軌道修正ー夢
書について、300字でまとめよ。
考えた。
習字の先生をしたいと思った。小学2年生から週一回の書道教室に通い6年生まで続けた。3年生の書初め展で賞を貰うと俄然親と先生がやる気を出し、毎年教育長賞やら部長賞やらを県から頂いた。
中学生なると部活に夢中になり書から離れた。
墨の香りはどこか脳みそに残っていた。子どもが生まれ、子どもが小学生になると習字の授業があった。長女が習字教室に通い、私もついでに先生についてみた。久方ぶりの筆は思った以上によく走り、気持ちが良いほど楽しく書いた。
数ヶ月で夫の転勤があり、大きな紙に書いた書を出品する手前でその地を離れた。
あれから何年過ぎたろう。
20年をゆうに超えた3年ほど前、縁あって習字を再開した。半年ほど経った頃仕事の都合で1年近くお休みした。それでもまたスッと戻れたのは、当時ついていた先生のおかげだ。お休みしている間、教本を休まず取り続け待っていてくれたのだ。
半年ほどでその先生は先生を辞めてしまった。私は先生の先生を紹介された。今ついてる先生だ。
やがて習字教室を開きたいと伝えた。だからそのつもりでご指導いただいている。ありがたいことに先を見据えて教えてくださるのでこちらもやりがいあり、トントンと調子良く進んだ。
書について300字でまとめよ。
書は私にとって何だろう。
改めて考えた。
先生の腕、手、筆から出てくる一筋の線。
一本の線が、
ときにはまっすぐ天に向かい、ときにはまあるくあったかい。
時にはキレッキレの鋭さを見せ、時にはのんびり寝そべる。
いろんな姿を見せる。こんな線が描きたい。
いろんな顔の線から感じる様々を、私も描きたい、感じたい、満足したい。
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習字教室を開きたい。
本当に?
自閉症のD君との書の時間は味わい深い。
なんとも味のある字を書くD君と、コラボするその父との書の時間は理想的だ。
先日、「北の国から」のDVDを全巻見終えた時に感じたのは家族の赦しについてだ。
家族は赦すことができる。理屈じゃない。罪が気にならないのが家族だ。
家族だから赦さないといけない、というのとは違う。
「北の国から」を全部見終わって感じることが今の課題点だという。
だとすれば、
できると思ってやったけれど、できなかったことを認める時期が来たということか。
家族は赦すことが自然とできるものだ。
意識しないと出来ないなら、それが答えだ。
人間は完全ではないし、それを自分で認める時期がやってきたということだ。
できると思ってやったけれど、できなかったのだ。
負けを認めるのが嫌だった。
できるからと周りに言い放って始めたことだった。
できなかったというのは嫌だった。
できない人間だと自分を卑下するのも嫌だった。
「できなくてもいいんだよ。」
それに気づいた。
言葉で言えばそんなこと。
だけど自分もそうだと。できないんだと。
できない自分でいいんだと。
今頃になってやっと認められた。
この先、書を続けるのは確実だ。
本当に教室をしたいのか。
師範のお免状を取得するための昇段という意識からは、少し距離をおこうと思う。
うん、これでいい。
写経を再開することにした。
ゆめのさんの絵に見守られながら。
課題を見つけたあと、私は何を思うのか。
そのうち答えがでてくると思う。
あせることはない。
今世でやるべきこと。それが何なのか。
あせることはない。
じっくり取りかかろう。
ゆめのさんの絵を眺めながら。
位置決め仮留め中
まつおさんの企画に参加しました。
まつおさんに触発されて詩を書きました。
ところが今回はエッセイとな。
しばらく文章を書いていないので、エッセイはどうしたらいいものか・・
はたと困っていたところ、ちづこさんのこちらの記事が上がってきました。
文章にもなっていない文章ですが、とにかく参考にさせていただきつつ、なんとか書けました。
これが、エッセイでいいのかはおいといて。