わたしのアラスカ展 2
余談入りましたが、そのような訳で出すという作業が再始動し、制作してくださる作業場が遠くなってしまったのでもどかしさを感じています。
会って話したら早いのに!という。
さて、今回の展示では昨年とは違い視線をおろして風景を展示します。
(今回のオーロラ騒ぎを見ると昨年のオーロラの方が良かったかな😁)
ところでアラスカというとみなさん何を思い浮かべますか?
今旬なオーロラ、遠い、どこ?、寒い、広い、野生動物など色々あると思いますが、私がよく聞く言葉に”星野道夫さん”があります。
とても多くの方がアラスカとイコールで結んでいます。
私の昨年の展示に来てくださったりHPをご覧になった方はご存じかと思いますが、私に星野さんは全くないです。
知らないに近いほどです。
フェアバンクスのミュージアムに行くと写真が展示してあるので、一番初めに行った時に自然と触れる機会はありました。
星野ラーからしたら、何で知らないの?興味持たないの?あんなにすごい人なのに!!かもしれません。
でも私は、なんというか、他者の目は欲してないのですね。
自分の感覚に問うているのでそれだけで十分なのです。
同じようなトーンでお話ししたいのが、その昔、製作始めの頃、とある写真マガジンの賞を総なめにしていた(らしい)方から「沖縄といえば戦争なんだよ!」と怒鳴られたことがあります。
当時私は八重山諸島の自然に必死にすがりついていました。
何故八重山かといえば、「自然に帰りたい」と思った時に、一度も行ったことがない場所、人が少なそうな場所で小浜島が候補になったのです。
冬でしたし今のようにSNSがない時代でしたので、とても静かに過ごせました。
関東とは全く違う気候をひたすら楽しみ、自分を立て直す手立てに必死でしたので、他のことに想いを馳せるそんな気力はありませんでした。
しかし、そもそもその土地はそれだけしかないのでしょうか?
その時は「個展をしなさい」と言われ、けれど全く自信がなかったので下痢をしながら支度をしていたくらいマイナスの感情でしたので突然の他人の怒りとその言葉に深く傷付き混乱しました。
どこの場所でもそれだけを背負って日々いるということはないですよね。
もちろん、自分の感情を歴史事実に絡めて伝承し続けている人はいます。
けれど、そもそも私たちは自分自身の経験をするために人生を送っています。
100人いれば100通りの見え方(学ぶこと)があり色とりどりの人生があります。
また、アラスカだけではなく多くの方が好きな場所所謂な聖地と思っている場所にも生活があります。
みな自分の人生を生きています。
ということでもちろんですが、私の写真に星野テイストは一切でてきません。
よく見るアラスカっぽいもないでしょう🙄
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尊敬している相手が良い悪いではなく、人を崇拝していると分厚いフィルターがかかって真の目で見、感じることができません。
それは自分を無視している状態です。
人がやってきたことを辿るだけでは同じ事に悦に入ってるだけで身にならない陶酔なのです。
(これは真似から生まれるものとは全く違う事柄です)
私たちはそれぞれ全く異なる経験をする為にここにいます。
思考は”外”ではなく”ウチ”を素直に見つめることで開けていきます。
ですからぜひ自分の体験をしよう!と言いたいです。
人は、上も下もなく、また、人生はポエムではないのです。
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