好奇心を縁に宇宙を飛ぶ-Outer Wilds- Ver.FB
人生では稀に、文学に出会う瞬間がある。
それはもちろん言葉通り、文字として手の中に現れることもあれば、時には漫画の形を取っていることもあり、絵画だったりドラマだったり、映画だったり、景色だったり人物だったりもする。
「文学」はいつだって、その「物」の持つ面白さや興味深さを超えて、触れた者が見ている世界の解像度を上げてしまう。
この春、「文学」はゲームの姿を取って私の前に現れた。
「Outer Wilds」というゲームがある。
プレイヤーは新米宇宙飛行士となり、かつて滅びたとされる先住民族「ノマイ」の遺跡を求めて、人生初の宇宙飛行へと挑戦する。物語はその日の早朝、伝統行事として続いている「初飛行前のキャンプファイヤー」で目を覚ましたところから始まる。しかし、私たちはまだ知らない。実はこの世界は、プレイヤーが目を覚ましたキッチリ22分後に滅びる運命にある。
星系が滅びるまでの22分で、この世界の謎を解き明かす。それが「Outer Wilds」というゲームだ。
Xbox One PS4 PCゲーム(Steamなど)で現在配信されている。
さらに今夏にNintendo Switchでの配信が決まったため、ニンテンドーダイレクトでの紹介PVがYou Tubeにアップされた。
これを見て一瞬でも「あ、面白そう」と思った人は、この記事を閉じて夏を待つことをお勧めする。絶対に事前に情報をリサーチしてはいけない。それほどまでに、このゲームの主題は「己で未知を切り開く」ということに集約されている。
ここがTwitterであれば、問答無用でここで記事を終わらすところであるが、一応はFB用に記事を書いているつもりなので、もう少しゲームの内容に踏み込んでみたい。FBは大人の社交場であるからして、ここには恐らく一生涯PS4を触らない人もいるだろうし、Switchはあつ森専用機となっている人もいるだろうからだ。
けれどやはり、この作品をもっと多くの人に知ってほしい。
Outer Wildsという「文学」がこの世に登場したことを、たくさんの人に知ってもらいたい。そんな思いで、以下には少しネタバレを含んで記事を続ける。
もう一度言うが、少しでも興味が湧いてきて、しかもプレイ環境が整っている人はこの後の空白部分をスクロールし終わるまでに記事を閉じてほしい。
Outer Wildsは残り22分で滅びる星系をループしながら探索するゲームである。
この世界にはどうやら昔「ノマイ族」と呼ばれる民族がいて、彼らは超科学力を有していたそうで、その場に重力を作る結晶石や、射出した小型探索機を手の元へ簡単に戻すためのワープ技術など、色々な恩恵を後世へと残してくれていた。
だがその生態はあまり知られていない。彼らの残した遺文がそこかしこに散見されるのにもかかわらず、私たち「ハーシアン族」はまだ読むことができない。
そんなノマイ族の遺した文明の恩恵を受けながら、ハーシアン族は宇宙冒険隊「アウターワイルズベンチャーズ」を設立し、宇宙進出を成功させる。
それから後、主人公はハーシアン族で初めて「ノマイ語翻訳機」を持って宇宙へ飛び出そうとしている、新米宇宙飛行士である。
初飛行の挨拶回りの最中に「先輩飛行士たちが宇宙にいるから、よかったら会ってみてね。彼らはみんな楽器を持っていて、宇宙で耳をすませば聞こえてくるよ。」と村の人から教えてもらって、どの星から行こうかな?なんて考えながら宇宙船に乗り込む。
そして主人公が宇宙へ飛び出したその日、22分後、突如として太陽が爆発し、この星系は終わりを迎える。
気がつくと主人公は、初飛行前のキャンプファイヤー前で目が覚める。どうやら自分はタイムループをしているらしい。
どうして太陽は爆発するのか?どうしてタイムループが起こるのか?この惑星を救うには、一体どうしたらいいのか?
永遠に繰り返される22分を積み重ねながら、私たちはその謎に一つずつ迫っていくことになる。
既プレイヤーにとって、このゲームで最も特徴的だとされるのが、前述したストーリーが作中では一切語られないという点である。
つまり、ゲームを点けたその瞬間から
「なぜか宇宙船に乗ることになり」
「操作もおぼつかないままとりあえず出発して」
「適当に選んだ近くの惑星に不時着まがいで着陸したら」
「突然眩い閃光があたりを包み込んで死亡」
「気がついたらキャンプファイヤーが目の前にあった」
という感じでゲームが進む。前説はない。途中説明もない。目標もなければ、セーブポイントもなし。
ただただ22分ごとに宇宙へと飛び出して、目についた惑星に着陸して走り回っているうちに奇妙な「遺跡」を発見して、夢中になって調べていたら世界が滅んで、22分前に戻っている。そういうゲームだ。
これがこのゲームの最も不親切な点であり、また新規参入者に全力でお勧めが出来ない最たる原因であり、そして同時に「文学」たり得る根幹を成す最上の要因でもある。
手探りでゲームを進めて、22分のループに慣れた頃、忙しなくコントローラーを動かしながら私は頭の片隅で考えた。
私は「このゲームはループしながら宇宙の謎を解き明かすゲームだ」と紹介されたから、22分経つ度に何度も何度も宇宙へと旅立っている。けれど、私が操作しているこの主人公はどうしてループの度に宇宙へ行くのだろうか?
ゲームの登場人物には、登場人物のキャラクターがある。たとえ作中で語られなかったとしても、私が操作している「彼」もしくは「彼女」にもまた、その人なりの「宇宙に飛び出す動機」があるはずではないだろうかと、そう考えたのだった。
どうして主人公は、こんなにストイックに宇宙へ行くのか。
これは完全にネタバレになるのだが、実はこの宇宙が滅ぶ原因は「太陽の超新星爆発」である。
超新星爆発ということはつまり、太陽が寿命を迎えたために宇宙を巻き込んで死ぬということで、これを止める手立ては主人公はおろか、この世界の誰も持っていない。
(完全に文系の私は、超新星爆発について知りたくてキッズ向け科学サイトを一生懸命に読んだのだが、超新星爆発を起こすには太陽の8倍の重量?質量?が必要なので、正確言えば私たちの太陽は超新星爆発を起こさないらしい。赤色巨星が白色矮星になって冷えていくのだそうだ。分からん。)
つまり彼らの宇宙は22分後に滅びる。これは変えようのない事実だった。
ゲームの最中、ノマイの遺跡を探索しながら初めて「突如目の前に現れる青い閃光」の正体が「太陽の爆発」だと観測した私は、なるほど太陽の爆発を止める手立てがどこかに存在するんだなと、そう思った。そして「太陽の爆発」が「寿命による超新星爆発」だと知った時に、愕然とした。スケールが違いすぎる。これでは、宇宙を救うことができない。
ゲームで登場する惑星は、どれも曲者ばかりだ。
時間が経てば砂で埋まってしまう星や、火山月が飛んできて(!)地面を破壊して回る星など、命がいくつあっても足りない。しかも当然のことながら、どんな危険がある星なのかは、一度行ってみないことには分からない。そもそも宇宙船が着陸させられる場所すら、初見時には発見出来なかったりもする。酸素もないし、重力もないし、なんなら重力が倍くらいあったりもする。
そんな「未知」はとても恐ろしい。
見たこともない、分からないところに体ひとつで飛び込んでいくのは、ひどいストレスだ。恐怖だ。
それでもそれを抑え込んでコントローラーを握る。
私が宇宙を駆けた理由は、義憤であった。
主人公が旅立った惑星に住む人々には何の罪もない。その人たちが、幸せな日常を奪われようとしている。彼らの日常風景を守るために、私は右も左も分からないまま恐ろしい宇宙を飛んでいたのだ。
しかし彼らの日常を奪ったものは、自然現象で、私では到底太刀打ちのできないものだと知った。
どこかにシェルターみたいなものがあって、そこにみんなを移動させれば助かるのではないかと考えた時もあった。その時の私はゲームの進行上得られた情報で「おそらくノマイ族は滅んでおらず、とある場所に作られたシェルターで生活してるに違いないので、そこをパカっと開ければノマイがコンニチハーと出てくるはずだ。そこに入れてもらおう。」と推理していたのだ。
しかし、ノマイは滅んでいた。
白骨化した遺体が宇宙のそこかしこにある。
22分後に宇宙は滅びて、銀河が死にゆくという状況で、それでもまだ主人公はストイックに宇宙へと飛び立つ。
片手にノマイ語翻訳機を持って、意気揚々と遺跡に刻まれた文字を読み解いては宇宙船の航行記録へと書き写していく。一体何が彼をそうさせるのか。
それが理解できたのは、物語のエンディングを見届けた後のことだ。
彼が握っていたのは、ただの「好奇心」だった。
初めてキャンプファイヤーの前で目覚めたあの時から、宇宙の滅亡を見届けたあの時まで、彼の動機は何一つ変わることなく「ノマイの足跡を読むこと」だったのだ。
そもそも主人公は一度たりとも「世界を救おう」なんて言わない。「爆発をとめよう」とも思っていないに違いない。私が勝手にそうしたいと思ってしまっただけだ。でも、きっと主人公は「どうして爆発するのかな?」とは思っているし、その理由を知りたいとも思っている。
彼は一人、好奇心を縁に宇宙を飛んだ。何十回、何百回と22分を積み重ねて、そして最後まで彼は「知りたい」と思ったままに行動した。
よく考えてみれば、彼の想いは途中で私にも伝染していたように思う。
ノマイの文献に知らない場所の名前が出てきた時に、どうやったら行けるのだろうとワクワクする。チラリと目に入った建物に飛び込んでいく。やってみたいことが次から次へと湧いて出て、試してみるけどうまくいかない。22分すればどうせ元に戻るのだからと、命知らずに飛び込んでみて、そこで新しいものを見つけて声をあげる。
それは間違いなく、好奇心だった。
そして、その好奇心の果てに辿り着いたノマイの全ての文書もまた、好奇心と探究心に溢れている。彼らは実に、さまざまなことを考えて、推論立てて実験し、成功させて喜んで、そしてまた知らないものが現れれば躊躇なく走っていく。
まるで「未知」が素晴らしいことのように、彼らの遺文はキラキラと輝いている。
知りたいと思うこと、新しいものに出会いたいと思うこと、それはいつだって「未知」という恐怖を歩く者が持つ、たった一つの灯である。見ること、考えること、そして恐れずにやってみること。Outer Wildsは絶えず、それをプレイヤーに要求してくる。
だってOuter Wildsなのだ。Outer wilds venturesだ。自分がまだ知らない未知の荒野を、探究心だけで突き進む冒険家たちの物語だ。先人たちはいつだって、暗闇の中を進んできた。そして彼らが照らしてくれた明かりを頼りに歩く私たちの眼前には、きっと歩みを進めるごとに、まだ誰も踏み込むことのない真っ暗闇が近づいてくるだろう。
やがてその畔に辿り着いた時、私たちはまた「好奇心」という明かりを灯して、未知の世界に足を踏み入れていく。そうしてまた新しい「何か」が生まれてく。
Outer Wildsはそれを「動機と目的の無説明」という、とんでもない手段で成し遂げた。導入が不親切という意見は一理あるが、だからといってここを明記してしまえばこのゲームは凡作に成り下がる可能性がある。
このゲームは傑作で、駄作だ。
だって、このゲームを進められたプレイヤーが絶対にすごい苦労をするのをわかっていても、どうしても誰かにプレイしてほしいと思ってしまう。
どれだけ私がここで語っても、「文学」である所以は22分を積み重ねた人にしかわからない。これは絶対だ。だからとにかくプレイしてほしいのに、ゲームがプレイヤーを選り好みする。受け取り手を選り好むのがあらゆる「文学」の特徴ではあるが、これは酷い。だって、これを文学として受け取れる感受性を持つ、細やかで繊細な人は、絶対的にプレイヤーに向かないからだ。それでも私は、あらゆる世代や属性を超えて、このゲームを進めたい。
あらゆる苦難を乗り越える方法を、そしてその先に待ち構えるものを、彼らの迎えた結果を、この世界に生きる全ての人に知ってほしいと思ってしまう。とんだ傑作である。
さて、結局のところこの宇宙を救う手立てはない。
太陽の超新星爆発を止めることはできないし、この宇宙のどこにも逃げ場などない。好奇心を縁に宇宙を飛んだ彼は、最後にどのような行動をとるのか。
「ゲーム」が「文学」になる瞬間は、実際にプレイして確かめてほしい。
そうすれば、今夜も夜空から彼らの音色が聞こえてくるようになるだろう。
絶対にプレイできないよ!という人、もしくは三半規管に自信がない人は実況動画という手があります。
個人的にはこの方とか見やすかったので貼っておきます。最後の手段で!