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奥尻島のゲストハウスで過ごした忘れられない9日間

はじめに

奥尻島には、およそ3つの集落がある。フェリーターミナルがある東の集落、空港がある南の集落、そして、温泉がある西の集落「神威脇」。
切り立った崖と小さな港に挟まれて、一見不便で人が行きづらいような場所、神威脇。そこにはたった数軒の家と並んでゲストハウスimacocoとシェアハウスcocokaraがあり、それらを営むゆうとさんの家族や住人の皆さんを始めとする、温かい出会いの場がある。

奥尻島

この度知人の勧めをきっかけに、離島ボランティアECOFFの機会を利用して全国から集まった10名の仲間と、奥尻島で9日間を共に過ごした。

自然や島から大切なことを沢山感じとり、共同生活を通して第二の家族ができるかのような奥尻島での9日間を、振り返っていきたい。

1日目

迎え

「ようこそ奥尻島へ!!」
フェリーが到着すると、すぐに誰がゆうとさんか分かった。初めて会うのに、まるで奥尻島への帰りを待っていたかのように、にこやかに目を合わせてくれた。

実はフェリーは台風の影響で1日欠航していたので、ゲストハウス(私たちが宿泊したのはシェアハウスcocokara)には飛行機組の7人が先に到着していた。丸一日分先に島での生活を経験していて、これから9日間を共に過ごす仲間がどんな人なのか、不安と期待を持ちながらcocokaraの網の戸を開ける。

「ようこそ!待ってたよ〜!」
みんなが玄関で、拍手と歓声で迎えてくれた。大袈裟に聞こえるかも知れないが、こんなに恥ずかしいくらいに温かく迎えられたのは初めてだった。もうみんな仲良くなっているようで、いい人たちそうで安心した。簡単にシェアハウスを案内してもらい、男子は2階の部屋に荷物を置く。

1日目は、浜で焚き火を囲みながら、imacocoの皆さんとカレーを食べた。

みんなで作ったカレーを外で

焚き火を囲むための椅子用に流木を集めていると、ゆうとさんファミリーの長男であるいち君が一緒に木を探してくれた。大自然と共に、このゲストハウスでいろんな人に出会って育ったであろういち君は物知りで怖いもの知らずで、小学2年生とは思えない。僕に「最初に慣れたね」なんて偉そうな言葉をかけて、それ以降は僕に(多分)一番懐いてくれた。

カレーを食べながら、ゆうとさんは僕たちに、このボランティアを通して3つお願いがあると言った。

・奥尻島のことを好きになって帰ってほしい
・もし奥尻島を好きになって帰ったら、みんなの大切な人に島のことを大切に伝えてほしい
・島での生活を、みんなの心のお守りにして持って帰ってほしい

imacocoは、人手が足りないとか沢山仕事を手伝ってほしいわけじゃない。奥尻島を好きになる、それがimacocoのボランティア。

神威脇温泉

その後は、島唯一の温泉ソムリエであるまじまちゃんに、imacocoから徒歩3分の場所にある神威脇温泉についてお話ししてもらった。

神威脇温泉は、昭和27年に発見されたと言われる源泉掛け流し温泉で、津波で一度原泉が途絶えるも、半年後に復活した「津波に耐えた奇跡の温泉」でもある。

浴場が1階と2階の二つあり最初は疑問に思うのだが、これは元々あった1階の激アツ温泉に対して、2階は少しぬるめの(と言っても5分は入れないくらい熱い)お湯で展望浴場となっており、より入りやすいように増設されたという歴史を持つ。それでも、汲み上げる距離の問題などで1階の激アツ温泉の方が温泉濃度が高いので是非入って欲しいとまじまちゃんは熱く語る。

また、この温泉を管理する人が見つからなければ、来年にも管理者がいなくなってしまうという存続の危機にもあり、ゆうとさんまじまちゃんはこの温泉のためにさまざまな活動を行っているのだ。

温泉には9日間毎日通い、最終的には1階の浴場にも入ることができた。また奥尻にいった時も入れるよう、いつまでも続いてほしい。

夕日の前で撮った写真

温泉の写真は撮り損ねたので、ほぼ毎日お風呂上がりに見た夕日の写真をここに残しておく。

2日目

島一周ツーリング

この日は、奥尻島を囲む50kmほどの道を自転車で一周した。imacocoには最新のeバイク(電動自転車)が8台と、タイヤの太いファットバイクが数台ある。トライアスロン部の僕は確定でファットバイク、もう一台のファットバイクは、何人かで交代しながら走ることになった。eバイクは、女子でも片手で風景をスマホに収めながら10kmの山道を登れるくらい性能が良い。

両サイドがファットバイク

車通りが少なく信号も無いため、10人で並んでても快適に走ることができる。島を一周する道路は奥尻島の中でもっとも主要な道路のはずだが、それでも何箇所か一車線になるところがある。そのくらい車通りが少ないのだ。そして奥尻島では、一車線だからこそ生まれる譲り合い・感謝し合いのコミュニケーションが、車に乗ると必ず発生すると気付いた。二車線の整備された普段の道路は便利だが、僕たちはすれ違う相手のことをほとんど気にとめない。

山道を超えると、島の東側(=フェリーターミナルの集落)に辿り着いた。島唯一のコンビニであるセイコーマートでひと休み。その後、島のシンボルである鍋釣岩でみんなで写真を撮った。

鍋の取手に似ているから鍋釣岩

港のイタリアンレストランでお昼を食べて、午後は海沿いの比較的平坦な道だった。南の集落にはホーマックニコットというなんでもスーパーがあり、生活用品は一通りここで揃うという感じだった。途中歩いている小学生やおじちゃんに手を振ると、手を振りかえしてくれた。

cocokaraに帰ってきたのは16時前。丸一日自転車に乗って疲れたけど、みんなでゴールした達成感があった。東側から南を通って西側に帰るので、体の左側の方が日焼けしていた。自分の足で一周することで、島の大きさや風景、自然、人を五感で感じることができた1日。

3日目

ワイナリー見学

cocokaraから歩いていける距離に、葡萄畑とワイナリーがある。醸造家の菅川さんが、ワイナリーの中と葡萄畑(おそらく観光用の畑)を案内してくれた。

菅川さんは、ご親族の会社の事業の一環で奥尻島のワイナリー事業を始めたそうで、非常に客観的にワイン業界とワインについて考えている。時にはワイン業界のブランド志向を皮肉して、まだワインを飲んだことがないメンバーもいる僕達一人ひとりの感想を大切にするように、気さくに話してくれた。

ぶどう試食

ワイン用のぶどうの試食では、女子の方が酸っぱい葡萄を好んでいた。男性は酸っぱさに敏感なので、ワインになった時も女性はロゼ、男性は白を好むらしい。

菅川さんは気さくに「もうなんでもやりたいこと言って〜」という感じの方で、空のワインのタンクの中に入ったり、飲み比べをしたり、樽のまま飲みたいですと言ったら樽のワインも試飲させてくれた。樽の香りがしっかりしていて普段とは違う美味しさだった。

流石に樽を掴んでがぶ飲みはできなかった

僕は、奥尻島に行ってから、「おいしい」と「美味しい」を使い分けている。「おいしさ」は味の良さだけでなく、口に含んだ時にそれがこの場にできるまでの情景が頭に浮かんだり、一緒に感情を分かち合える人がいるかどうかで変わると思ったからだ。その後(送別会で)みんなで飲んだ奥尻のワインはおいしかった。

青苗会

夜は、青苗会の方々に呼んでいただき、BBQをした。青苗会にはボスをはじめ様々な職業の人がいるのだが、僕のテーブルでは警察官をやっているいなみさんとお話しした。

いなみさんは今年の4月に札幌から奥尻に転勤してきたそうで、奥尻は事故も少なく夜勤もないので楽で良いらしい。でも、楽すぎてもう少し働きたいとも言っていた。

意外と、最近奥尻にやってきた人が多く、奥尻のメリットもデメリットも感じている人が多い印象だった。

ジンギスカンとギョウジャニンニクが美味しかった。楽しかったです、ごちそうさまでした。

4日目

釣り

この日は、地元の方に釣りを教わった。サビキという釣り方で、八つくらいの小さな針と、針の近くにおそらく虫を模した白いビニール片がついている糸を垂らし、餌を巻いて魚を釣る方法だ。手のひらサイズのサバやアジが釣れる。

本来なら海に針を入れた瞬間食いついたり、同時に何匹も釣り上げることがあるようなのだが、、昼頃から始めたのが良くないのか、魚の群れは見えるがあまり針には食いつかない時間が続いた。それでも、夕方ごろにようやく、魚が針にかかるようになってきた。

釣れるようになるとあちこちで喜びの声が聞こえて楽しい。さらに面白いのが、包丁とまな板を持ってきて、その場で捌き方を教えていただいた。


基本的には、頭を落として、腹に切り込みを入れて、腐りやすい内臓を取り除く。魚はもうほぼ死んでいて動かないが、頭を落とす時にぐっと背骨を断ち、新鮮な血が噴き出すのは残酷だ。僕は比較的生き物に強い方だが、中には生の魚を触ったことがない仲間もいた。それでも、全員が捌くのを体験した。

さらにさらに、その場でアジを三枚おろしにして皮を剥ぎ、刺身にする捌き方も教わった。

小さくて捌きづらいアジ

「そのまま食べていいよ」と言われた時は流石に戸惑った。ほとんど海水まみれで、なんとなく「食べ物」ではなく「自然」という感じがしたからだ。食べてみると、ほとんど海水の味だった(笑)

でも、このアジを食べたのは自分の中では大きな経験だった。普段、食べ物は売られていたり料理された状態のものしか見ていなくて、家の外に広がる自然を食べるという感情は全く無かった。このアジを食べたことで、いつも食べていた食べ物は自然だったんだということに気付けた。

たくさん釣ったサバとアジは、みんなで捌いて美味しいフライと刺身になった。

鯖フライフワフワで美味しかった

5日目

この日は、奥尻フェリーの伊藤さんに車を出していただき、奥尻島の各所を周遊する日だった。

津波

1993年7月13日、奥尻島は北海道南西沖地震の震源域に含まる場所に位置し、地震発生からわずか2,3分で津波に襲われた。津波の高さは、31mとも言われている。そのため、島には津波からの復興の後や歴史が数多く残っている。

初めは津波館に行く予定だったが、なんと9月からは月曜日が休館日で入れなかった。その代わりに、港に造られた高台や避難用シェルターなどを見学した。当時の人々の津波に対する恐怖や恨みが想像できるとともに、それでも海が見えるような防波堤でこの島に残ることを決断した人々がいることを聞いた。
そして今、高台やシェルターは老朽化が進み、維持費が財政を圧迫している面もあるという。

津波があった7月13日に、夕日がこの窪みに沈んでいく

離島仙人

次は、離島仙人と書かれたお店に到着した。着くなり、ニコニコしたおじいちゃんが、「ようこそようこそ!」と出迎えてくれた。このおじいちゃんが仙人だ。

離島仙人はホッケやタコなどを売る水産加工所だが、奥尻の深海300mにある珊瑚、深海松をアクセサリーなどに加工する体験もおこなっている。お店の壁や棚には、琥珀色と奥尻ブルーが混ざった綺麗な珊瑚を使った加工品が飾られている。

使う珊瑚を選び中

この中から珊瑚を選び、1時間ぐらい紙やすりで白い石灰?を磨き、ネックレスを作った。

完成品、実物じゃなきゃ伝わらない!

お昼はそのまま離島仙人で、特大のつぶにいか、ホッケと豪華な海鮮BBQをいただいた。仙人がチャンスを掴んで奥尻島に帰ってきた話や、職場の人間関係を耐え切った話、定年退職後に夢だった商店を開いた話など心に響く話を聞けてよかった。

特大つぶを一口で

ブナ林

離島仙人に別れを告げ、午後はゆうとさんにブナ林をガイドしてもらった

植物や動物の住む森にお邪魔させてもらってるという気持ちを忘れないで

ブナ林に入ってまず驚いたのが、地面がベッドのようにふかふかなことだ。木の根や壁面には緑の苔やシダ植物が生い茂っていた。こんな森は入ったことがない。ブナのしなやかで強い葉は、なかなか粉々にされず幾重にも積み重なるので、他にはないほど地面がフカフカになる。その地面とブナの豊富な貯水力で、ブナ林は多くの水を蓄えることができる。

ブナは漢字で書くと「橅」である。水分を多く含むため建材に向かない役立たずとされ、ほとんどのブナ林はスギやカラマツに置き換わっていった。しかし建材だけでなくもっと広い目で見れば、ブナ林は天然のダムとして人間生活に恩恵を与えている。奥尻島は、日本で10ほどしかない水を島内で自給自足できる島の一つだ。

ブナの老木

ブナの老木の周りには朽ちた大きな枝がたくさん落ちていて、そこにはキノコがたくさん生えていた。老いた木もまた、森を豊かにする役目を持つ。

森には、ほんの少しの日当たりの違いで別の植物が生えていたりする。実は森の地面にはたくさんの種が眠っていて、自分が得意な環境になると一気に成長する。

若い木も老いた木も、橅もウドもカエデも、みんな得意な場所で生きていて、みんな森にとって必要な木。みんな100点なんだよ。

玉島山

ブナ林の後は、玉島山に向かった。「みんな、良いっていうまで自分の靴紐だけ見てて」そう言われて、数分ほど下を向いて長い階段を登った。

みんなで横に並んで一斉に前を見上げると、突然、奥尻島の一番高い場所の景色が目の前に広がった。それぞれが歓声を上げたり写真を撮っていると、ゆうとさんはこの景色をちゃんと心に残す方法を教えてくれた。

写真を撮るのも良いことだけど、写真を撮ることに夢中になって本当の景色をほとんど見ていないことがある。景色をしっかり覚えて帰るにはコツがあって、五感を使いながら時間を過ごすこと。カメラと違って「心のシャッター」を切るには数分かかるんだ。

そう言われて、数分間各々の場所で、静かに風景を感じた。こうすることで、帰ってからも玉島山の景色や風の感覚を思い出すことができている。

実際に行かなきゃこの景色は感じられない

奥尻高校

夜のミーティングの時、奥尻高校の高校生が、奥尻高校のことをプレゼンするためにやってきた。

田舎の小さな学校だと思っていた奥尻高校は、地域みらい留学というプロジェクトに参加していて、生徒は72人中54人が県外からやってきている。普通科ながらスキューバダイビングや島の広報活動などの特殊な授業があり、部活動も県外遠征のためのクラウドファンディングから始まり、現在は持続的に奥尻高校に生徒を集めるためのOkushiri Innovation Division(OID)という活動に多くの生徒が在籍している。

素晴らしいプレゼンをしてくれたS君もOIDの活動でimacocoに来てくれたのだ。話を聞くと、彼は僕の住んでいた町の隣町の中学校から、この奥尻高校に入学したらしい。高校の頃にこんな場所に留学するなんて考えたこともなかった。いい経験をしていると思う。

これを読んでくれている皆さんも、子供ができた時の選択肢の一つとして、こういった高校があるということを知っていることが大切かもしれない。
https://www.town.okushiri.lg.jp/highschool/

6日目

SUP

この日は、いよいよSUPをした。
SUPの魅力はそれこそ五感で海を感じることだが、まずはこの写真を見てほしい。

なんと、10mはあるであろう海底がはっきりと見える。水の世界の上を、板一枚で滑った。

SUPの様子

初めは膝立ちでオールの操作に慣れるところから始まったが、すぐにみんな立てるようになった。波が高い場所もありバランスを取るのが難しかったのに、みんなずっと立っていたのはかなり上手だったと思う。途中一人海に落ちてしまったが(笑)

SUPの後は、そのまま海で遊んだ。初めは、結構深いし寒そうであまり海に入るのは気が進まなかったが、仲間の一人が既に海に入っていたのでトライアスロン部が怯んでいる暇はなかった。

みんなで水を掛け合っているところを撮りたいということで水を掛け合ったのだが、これが最高に楽しかった。

楽しそうな水かけ

カメラで撮ってくれる仲間がいるのってめちゃくちゃ大事だと思った。

7日目

4日目あたりから、僕たちは3つの制作物を作ることを任されていた。imacocoの看板と、imacoco駐車場の看板と、駐車場に入るためのスロープだ。この日は丸一日それらの制作物を完成させる日だった。僕は、駐車場の看板を担当していた。

完成品がこちら

くるまcoco

もともと張り紙に使割れていた板に、油絵具で海のような背景と車を描き、その上に海岸で拾った石で「P」を形作った。imacocoとcocokaraの駐車場なので、「駐車場」や「車はこちら」の代わりに「くるまCOCO」と書いてあるのもワードセンスが良い。

これらの制作物は、3つまとめて夕方ごろにimacocoの皆さんに披露した。
5、4、3、2、1のカウントダウンで一斉に振り向いて見てもらった。皆さんに喜んでもらえて本当に嬉しかった。

他のチームの制作物はこんな感じ

imacoco看板

大量のシーグラスを集めてimacocoのロゴを再現している。途中いち君に34点くらいの出来と言われ絶望していたが、文字のグラデーションや貝殻のフレームで改良し、最終的には確か96点の高評価をいただけた。

駐車場スロープ

こちらは裏に掘った名前を見せているので形が分かりにくいが、車道と歩道をつなぐスロープである。このチームは熱い日差しの中ずっと作業をしていたのが凄すぎる。木材を削ったり組み合わせて作ったスロープは強度に不安があったが、披露会の時に実際に8人乗りの車が乗り上げて、見事スロープの役目を果たせることが証明された。

これらの制作物は今後もimacocoに残り、使われていく。imacocoにはこのように、訪れた人たちがそこにいた証がたくさんあるので、立ち寄った際はぜひ、僕たちの作った看板やスロープも探して見てほしい。

炊事当番

僕がいた駐車場の看板チームは前日までの作業で9割くらい完成していたのと、二人が今日の炊事当番だったので、この日は自由な時間を利用して料理にも力を入れた。

まず、朝5時に起きて有志数人で魚を釣りに行った。風速25mくらいの嵐で海の水が飛んでくるような天気だったが、なんと30分で50匹もの鯖とアジが釣れた。

朝ご飯

これが朝ご飯。昨日のあまりのシチュー、事前に作ってあった南蛮漬け、アジフライとナスフライ、味噌汁。

昼ごはん

これが昼ごはん。春のECOFFの人たちが作った畑で採れたイタリアントマトをいただいていたので、茄子と椎茸をみじん切りにしてトマトソースから作り、冷蔵庫に入っていた少量の挽肉を利用してミートボールパスタを作った。
写真は映えていないが、「今まで食べた中で一番うまい!」と言ってくれる人がいるほどおいしかった。

夜ご飯

これが夜ご飯。鯖の竜田揚げとゲストハウスのアニキからいただいた漬物、味噌汁。竜田揚げは間違いない美味しさ。

星空

また、夕食後にゆうとさんに外に集まるように言われて、みんなで星空を見た。

ゆうとさんが撮ってくれた写真

ゲストハウスや神威脇温泉の明かりがあるので完全に真っ暗なわけではないが、それでもはっきりと天の川が見えた。30分ぐらい空を見上げて、心のシャッターを切った。

8日目

送別会

この日は、ゲストハウスの掃除をして、夜はお世話になった皆さんとcocokaraで送別会を行った。

他のボランティアプログラムに参加したことがあるメンバーの意見もあり、色紙的なものを書きたいという話は昨日から出ていた。でも、神威脇には買い物ができるような場所はなく、式紙を手に入れるには朝子供たちの学校の送迎ついでに買ってきてもらうか、僕がファットバイクで南の集落まで買いに行くしかなかった。前者はサプライズじゃなくなるし、後者は僕が可哀想なので微妙だった。結局、送別会の装飾をしたいという名目で、ゆうとさんファミリーに折り紙と画用紙を借りることにした。

しかし、式紙は誰に書くのか、お世話になった人全員に書いたら人によって内容が薄くなるんじゃないか、ペラペラの画用紙の式紙をもらってどうするのかなど、ここにきてなかなか意見がまとまらない場面があった。

みんなで考えている時に、僕はひらめいた。奥尻島のことをたくさん知るためにここに来たのだから、僕たちが知った奥尻島の地図を作って、その地図に感謝の言葉も書けばいいと。そうすれば誰に書くのかという問題も、人によって思い入れのある場所が違う問題も解決するし、貰ってからも制作物として鑑賞できる。

意見がまとまってからは、みんなの得意を出し合って想像を遥かに上回る地図が出来上がっていった。

奥尻島ありがとうmap

午後から作り始めたので時間は足りないぐらいだったが、僕たちが奥尻島にきて知ったこと、出会った人への感謝が詰まった奥尻島ありがとうmapができた。かわいい、、、

送別会はたくさんのご馳走とともに行われた。お馴染みの鯖竜田揚げをはじめ、鶏肉のうまいうまい焼き(照り焼き的な)、ホッケとアブラコの煮付け、わかめの炊き込みご飯、カナさん(ゆうとさんの奥さん)が作った畑の野菜スープとカボチャのケーキ、仙人が持ってきたタコ、アニキのギョウジャニンニク餃子と青唐辛子の南蛮味噌、奥尻ワイン、、、

奥尻での思い出を語りながら、お腹いっぱい食べた。

送別会の最後には、サプライズでゆうとさんももちゃんが歌を歌ってくれた。

ユニット名は「心のシャッター」

僕たちの名前が入った替え歌になっていて、涙なしには聴いていられなかった。ゆうとさんも泣いていた。本当に素敵な時間だった、、、

送別会が終わった後も、奥尻島で10人で過ごす最後の夜を惜しむように、遅くまで話した。

9日目

別れ

別れは突然に。帰りのフェリーは、朝の7:00に出港する。6:00にはフェリー組はゆうとさんの車でcocokaraを出た。ここで、飛行機で帰る3人とimacocoの皆さんとはお別れだ。長い間一日中一緒に生活していたのに、もう会えなくなるかもしれないんだな。

ゆうとさんと一人ずつ別れの言葉を交わし、フェリーに乗って、港側のデッキに移動した。見送りは、ゆうとさんとアニキの二人だけ。ありがとうございました、また来ます!と叫んだ。船の大きな汽笛が鳴った。

船が動き、手を振るゆうとさんが、奥尻島が少しずつ小さくなっていった。

ありがとう奥尻島

僕たちは、北海道から沖縄までそれぞれの場所に帰る。何人かは、家にも帰らずまた次の場所に旅立つらしい。

偶然僕たちが集まった奥尻島は、帰りを待ってくれる人がいる第二の実家になった。僕たちはここからまた、それぞれの道を行く。だから、奥尻島を出る人たちはさようならの代わりにこう言う。

いってきます!

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