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管理職になってる頃、当事者として生きる。

絶賛、40代半ば、休職中。

普通のレールを歩けていればそこそこ大きな会社のサラリーマンとして中間管理職の職位くらいにはとっくについてる頃。でも会社員人生の中で2度も倒れてドロップアウトし、今となっては後輩も管理職になっていく。ここ数年は上司が同年代から年下になってきた。

学生の頃、そこそこ努力もしてお勉強はしていたのだけれどどうもあまり頭がよくなかったらしく努力の焦点が合わず、飛び抜けた能力として評価されることもなく、会社組織で登っていく処世術なんかも実践する気は全くなく(直属の上司の推薦が必要なんて、ついこないだ知ったし笑)。

もともとネガティブな思考を反芻する癖も強く、心身の調子が悪い時はそれがエスカレートしてそれだけでパニック発作に陥ることも度々ありました。そんな現状を受け入れるのにも少し時間がかかりました。偉くなってやろう、なんて意思なんてなかったのにね、なんとなく皆と同じでそうなるだろうと思っていて、そうならなかった、というだけ。

なかなか自分の歩く道みたいなのがクリアにならず、妻にはいつまで青い鳥を探しているんだと諭されながら、考えていました。とはいえ、働くようになってから漠然と思っていたことは、困ってる人を救える何かを作りたい、という想い。それってある意味呪いになるのだけれど、呪いという意味は、簡単にいうと救われたいのは自分であって、他人は困っているかもしれないけれど、情けをかけて欲しい人ばかりではなかったり、押し付けられてもいらないと言う、と言うような堂々巡りのこと。

ずっとすごく生温い環境の中で、社会に貢献するんだー!おー!って生きてきた気がする。でも、その私たち当人が特に困っていたわけではないんですね。そんな号令のもと上意下達の世界で生きていれば、人並み以上の生活が遅れてきたわけです。なんとも本当にありがたい話です。息子にNintendoSwitchも買えるし塾にも通える。

そんなこんなで家族のことなんかを思って一生懸命歯車となって自己成長の仮面を被りながらもがいていたら、力尽きて倒れて戦線離脱。困っていなかったはずなのに、なんだか困った、いやそれでもそれほど困っていない。

といった40数年を過ごしてきて自分の中にポッカリ空洞ができていたわけです。

俺は何者なんだ?何をして生きてきたんだ?何をして生きていくんだ?譲れない価値観は?本当は何がしたかったんだ?

あ、当事者ではなかったんだ。と気づいた感覚。時間がかかった、随分と。

当事者意識は持って生きてきたつもり。でも当事者じゃなかったんですよ。

自分が社会の中でちっぽけな存在になった時、社会に支えられながら生活しているようになった時、初めて当事者になった気がしました。

これからは自分自身が自分の人生の当事者として生きていきたいなあ、なんて思っているんです。

当事者として始めたことの一つがプログラミング。どうしてか。自分をもっと表現したいと思ったから。埃をかぶっていたギターも毎日弾くようになりました。

そして当事者同士で生きていくことがまずは目先の目標です。もうすぐ仕事に戻りますが、改めてそんなふうに自分の表現を見つけ出してまずは取り組むことから再開させたいと思います。

誰しもみんな存在に価値があるしそれが多様。少し自分の価値を明確にすることに時間をかけて。それから当事者として多くの当事者の方と共に生きれるような道にしていきたいです。

おわり。

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