魔植学の導き
扉を開けると、室内とは思えないほど濃厚な土と植物の香りがした。
陰鬱な気分になってしまうのは、ほとんど条件反射のようなものだった。オクルスは後ろ手に扉を閉めながら、周囲に目を向ける。
見晴らしはよくない。そこらじゅうに置かれた植物は好き勝手に枝や蔦を伸ばし、屋内にいながら森よりも密度の高い緑を作り出していた。外からの光を効率的に取り込む構造になっているから、暗闇に視界を奪われないことが救いだ。
無言のまま、オクルスは部屋の奥に歩を進める。
障害になるのは、床置きや吊り下げなど、様々な形状の植木鉢。それらを避けて辿り着いた目的地には、作業場に置かれているような木製机があった。
机に向かっていた白衣の背中が振り返る。
「珍しい客だな」
白い髪に反して、声は若い。肌の色は青みがかった濃い灰色で、顔から年齢を判別するのは難しかった。
もっとも、オクルスが彼について個人的なことを推測する理由などないのだが。
「今度は誰の使いだ? ……あぁ、いや、言わなくていい。用件だけ聞こう」
それは白衣の男も同じようだった。素っ気なく言って、右目につけた片眼鏡を押さえる。その奥の瞳は色素が飛んでいて、男は前髪を下ろして右目を隠した。
オクルスは気にせず会話を継ぐ。
「占いを」
「はぁ? それは本人がここに来なければ意味がないとあれだけ」
白衣の男はそこで一度言葉を切った。
そして、信じられないものを見るような目をオクルスに向ける。
「まさかお前に占いが必要なのか?」
「えぇ、まぁ──そういうことになるのでしょうね」
オクルスは歯切れ悪く答える。
とはいえ、自分自身が強く望んでここに来ているわけでもない。ほとんど強要されて来ているのだから、そう答えるしかないのが現状だった。
そんな返答からなにかを察したのか、白衣の男はゆるりと腕を組んで目を細める。
「へぇ、そりゃ面白い。面白すぎてやる気も出ないな」
「それは残念です。首領からの推薦だったのですが、あなたがそうおっしゃるなら他を」
「首領が絡んでいるなら先に言え。いいぞ、いくらでも占ってやる」
「……魔植学の創始者ヴィルヘルムといえど、首領には弱いのですね。悲しいものです」
「なに、魔面学の最後の一人ほどでもない。と言いたいところだが、新興魔学には研究費用が必要でね。パトロンには実際弱い」
白衣の男──ヴィルヘルムは自嘲するように言って肩をすくめた。
「で、なにを占う? 恋の行方か? それとも結婚相手でも探すか?」
「助手になりえる人間を」
「なんだ、地味だな」
「華やかであればいい、とでも?」
つまらなそうに言うヴィルヘルムに対し、オクルスはため息を返す。
相変わらず乗り気ではなさそうだが、ヴィルヘルムは作業机の引き出しから大判の冊子を取り出した。日にやけて変色した紙を開くと、最初のページにはヨーロッパを中心とした世界地図が載っている。
閉じようとする地図の端へ適当に手近なものを乗せながら、ヴィルヘルムはオクルスの問いに答える。
「当然だ。花占いの本領は恋人探し、というか縁結びに特化したものだからな。だからまさか人間嫌いのお前を占うことになるとは思わなかった」
「……」
「ま、同情はしておこう。どうせ助手を持つのも周りがうるさいからじゃないのか? 魔面学なら無理矢理『使役』できるだろうが、可能な限り相性のいいやつを見つけてやりたいものだ」
「個人的には、死体を操ってしまうのが手っ取り早くて楽なのですが」
「それは助手どころか使い魔以下の捨て駒だろうが。頭一つで体二つを動かすのは手間だろう? 助手の利点は一定レベルの自律性だ。持てば分かる」
オクルスは再びため息を返すしかない。
一人での活動に慣れてしまったせいか、他人に介入されることにいささか以上の抵抗があるのは確かだった。ましてや『人間』など、本来ならば敵対者であっても視界に入れたくない。
とはいえ、首領の言葉を無下にできないのはオクルスも同じだった。本心は表に出さず、言葉を濁す。
「そんなものでしょうかね」
「そんなものだ。さて、では花を選んでもらおうか」
「花?」
地図を完全に開き終えたヴィルヘルムが、視線でオクルスの背後を指す。
オクルスが振り返った先には、部屋の入口がどこにあったか分からなくなるほど密集した植木鉢と植物たちが溢れ返っている。一部は確かに花をつけていて、その色も種類も様々だ。
「適当に、直感でかまわない。目についたものを言ってみろ」
思わず三度目のため息をつこうとして、オクルスは呼吸を飲み込んだ。
可能な限り、手早く終わらせよう──占いも、助手探しも。そして、助手とうまくいかなければ、理由をつけて処分してしまえばいい。それで終わりだ。
目についたのは、小ぶりな赤い花。
「では、それを」
「ほう」
指で示すと、ヴィルヘルムは意外そうな顔をした。
オクルスがその真意を問う間もなく、魔植学者はごまかすように儀式を開始する。
植木鉢に歩み寄り、赤い花の一輪を摘まむと、詠唱が始まる。
「〈私は奪う。花が種となり、新たな命を芽吹かせる未来を私は奪う〉」
オクルスは、想う。
──魔学とは略奪の技術だ。
奪うのは未来の可能性。魔学という学問の根底には、本来たどるべき未来を都合よく歪めるという傲慢な思想がある。
「〈花は与えられた名に従い、意味に従い、求めるものへ道を示せ〉」
灰色の指が花を摘み取る。
オクルスが黙したまま見つめる先で、ヴィルヘルムは赤い花を持って作業机へ戻る。地図の中央に花を置くと、茶色くなった紙の上に赤がよく映えた。
しばらく留まった花は、ふわりと浮いてプロペラのように緩やかな回転を始める。花弁を羽のようにして宙を滑る赤い花は、地図上をまっすぐ東へ。ユーラシア大陸を越えて極東の島国で止まる。
「随分、遠い」
オクルスが愚痴るようにこぼすと、ヴィルヘルムは軽く肩をすくめた。
「俺が示せるのは行き先だけ。行くか行かないかは自由だ。行った方がいいとは思うがね」
「あなたがそこまで言うとは珍しいですね。なにかあるのですか?」
「本当に行く気があるなら教えるさ」
口元だけで笑い、ヴィルヘルムは花を軽く払って地図の上から移動させた。
バラバラとページを繰って、再び机の上に地図を広げる。今度は極東の島国、日本の地図だ。
ヴィルヘルムが指で示すと、赤い花は再び地図の上へ。首都東京の近辺で止まる。
「飛行機に乗ればすぐだ。よかったな」
「すぐ、と言えるようなフライト時間になるかどうかは疑問ですね」
「首領が出してくれるだろう。プライベートジェットとか」
「……それは気の抜けない時間をすごせそうですね」
「で、行くのか?」
ヴィルヘルムが指で地図を叩くと、赤い花は宙に浮いてオクルスの元へ飛ぶ。
以降はこの花が直接道しるべになる、ということなのだろう。ヴィルヘルムは役目を終えたとばかりに地図をたたみ、引き出しへ戻す。
「首領の勧めですから」
「そうか。それなら見送ってやろう」
もう一度、今度は出入り口に向けて、ヴィルヘルムは払うような動作をする。
すると、視界を阻む蔦や枝がひとりでに動き、トンネルのような通り道を作り出す。先行するヴィルヘルムを赤い花が追い、その後ろからオクルスが続いた。
「なるほど、ここの植物はすべて使い魔ですか」
「そんなところだ。文字通り、間引かれた同輩を糧とした特別製さ」
「随分いい趣味ですね」
「『魔学の発展のためなら』。……ってね」
不遜に、しかし冷徹に、大げさな口調でヴィルヘルムは言う。
「首領の言葉ですか」
「おや、分かったのか」
「口調はともかく、いかにも言いそうな内容です」
白衣の肩が揺れる。
押し殺した笑みをこぼしながら、ヴィルヘルムは出入り口の扉を開く。オクルスが入ってきたときに比べれば、かなり通りやすい復路だった。
促され、オクルスは部屋の外へ。森の中から急に市街地へ出たような空気の変化を受け止めていると、オクルスの前に浮いていたはずの赤い花がヴィルヘルムの元へ移動していた。 その花弁に、灰色の指が触れる。
「お前の主はそいつだ。しっかり役目を果たせ」
言葉に応えるように、花はオクルスの元へ移動。胸ポケットに収まった。
ターコイズブルーのテールコートに、赤く小ぶりな花はどう見ても不釣り合いだった。
「あぁ、そういえば。その花だが、名をゼラニウムという。大切にしてやれ。それと、とびきり大事なことが一つ──そいつが持っている花言葉だが」
ヴィルヘルムは意味深に言葉を区切り、こらえきれないように笑みを浮かべた。
「『君ありて幸福』、だ。運命的な出会いを約束しよう。よい旅を」
呆気にとられるオクルスの前で、木製の扉が閉められる。
馬鹿馬鹿しい。最後のため息をついたオクルスに対し、ゼラニウムの花はくるりと上機嫌に一回転して沈黙した。
十一月末。町の外へ出て人を探すには、あまりに騒がしい時期のことだった。
短編『仮面劇 MASQUE』前日譚