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宗教一世の事情

宗教一世の事情
 
山上容疑者が安部元首相を銃殺した時、世間では『宗教二世』というワードが話題になった。親が宗教に狂っていて、子どもにまで信仰を強要し、子どもがうまいこと信者になったらしめたものだが、うまくいかなかった場合、親が異常であることや健全な親子間のコミュニケーションがなされず、二世たちは病みに病んでいく。それは山上容疑者だけではなく、私も例外ではなかった。私は分かりやすくめちゃくちゃ病んでいた。超絶にメンヘラに育った。メンヘラすぎて生きづらい人生を歩んできたし、今も絶賛生きづらい最中でさえある。
じゃあ私が宗教を憎んで、宗教のトップを殺したいと思うかというと、答えはNOである。
だってたかがそんなことで長期間刑務所に入るなんて馬鹿らしいし、絶対嫌だし、殺人はよくないことだと思っているからだ。私は特に善人でもないけれど、極悪人にはなりたくないと思っている。
私は基本的に私の中にある善悪の基準に基づいて行動しているわけだけど、じゃあその基準は誰に作られたものかというと、多分親の教えなんだろうなあと思う。私は無意識に親から教えられたことで自分の中の善悪の基準が構成されたのだとしたら、それは感謝すべきだなあと思っている。だってそうじゃなきゃ、私だっていつかベンツに乗っていた教会の会長を刺していたかもしれないのだ。(余談だが会長はベンツに乗る、豪邸に住む貧乏になど貧乏とは程遠い生活を送った結果、実際別の信者にしっかり刺されるという事件を起こしている。)山上容疑者の親が宗教にかまけて善悪の基準をしっかり山上容疑者に教えなかったのだとしたら、私は教えられただけラッキーだと思う。
何かと過激派でドSの父は、自分の父親(私からしたら祖父)を幼少期に亡くしていて、父親がいないという子ども時代を送った人だった。多分だが、父は、自分の父親の不在によって『正しい父親のなり方』が分からなかった人なんだと思う。分からなくて、不器用で、自分が宗教を信じて幸せだったからこそ私を幸せにしたくて宗教の教えをゴリ押ししたんだと思う。
一方母は天然な人で、
「ふみちゃん!ヤフージャパンがあるってことは、ヤフー世界があるってこと!?」
と世紀の大発見をしたかのように言ってくる母であった。ヤフー世界は、ない。
家族で借りぐらしのアリエッティ(小人が主人公のアニメ)を観ていた時には、
「もしかしてこの子・・・小さいんじゃない!?」
と、物語の中盤くらいになってから『私気付いちゃった!』という感じで言っていた。いや、気付くのが遅すぎるだろ。
そんな母だったので、宗教の教えを私にゴリ押ししたのは特に深い考えがあってのことではないような気がする。自分の家が宗教一家だったから、疑うことなく自分の子どもにもそれを教えたに過ぎなかっただけなのではなかろうか。
両親は宗教バカで低モラルで私を幾度となく傷つけてきたけれど、不器用だったけど、私は愛されていないわけではなかったと今は思う。そして、障害のある兄を筆頭に、五人兄弟を育て上げたという実績もある。極貧の中兄弟を五人育て上げるのは相当大変だっただろうなと想像する。毎日お祭り状態だったと思う。私にはどんな夫を得たとしても五人兄弟を育て上げる自信はない。
私と親はこれまで色々、まあとにかく色々あったけれど、今は親のことをどう思っているかというと、『すげえな』である。感謝しているとか尊敬しているとか、そんな分かりやすい感情もなくはないけど、『すげえな』が一番しっくりくる。だってすごいから。一番上は知的障害があるわ、二人目は難病になるわ、三人目は全身タトゥーだらけになるわ、とてもじゃないが育てやすかったわけはない。
そんなすごい親に、私は今は『出来れば大きな病気することなく長生きしてほしいな』と願っている。
 

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