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ポスト確認恐怖症
ポストを開けるのがこわい。
マンションのポストを開けて中身を取り出す、
という行為がこわいので、
帰宅時はいつも集合玄関のポストをスルー(ちらっと横目では見る)して自分の部屋まで帰ってしまう。
正確に言うと、マンションのポストを開けて中身を取り出す行為自体がこわいというよりは、
「ポストの中に何が入っているかわからないからこわい」
である。
別にこれまでポストに嫌がらせなどされたことはないし、
郵便物やチラシ、不在票以外の変なものを入れられていたことはない。
けれど、
ただポストを開けるのがこわい。
なので確認が必要な書類や返事が必要な郵便物、
入金期限が書かれた「金を寄越せ」という書類の入金期限を余裕で破ってしまうという社会不適合者丸出しになってしまうことがしょっちゅうある。
(事前にそういう書類が届くとわかっている時はがんばって確認するようにはしている)
ただポストを開ける、という人によってはただのルーティンになり得るような簡単なことが何故こわいのか、
自分でもそのこわさの理由が
「なんとなく」
でしかなかったので、
理由をよくよく考えてみた。
多分、
「現在使っている通信手段と比較して一方的すぎて何者かわからない人からどんな連絡がくるかわからない」
ところが私の恐怖ポイントなのではないかと一回考えてみた。
今現在、誰かと連絡を取ろうという時、
その手段はLINEやFacebookメッセンジャー、
TwitterやインスタなどSNSのDM、電話番号のショートメール、
というような感じで、基本的に
「相手が誰か分かっている人とリアルタイムにデジタルな手段で連絡を取る」
のが日常的な通信手段になっている。
「郵便が通信手段のメインです」
という人は、よほどの年配者とか、逆に今文通がアツい、みたいなごく限られた人くらいしかいないのではないだろうか。
メールもまだ使うこともあるが昔に比べて使用場面は「ビジネス」か「通販の利用時」というような感じで、だいぶ限られた場面だけになったように思う。
そして唯一メールだけが、時々
「誰だか知らない人」
から連絡が届くことがある。
仕事関係者だったりすることもあるが、いわゆる「迷惑メール」が多いのではないかと思うが、
いわゆるキャリアメールを使うことがなくなった今、
その迷惑メールも最初からフィルタリングされてそれを目にすることも最近では稀である。
(迷惑メールの中にはめちゃくちゃすぎて面白いものもあるので時々覗きに行くことはある)
なので現在基本的に誰かと連絡を取り合おうとする時は、
「リアルタイム」で「相手が誰だかわかっている」ことが前提で、
「デジタル」な通信手段がメインになっている。
その中で、
「ポストに投函されるもの」
というのは、
いつ投函されたかがわからずリアルタイムではないし、
誰から何が届くかわからないし、
そもそも連絡内容がアナログというか「物質」で届く。
普段の通信手段とあまりにも種類が異なっていて、
誰かわからない人から「物質」が届けられる、
ということが私は多分こわい。
デジタル連絡慣れした今、
誰かわからない人から内容のわからない「物質」を受け取るのがこわい。
それにプラスして、私は何よりその物質に込められている「念」みたいなものが怖い。
スピリチュアル的なものをあまり信じてはいないけれど、
物質には何かしら念を感じることがある。
「思いを込めて作りました」
みたいなものは念の塊だと言えると思うのだが、
郵便物のような「伝えたいこと」が書かれている物質なんて、
絶対に誰かの念がこもっているに決まっている。
ポストという誰も気軽に投函できる手段で、
簡単に誰かから「念」をポストに入れられることがこわい。
わたしはつまり、なんだか知らない人でも知ってる人でも、
郵便物にこもっているような気がする「念」がこわい。
わたし自身に「念」を入れておけるポストが装着されていないので、
受け取った念をどうしたらいいかわからないからだ。
私が受け取りきれなかった「念」は部屋にどんどん蓄積されていき、
いずれ恐ろしいものに変貌してしまうような気さえする。
ああ、「念」がこわい。
英語で「念」に当てはまる言葉ってあるんだろうか。
もう、しばらくのあいだポストを開けていない。
大事な郵便物も届いているかもしれないが、
同時に大量の「念」も投函されて念でポストがギュウギュウになっているかと思うと、
やっぱりこわくて開けられる気がしない。