一族郎等、新興宗教信者・中編〜お年玉が、ない〜
こんにちは、いつきです。
前回は、いつきの親も親戚一同もみんな新興宗教信者で、
いつき家にはクリスマスが存在しなかった、
という話を書きましたが、
今回はいつき家には「お年玉もなかった」話を書きたいなと思います。
「貧乏になれ」
という教えのハードタイプの宗教を信仰し、
無職の両親の家に生まれ育ったいつきは、
当然ながら「お小遣い」という概念が存在しませんでした。
欲しいものも必要なものもほぼ買ってもらえず、
いつきの所持するほぼ全てのものが、
「お下がり」
によって成り立っていました。
鍵盤ハーモニカとか、
縦笛とか、
学校で使う色々なものに知らない人の名前が書いてありました。
「もう、名前書いてある意味ある?」
というくらい、私の持ち物に私の名前が書かれていることはなかったように思います。
ほぼ全てをお下がりで間に合わせていたため、
年齢に不相応なものを持っているということも時々あり、
いつきは小学校一年生にして真っ赤なショーツを身につけていたりしました。
それは、宗教的に信仰的に大丈夫なの?
仮に大丈夫だったとしても普通の親の倫理観としてどうなの??
と思いますが、当然うちの親は普通ではないのでそんなことを考えるはずもありません。
そんなお小遣いという概念が存在しない家だったので、
他に子どもが現金収入を得られる機会といえば、
お正月のお年玉じゃないですか。
お年玉じゃないですか。
大事なことなので二回言いましたが、
いつき家には、お年玉も存在しなかったのです。
正確に言うと、
親からのお年玉は当然存在せず、
他の親戚や知り合いからもらえるお年玉も、
その場では笑顔で「ありがとう」とやり過ごし、
誰からいくらもらえようとも、
後から親に全額没収されるという、
「最終的に全額没収システム」が採用されていたのです。
意味がおわかりでしょうか?
私も未だにわからないですし納得いっていないんですが、
とにかくいつき家ではお年玉は全額没収システムが強行採用されていたのです。
子どもがどれだけ泣いても叫んでも逆らっても、
少しも聞き入れてくれるような親ではありませんでしたので、
とにかくいつきにとってお年玉は「もらえるけど、もらえない」ものでした。
全額没収されたお年玉は、普通に生活費や何かに回されていました。
そんな家だったので、
「クリスマスプレゼント何もらった?」とか、
「お年玉いくらもらった?」とかいう会話が飛び交う冬休み明けはいつき的には地獄で、
嘘のプレゼントを言ったりお年玉の額を言ったり、
「うちはそういうの、ないから・・・」
と言ってその場を凍りつかせたりしていました。
ただ、全額没収したままというのはさすがにクズ親的にも可哀想だと思うのか、
「一人ずつ千円までのおもちゃを買ってくれる」
という年明けの儀式があり、
「千円で何のおもちゃを買うか」
というのにいつきは全力をかけていました。
どう考えても千円は安すぎますが、
それでも当時のいつきにとっては100万円くらいの価値がありました。
次回、
「一族郎等、新興宗教信者・後編〜誕生日祝いも、ない〜」
に続きます。