『助けて』が言えない、元・手間のかからない子
依月です。
無事、本日から2020年のアルバイトも始まります。大学もそろそろ始まります。
もう少し冬休みが欲しかったな。
今日も少し暗めの話になるのかな。そんな感じです。
『助けて』
大事な言葉です。この一言で援助を要請していることだけでなく、自分がやばい状況であるということも暗に伝えられる言葉。
所詮人間は一人で生きていけるものではないのでこの言葉は人生において欠かせないものでしょう。
タイトルにもある通り、僕はこの『助けて』をなかなか発することができません。
何度か多忙を極めて意識を失いかけた時も結局『助けて』は言えずに倒れました。
いつものことなんです。
『助けて』この言葉が言えない。
この言葉を言うことに恐怖があるのです。
自分でも明確な答えは出せていませんが恐らくこれというものならあります。
『【手間のかからない良い子】の呪縛』
そしてそこからくる
『相手に迷惑をかけてしまうことへの過剰な恐怖』です。
幼いころ、まあ今考えるとかなり窮屈な環境にいたのかもしれません。
妹は発達障害。発達は平均と比べゆっくりで環境適応も苦手。必然的に親や周囲の人は妹中心の生活になり、他の人はなるべく支援をする。少なくとも無駄な仕事を増やしていい状況ではなかった。まあ状況を見計らって波乱を巻き起こしてはいたけれども。
小学校でもそうだった。
小学校5,6年生の時、学級崩壊を体験した。
授業中座っている人の方が少ない、なぜか同級生は外で遊んでいる、なぜか授業中に取っ組み合いのけんかが始まる。典型的な学級崩壊。
そうすると学級崩壊に加担していない『手間のかからない子』はどうなるか。
たいていその先生の中からは消されます。
何か相談事があっても先生はそれどころじゃない。表面上では良い子だった僕を放置しても何ら問題はないと思ったのでしょう。助けを求めても後回しにされ、終いにはなかったことにされる。
『助けて』を言えない環境です。
そして当時子供だった僕に大人たちはこう言うんです。
『依月は迷惑かけないで良い子だな』
『手間のかからない良い子だな』
そうか、迷惑かけないことで良い子認定されるのか。
手間をかけないと良い子って認められるのか。
そしてそれと同時に思うわけです。
【迷惑をかけちゃだめだ】と。
『自分なんかが相手の手を煩わせてはいけない』
『自分は迷惑をかけてはいけない。手間をかけさせてはいけない。』
『【良い子】でいなきゃ』
はい。呪縛の完成。
ここまでくるとあとはわかりますね。
【『助けて』を言っても助けてくれない環境】
【必要以上に相手の手を煩わせてはいけない環境】
こうなると『助けて』なんて言葉はいいことなどなくなってしまうんです。
言っても無駄。なんなら相手の手を煩わせてしまうかもしれない。
その環境に十分順応した立場から考えてしまえば最悪の言葉です。
次第に言わなくなります。というか言えなくなります。思ってもつっかえてその言葉をうまく言えなくなります。
そんな小学校生活を経て、『なんでも自分でやっていこう☆』な中学・高校生活を経て、気がついたら『助けて』の言えない人間の完成。
ぶっちゃけ今も言えません。
「助けて~眠い~」「助けて~テスト範囲どこ~」のような軽いものは言えるようになりました。そんなに手間にならなさそうなものは。
でも今でもやっぱりそこそこ手のかかるものに関しては『助けて』と言えない。怖くて。まあ、だから仕事抱えて爆発するのですが。
あくまでこれらはしがない大学生の1人の場合。これに当てはまらない人も多くいるとは思う。
でもこの立場から言えることがあるとするならば、
【『助けて』の声に対応できる環境を作る】
【迷惑をかけてもいいと理解させる】
これだけでも随分変わるなということ。
身近にそんな人がいたら環境を整えてあげてください。
そうしないとその子は爆発を止められずいつか崩壊する危険性をはらんでいるので。
気づいた人だけでもいいのでそういう環境を作ることで少しは生きづらさを感じている人も救われるのかなと。
今日はきっとこんな日。