹是舎さん」
「んあ?」
「……いえ。回见。我走了(またあとで。いってきます)」
「はいよぉ」

にやにやと笑いながら彼女がひらりと手を振れば少年は小さくため息をついてから荷物を持って部屋を出た。
パタンと少年が襖を占めた瞬間、部屋の中がシンッと静まり返る。
彼女はもう少しも笑っていなかった。

「変わらず呼んでくれんのかい。丹是舎さんって」

過去に一度だけ、同じように昔話をしたことがあった。
同じように酒を飲み、同じように話し、最後に相手は名を知りたいと宣った。
今の名ではなく、かつて捨てた名で呼びたいと。
それが彼女の逆鱗に触れることになるとは知らずに。

思い出したら少し苛立ち、酒に手を伸ばしやめる。
もうすでに無くなっていたのだと思いだしたから。

舌打ちを一つこぼせば隙間風がびゅうと入り込み、先ほどまであったはずの温もりを冷やしていった。あの時の母と同じように。

彼女はぼおっとしたまま再び窓の外へと目を向けた。

口では噓だと少年に言ったがこれは全て彼女の身に起こったことだった。
あの瞬間、嘘だと口にしなければ少年の望む " 丹是舎慈罪 " で無くなってしまう。そう思ったら自然と口が嘘だと告げていた。
他人の事を気にするなんて兄が死んでから一度もしたことがないはずなのに。どうやら思った以上に少年の事を気に入っていたようだ。

無造作に見えて整えられている髪も。
人の事を観察するように見つめる瞳も。
寝ている間に勝手に入れた左頬の孔雀の刺青も。
器用に見えて不器用なところも。
人の真似して始めた刀の扱いも。
なんやかんや言いつつ我儘を受け入れてくれるところも。
冷たいようで実は情に厚いところも。
そして、なにより今の " 丹是舎慈罪 " を受け入れてくれるところも。

互いに言い合いになり刀を抜きあうこともしばしばあった。
少年が腹の内で何を考えているか彼女にはわからない。それでも、初めて身内以外で心地が良いと感じたのは紛れもなくあの少年の隣以外にはなかった。

隙間から冷たい風がまたひゅうと音を立てて部屋の中に入り込む。

あの日も、こんな雨だった。

静寂に包まれた部屋の中、彼女は一人小さくなって自身の耳をふさいだ。

音がうるさい。
バクバクと脈打つ音が。
ざあざあと打ち付ける音が。
どろりと喉を流れ落ちる粘着質な音が。
ゴゥゴゥと耳元で鳴る命の音が。

「なあ、武神 経辺列花。あんたとやれれば、あんたを殺せればこの傷と胸の痛みは消えんのかい?なあ、八重」

かつて捨てたはずの、今や誰も知らない名を呟く。
体の中で反響した音は自ら右胸に刻んだ208の刺青と猟犬につけられた傷の両方を疼かせた。
思い出すのはこの名を使っていた頃の幸せな記憶ではない。

一面の赤。
月からの寵愛を一身に受け、彼岸花の中で強烈な青を纏うあの姿。

愛していたはずの家族の姿など一瞬たりとも思い出すことはなかった。
それに気づいたとき、彼女は零れ出る声をもう抑えようとは思わなかった。
実に馬鹿らしかったからだ。

愛していた者も執着していた物もたくさんあった。
この地に来たのだって最初は兄の事を想っていたからだ。
だが、もうすでにこの胸の内に残っているのはあの青い猟犬の姿しかない。

長尺刀を軽々扱う力量が。
長身から繰り出される剣戟が。
冷ややかで鋭い目が。
戦いに身を投じる時だけに見せる一瞬の笑みが。
返り血に濡れてもなお美しい姿が。
そして、ただ生涯一人だけを想い続ける忠誠心が。

あの猟犬を構成する全てが今の " 丹是舎慈罪 " を構成していた。

それを自覚した。自覚してしまった。
気づけば彼女はとうとう声を出して笑いだしていた。
狂ってしまったと思う者もいるだろう。
彼女が幼い頃みた母と同じように。

歓喜。
その一言に尽きるというのに。

ひとしきり笑い、大きく息を吸い込むと彼女はぴたりと行動を止めた。

「ーーーー」

彼女はじらすように胸元に咲いた彼岸花をなぞりながら見知らぬ男の名を呟いた。
その名を知ったのはきっと偶然だった。
偶然でもなんでもよかった。
他の誰が忘れても自分だけは忘れてはいけないと思った。
同じように、名を棄てた者として。

「次は、ちゃんと殺せよ」

ほろりと零れ出たのは強者との戦いを望む戦人の声か。
はたまた己の死を望む愚か者の声か。
どちらだとしても、その声は歓喜に満ちていた。

くふくふと漏れ出た彼女の笑い声が廊下にまで響く。
今もなお、そこに立つ少年の熱など知らぬように。

夜が明ける。
雨雲は厚く、いまだ降り続いたままだ。



あとがき

外伝で本文二万文字越えはやりすぎだっておもいました まる

劇団猟星類 第二回公演「鯨と蜥蜴の尻尾」 非公式外伝【彼岸花】これにて終幕です。

ここまで読んでいただいたらわかる通り、
舞台本編(以下、本編)の前日に彼女【丹是舎慈罪】が
少年【俊熙善悪】に酒を片手に語ったお話になっています。

実は丹是舎慈罪に兄がいた設定は顔合わせの時には浮かんでいました。
作演出の兄さんの姿が私の想像上の丹是舎慈罪だと思ったこともそうですが元々、男性キャラとして描かれていた物を私に合わせて女性として修正していただいたためです。

男であったはずの丹是舎慈罪が女になるというのはどういうことか。
そう考えると兄の名を騙る妹、となりました。
彼女は家族を愛していた。与えられる愛がどんな形であれ確かに愛してたんです。だからこそ、独り遺されることを嫌い、早く死にたいとも思っていました。
依頼で殺しをしても誰も自分の命にまで刀が届かない。
そんな時に自分の命を簡単に刈り取ることができる彼に出会えたのは彼女にとって幸運だったのかもしれません。

実は、当初の予定では全員モチーフカラーのエクステ付けるって聞いていたのでなら髪赤くしちゃえー!と染めたら本番直前まで誰一人エクステ付けたり染めたりする人がいなかったって裏話があります(笑)
(本編では主従組が色入れてくれてボッチ回避できてよかった)
稽古当時はイサナを除いて唯一髪に色が入っていたので、なにかに使えないかとずっと考えていたところ、
イサナの番号の位置(首左側と右足の甲)と
彼女の番号の位置(右手首内側)
そして以蔵と三渓ちゃんの番号の位置
(以蔵:右手首表)(三渓:左手首表)を見てふとひらめきました。

「あ、これ放出型と耐性型だ」と

放出型の完成個体であるイサナは両方に。
放出型の三渓は左、耐性型の以蔵は右に。
彼女はイサナのスペアだったと仮定して考えると見えていないだけで左足の甲とかに番号がある耐性型の完成個体だったのではないかと。
(目の色もイサナと対になりますしね)

だから以蔵と三渓は二人で一人前なところがあったし
二人はイサナと長時間一緒に行動を共にしていてもすぐに狂ってしまうということがなかったんじゃないかな、と。
・・・・・・考察オタクの駄目なところですね。すぐ勝手に設定生やすんだから。

とかいろいろ考えましたがあとは簡単!
放出型のイサナを対になるのは耐性型。
耐性型は以蔵なので右側に番号を入れることに!
彼らのように実験体ではないのでデザインも違うものをわざわざ用意してもらいました。
かやのんありがとう!!!

こんな私の思い付きでお兄ちゃんが実験体になって逃げだして死ぬっていう最悪な過去が錬成されたのは目をつぶりましょう。
詳しくは私のツイートにある実験体二百八番についての書類を見てみて下さい。


さて、本編ではガチギレマンだった丹是舎さんでしたが実はずっと経辺列花の次に善悪くんの事を考えていました。
いくら組織から派遣されたとはいえ、まだ若い少年をこんなことに巻き込んでいいのか。
幼い見た目のまともな彼女の側面がそう囁くのです。
それでも進めた足はもう戻せないと彼女は選択し強行するのです。
彼女は " 丹是舎慈罪 " であり、幼い少女の八重ではないから。

そして毒に侵され、脳のリミッターが外れた彼女は経辺列花との再戦を願い、再び歩みを進めます。
その刹那、ふと思うのです。
「善悪はうまく逃げられたかな」と
元々世渡り上手な彼の事だから逃げ出しているだろうと思いながらも心配でならないのです。
何故なら彼女の中で善悪くんは " 丹是舎慈罪 " を慕っているように見えていたから。だからあえて自分の過去を、本音を大事な作戦実行の前に語った。誰か一人でも自分の事を覚えておいてほしい、そんな我儘を善悪くんに押し付けたのかもしれません。
彼女は部屋の外で善悪くんが聞き耳を立てていることなんて承知の上だったでしょう。それでもかつての名を、自身の死を連想させる言葉をこぼしたのは
「何があっても助けに来なくていい。勝手にしろ」という彼女の意思の表れだったのかもしれません。それが、正確に伝わっているかは別として。

彼女は善悪くんが将来自分の命に届きうる人間だと思っていました。
だから蛇を喰らう孔雀を自分の対になるように勝手に彫った。
いずれ全てが終わり、もうどうしようもなくなった時、この美しい鳥が醜い蛇を喰らってくれると。
彼が死なないことを、
孤独にならないことを、
そして彼が持つ善性を自分のように忘れないことを願っていたのかもしれません。
だから最後(大千秋楽見れた人はわかるかも)
経辺列花と言葉を交わしながらも不意に人の気配を感じて確認して、
善悪くんじゃないことに落胆すると共にホッとしたのです。
無駄に死ななくてすむ。あいつは生きていられる、と
親愛と言う不器用な形であれど、丹是舎さんは確かに善悪くんのことも愛してたんです。


そして彼女の脳内の9割を占めるのはやはりあの男、経辺列花でしょう。
強い、美しい、憎い、殺したい、愛おしい。
愛憎の念が混ざり合いすぎてもはや闇鍋状態でした。
戦いたい。けど、戦いたくない。という反した感情を持っていたのも彼にだけです。勝っても負けても虚しさが心の内を占めてしまう。そんな気がしていたから。
実は経辺列花の本名を丹是舎さんが知っている、という設定は考えてあったんですが経辺列花役の南さんに本名考えてるか聞くのをすっかり忘れていたので本編中では一切触れないという愚行を犯しました。フレタカッタ…
ここで昇華したから許してほしい。公演終わった今でも聞いてない。

まあそれもイサナの毒で頭パァンしちゃったから意味無くなったんですけどね!死ぬとかなんとかどうでもいい!戦え経辺列花ェ!!
なバーサーカーモードになってしまったのでもう諦めましょう。
原色バーサーカー組はもう手の施しようがありません!!

彼女が経辺列花に対してどう思っていたかなんてこの話と本編見ればわかると思うのでそちらで補完してください。これ以上書くと私が砂糖吐きそう。丹是舎さん急に恋するバーサーカーになるんだもん。

もう真面目な文章書くの疲れたので砕け口調で。
とりあえず、本編でもくじとか小噺でも語れなかったものを少々投下。

彼女の体に入っている刺青は全部で6つ
右頬の蛇、左肩の花、右ふくらはぎの蛇、左手の甲の蛇
右鎖骨下の208、胸元の彼岸花

前半4つはあの親子につけられた傷を隠すために、そして見た目で威圧できるようにという意味で入れてます。

208の刺青は善悪くんとバディを組んでから。
脱走した実験体の話を聞いて、という裏設定があります。
きっと、讃岐の国へ向かいすぐに実験体とされた兄はスキを見て故郷の難波に逃げ帰ろうとしたんでしょうね。その願いが叶うことはなかったのですが。

彼岸花。
今回の外伝のタイトルにもしました。
ぶっちゃけ赤い彼岸花の中で月を背負って刀抜いて立ってる経辺列花が浮かんだからです。

そうそう、ねえ知ってる?
彼岸花の花言葉って
「悲しき思い出」「あきらめ」「独立」「情熱」があるんだけど、
赤い彼岸花はこれに加えて
「再会」「想うはあなたひとり」「また会う日を楽しみに」って意味があるんだよ。

おや偶然。
丹是舎さんは経辺列花に「再会」したいと、「また会う日を楽しみに」剣の腕を磨いてきてたけど
経辺列花って北郷様「ただ一人を想って」行動してるよね。

経糸のようにまっすぐに辺りに列を為して咲く花が守りたかったものは、
なんて。私の想像でしかないのだけれど。

これ以上書くと本文レベルで書いちゃいそうなのであとは私の中にあった
丹是舎慈罪の設定を投げてここで終わりにしておきます。

2024年4月10日から少しの間、アーカイブ配信も始まります。
これ読んでからみると少し印象変わるかな。変わらないか。
それではこれで本当に終わり。




丹是舎慈罪(八重)
天保6年生まれ(27才くらい)
難波出身
兄の慈罪同様、鯨の毒への強い耐性がある。
幼少期時代の毒の摂取に伴い、髪の一部が赤に変わった。
経辺列花に敗北したあとは中国に単身渡り、道場破りのようなことをして剣の腕を磨いていた。
力強い刀を振るう一刀使いの兄弟子と
しなやかに相手の力を受け流す鉄扇使いの姉弟子の二人に叩き込まれ、丹是舎返しなる技が生まれたとか生まれてないとか。
世話になった道場の兄弟子たちには喧嘩を売りたくないと常々思っている。
今回の雇用主からの依頼に際し、兄弟子たちから送り出される形で日本に戻った。

名を変えた後も決して忘れぬようにと刀の鍔は両方桜の模様が入っている。









































おまけ

真っ白に光り輝く平面世界。そこで目を覚ます経辺列花。

経辺列花「ここは……そうか、死んだのか、私は。北郷様はどうなっただろうか……ん?」

丹是舎「ほら!いけ!刺せ!そこだ坊っちゃん!あー!惜しい!!!」
北郷「ほら武市!負けるんじゃないよ!あーほら!油断するからぁ!」
経辺列花「鬼神慈罪に……北郷様!?」
北郷「おや経辺列花、来たのかい。遅かったじゃないか。あ、ちょっと!岡田以蔵!それは反則だろう!」
丹是舎「坊っちゃんに勝てればいいって私の思考が移ったのかもなぁ……あ、経辺列花。先やってるぜぇ」
経辺列花「なにが、なんだか……北郷様これはいったい……」
北郷「酒盛り中」
経辺列花「は?」
丹是舎「だから、酒盛り中。あんたの主いい趣味してんねぇ!勧める酒みんな美味い!」
北郷「それを言うならあんたが出すツマミもだよ!この干した魚がこんなに酒に合うとは思わなかった!」
丹是舎「武者修行中に遠く蝦夷の地まで足を運んでね。そこで作り方を学んだんだが……いやぁこれがまた酒にあってあって」
経辺列花「はぁ……」
北郷「ほら、経辺列花も食べてみな。これを清酒でくぃっとさ!」
経辺列花「死んだのはこれだけ、ですか?」
丹是舎「三渓ちゃんとイサナちゃんは別の場所に行ったよ。まあ此処は所謂地獄ってところかね」
北郷「あの人もきっと向こうで待ってる。参ったな、ずいぶん待たせてしまっているというのに……」
丹是舎「嘆いても仕方ないでしょ姐さん。酒もツマミもあるんだ。いまはとにかく楽しも……あー!!坊っちゃん二刀目抜いたー!」
北郷「なにぃ!?武市ぃ!負けたら殺すよぉ!!」
経辺列花「負けたら死ぬし死んだら殺すもないのではないですか北郷様!」
北郷「あーもう!いいから経辺列花もこっち来て飲みな!今いいところだから!」
丹是舎「いま私の小刀持ってった坊っちゃんとその師匠が戦ってっから!なかなかいい勝負してんよ!」

外界の事象を映す鏡が途端にノイズ混じりになり始める。

丹是舎「あ、こら!またぶれてきた!映せ!いいとこなんだから!」
北郷「武市は!?武市は勝ったのかい!?負けたら容赦しないよ!!!」
経辺列花「……本郷様が楽しそうならば、良いか」

鏡を前にぎゃいぎゃい騒ぐ二人とそれを少し後ろで見守る経辺列花。
ふわりの金木犀の香りがした、気がした。


流石にもう終わり。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?