何者かになんてなれないし、何物にもなる必要なんてない

何者かになりたい人間が多すぎるし、それを利用する人間も多すぎる。

お前は何者かになれるほどのことをやってきたのか?
なりたいのは華美な表層だけで、その陰にある苦労は含まないんだろう?
そんなことを恥ずかしげもなくぺらぺらと話せるお前はすでに何者かだ。

お前にどうしても伝えたいことややりたいことがあるならそれでいい。
ただお前は日々何となく他人に流される中で何となく思ったのではないか?
みんなが何者かになろうとしているから、自分も何かしないと、と。

おめでとう。お前はその時点で何物にもなれない社会の小さな歯車だ。
社会の歯車であることを気にする必要はない、むしろ存在意義は大きい。
地面に転がるゆがんだ歯車より、組み込まれた精緻な歯車のほうが美しい。

自分の代わりはいくらでもいる?そんなことは歴史が証明しているだろう。
お前がいる間にその役職で定義づけられることは、むしろ安心感さえある。
学歴や役職で自分を語ることは大いに結構、それがお前についた勲章だ。


仮にお前が望んだ「何者」かになれたとしよう。
お前を待っているのは「何者」かとしてしかお前を見てくれない人たちだ。
彼らは自分の崇める「何者」にそぐわない発言や行動を拒絶し、批判する。

中には自らを偽り続けられる強靭なメンタルを持つものもいるだろう。
ただ多くは、他人の期待する「何者」におびえる日々を暮らすはずだ。
自分の好きなことが自由に言えない、それはまさに「何者?」だろう。

お前はどうせ「これは本当の自分じゃない」とか言って別の何者かを探す。
で、人生を振り返って見えるのは、全てが中途半端な何者でもないお前だ。
1つのことを極める忍耐のない奴は、与えられたことで自分を定義しろ。


お前は本当に「何者」かになりたいのか?大勢にほめてもらいたいだけか?
承認欲求は人間を堕落させる蛇だ。TwitterやInstagramという果実は毒だ。
承認欲求に踊らされ、自我を失っているお前はいったい何者だ?


お前に本当に必要なものは手の届く範囲にある人間からの承認だ。
画面の向こうの見えない何千人よりも、目の前の一人を大切にしろ。
手の届かない惨状に心を痛めるのではなく、目の前の人間を笑わせろ。

そうすればお前は誰かたった一人のための「何者」かになれるだろう。

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