【うたよみ】m/esの話
こんにちは。
更新がすごく空いてしまいました。
自分の人生を支えてくれているものというものが人それぞれあると思うのですが、私のそれはVOCALOID楽曲がかなりのウェイトを占めています。
毎日出勤・退勤時は旧nicobox(ボカコレの名称だとイベントの方と混同してしまうので、私は今でもこの名称を好んで使っています)のVOCALOID毎時ランキングを上から流していていいなと思った楽曲を年間ベストのマイリスにぶち込む、という日々を3年くらい過ごしています。(なぜなら社会人3年目だから)
ここしばらくはニコニコ動画が爆破されていて本当につらかったのですが、見事帰還を果たしてくれましたので、そのうち今年のベスト候補楽曲に触れるノートを書きたいなと思っています。
それに先んじて、【うたよみ】というシリーズを開始してみることにしました。好きな歌の歌詞にフォーカスを当てて、どういうところが好きなのかを言語化するシリーズです。
※書いてある内容はあくまで私個人が歌詞から感じる印象やイメージです。考察などではありません※
第一回は、ピノキオピーの『m/es』にします。
なぜなら最近よく聞いているからです。
私がピノキオピーを本格的に追いかけ始めたのは2012年5月に投稿された『不思議のコハナサイチ』にものすごく救われたのがきっかけで、『m/es』の頃にはもう既にそれまでにニコニコ動画に投稿されていた曲を全て聴ききり何度も聴き直し、新曲を心待ちにしていました。
ただその頃では、この曲に関してはものすごい感銘を受けたわけではなく、自分の中でうまくイメージを形作れない楽曲の一つにカテゴライズしていたと思います。
今現在、この曲のイメージを持てるようになったことが喜ばしいことなのかは、あんまりわかりません。
前置きはこの辺りにして、好きな歌詞の話に移ります。
リズムを縫い合わせても 鼓動は途切れ途切れか
薬の香りは理科の実験のように
命をくるんだ布は かすかに揺れた
すごい歌詞。
ピノキオピーって「人生のわりとおしまいを感じている時」の表現がものすごく豊富だと思うんですが、2012年〜2014年あたり、アルバムでいうと『遊星まっしらけ』から『しぼう』にかけての楽曲って、この傾向がかなり強いと思います。そのなかでも『m/es』は群を抜いている。
生活を続ける。起きて着替えて歩いて電車に乗って歩いて会社に行って働いて電話をして資料を作って働いて飯を食って働いて歩いて電車に乗って歩いて家に帰って飯を食って風呂に入って日々を繋げるための何かに埋没していい加減寝て、そして起きる。生活というリズムが途切れないように縫い合わせている。鼓動も思考も荒くなっている感覚があるけれど、生活を縫い合わせている。
記憶にある理科の実験は、現象の理解と実感のためだった。それは薬と肉体の関係に似ているだろうか。
そういったことを、布団に潜って考えている。自分の浅い呼吸で、掛け布団を揺らしている。
ここの一節はそういうイメージで聴いています。
全体的に人生への絶望感を想起させる歌詞ではありますが、それでも生き延びているあたり、やはりピノキオピーは優しいなあと思います。
明るい手術台の上 麻酔で痛みを溶かして
ツギハギだらけの肉体で君と踊る夢を見る
悲劇をメスで切り裂いて 期待外れに生き延びて
満面の笑みで言う 「ザマミロ」
私は今日も私が曝け出せる範囲の内臓を照らしだされながら、社会にしがみついています。