体は「ヨロコビ」のかじ取りを求めているんだ
先日「インサイドヘッド2」を観てきた。
軽いネタバレになってしまうかもしれないが、鑑賞後にパラパラとめくっていたレビューの中で、「私たちの感情はいつもヨロコビの主導を求めている」との記載に出くわした瞬間、今の生活のすべてとつながり、涙が止まらなくなってしまった。
私は30代既婚、激務と認識されている業界で働きながら不妊治療をしている身である。
正直人生でこれほどつらい時期はなかった。自分のことを語ることが得意でない私はSNSはもっぱら見る専で、まさかこんなに赤裸々に感情を吐き出さないとおかしくなってしまうことに至るなんて思っても見なかった。
なので、この記事がどれほど「ブルー」なトーンのものになるかも把握はできないけれど、同じような境遇の方がいて、ふとここに立ち寄り、少しでも共感できる部分を見つけたとしたら、この文字たちを通して、ギュッと包み込んであげたい、そう願う一心である。
さて、心の奥の奥へ隠れてしまっているヨロコビを見つけるには、まずシンパイやカナシミときちんと向き合わなければならない。
その①
職場への不妊治療カミングアウト、するかしないか。
まだAIHを試している段階の私としては、できるところまでしたくないというのが本音である。部の全員働きまくってギリギリ業務を回している職場で言いだして長期間結果が出ない場合、恐らく気をつかう方も気をつかわれる私も多大なストレスを抱え、不幸になってしまう未来をどうしても想像してしまう。
だが一方でなにそんな甘ったるい考えで挑んでるんだという考えももちろんある。IVFにステップアップした際は確実に仕事を減らさないと難しいのは頭ではわかる。でも抱えているプロジェクトはみんな捨てがたいし、何より自分で勝手に作り出した「不妊治療をしている人を見つめる目たち」という恐怖に立ち向かう勇気がない。そんな私が一番嫌いで悲しいのだ。
その②
女友達との付き合い、いつのまにこんなに難しくなった?
昨日ふと、美術館に行きたいと思い、せっかくなら誰かと一緒がいいなと思ったときに、あれ、気軽に誘える人が誰もいないと気づき、連絡先リストを見つめたまま呆然としてしまった。
夫からよく、なんでそんなに友達が多いのと聞かれていた私なのに、今日は寂しく彼が友達と飲みに行って帰ってくることを待っている。
未婚の友達はいつでも集まりやすいグループを見つけ、いつの間にかあまり遊びに誘ってこなくなっていた。既婚の友達は子育てに励んでいる子が多く、スケジュールを合わせるのが至難な上、会って会話の流れで自主的に、もくしは仕方なく妊活しているという話を一度でもしてしまうと、その後はどうしても気持ち良いとは言い難い沈黙が流れる瞬間が積み重なる様になった。
実は仲のいい友達なんていなかったのでは?そう自分の交友関係を疑うこともあった。だが恐らく違う。2年前、家族のように接していた小学校からの親友が都内に引っ越してきた。これからたくさん会えると互いに心を踊らせていたが、専業主婦で1歳の子供を育てている彼女と生活の9割が仕事の私ではお互いの話をただ聞くことしかできず、相槌さえ想像力を膨らます努力のいるものになっていた。
娯楽がテレビしかなく、共通のお気に入りのドラマの話でいつまでもきゃっきゃしていたあの頃がなんとまぶしいか。今は見ているYouTubeのチャンネルさえ合わせることが難しくなってしまった。性格の相性はこれ以上ないほど合う私たちの間を隔てる溝の名は「年齢」なのか、「時代」なのか、「社会」なのか。
その③
せめて家族は思いやりを。
私はずっと「母」になるのが夢だった。一般論の母親ではない、「私の母」のような女性になりたかった。子供には最大級の愛情を注ぎつつも、ユーモアに満ち溢れ、いつも味方でいてくれる存在だった。そんな母がたまらなく誇らしかった。
だが、遠く離れて住み、私がアラサーになってきた頃に母との付き合いにおいて、軽い違和感を感じるようになった。
「もういい年なんだから早く結婚しなさい。」付き合っている人がいると報告するとそのように言われた。
「仕事、旅行なんてほどほどにして早く子供産みなさい。」結婚後忙しい日々を送ってやっと迎えた長期休暇にどこどこに行く予定だよとテレビ電話をするとそんな会話が多くなってきた。
彼女は固定観念が今も強く根付いている場所で生活しており、自身は適齢でお見合いをし、結婚後は光の速さで私が生まれた。そんな母の今の生活は確かに幸せそうで、その成功体験をもって私を導きたいという思いは理解できる。ただ、私からすると、今感じている生きづらさ、終わりが見えない悩みを素直にぶつけても、恐らく彼女の前では泡となって消えてしまう。現に先日感情が爆発し、「子供に関してはもうクリニックに通っているからこちらから報告するまで何も言わないでくれ」と伝えたが、「子供は授かりものだし、自然に待ってればいいよ」と腰を抜かしてしまうような回答が返ってきた。
母のことは今でも大好き。だが今日のような時間の空いた夜に数年前みたくすぐテレビ電話で呼び出して友達のように語ろうという気は起こせなく、連絡をするには勇気と心構えが必要になってしまった。
さて、不穏な感情を追い出せなくとも、一通り面と向かって挨拶はした。今の私にヨロコビは残っているのか。
一つは不妊治療に対する夫の向き合い方。これ以上なく協力的であり、それでも結果が出なく私が負の感情のスパイラルに陥った時は「今考えても仕方ないことは考えない!美味しいものを食べるんだ!」と力技で救い出してくれる。その一瞬では私が求める「共感」を提供してくれないことに怒りさえ覚えることもあるが、ふと冷静になるとそれが最善策なのだと気が付く。
何より全てを包み隠さず語り合える人との毎日は心地よく、宝物である。
そして彼の両親。付き合っていた当初から年に数回は会っているが、こちらからの報告がない限り一度も「結婚」や「子作り」を会話の中でちらつかせたことはない。夫単独に対しても。その上、結婚後も海外旅行が好きな我々に対し、「二人で将来どこどこにいけばいいじゃないか」とか「二人で住むならこんな場所がいいね」なんて、わざとにしては自然すぎるストレス寛解ワードを投げかけてくれる。
孫が欲しくないわけではない。いつかそんな報告ができたら涙を流して喜んでくれることを私は知っている。だがそれでもじっと待っていてくれる義父母に恵まれた私はとても幸せである。だからこそ結婚の報告の際に見たあの忘れがたい光景をもう一度と、これからも努力を続けようと思う。
でもその前に明日は一人でも好きな美術展に足を運んでみようかな。
きっとそれは喜びに包まれた日になることを信じて。
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