神社暮らしの夏の思い出
私が暮らしていた神社の夏は、
しょっちゅう虫が大量発生したのをよく覚えている。
ボロい神社は屋内、というにはあまりに隙間がありすぎて、
虫が好き放題入り込んでいた。
部屋の電球には虫が集まり、
(主に羽蟻だった)
私は飛んでいる虫がめちゃくちゃ苦手になった。
子どもの頃、夏は海の近くに住んでいる父親の宗教の知り合いのおじさんの家によく遊びに行って、
海に入ったあとはいつもお風呂を借りていた。
奥さんが振る舞ってくれたカレーうどんがすごく美味しくて、
私たち兄弟はすぐその味の虜になった。
しかし気付いた時にはおじさんは離婚していて、
二度とそのカレーうどんが食べられることはなかった。
夜にそのおじさんの家の庭で花火をした時、
テンションが上がりまくった私は花火を持ったまま庭を駆け回り、
走っている途中で右手に
「バウンッ」
とした感触がして我に帰った。
何・・・?
と思った私の手の先を、
デカい蛾が飛んでいった。
「?!!?!〜〜〜?!?〜〜〜〜?!?!」
私は声にならない声を上げ、
さらに飛んでいる虫が、蛾が、無理になった。
夏は神社の境内で夏祭りが行われたので、
私が勝手に自室にし母が荷物を溜め込んでいた神社側の一室を町内会に明け渡すため、
バケツリレー方式で荷物を住居エリアに運んでいたのだが、
二部屋しかない住居エリアの一室が荷物で埋まり、
残りの一室で七人が寝食しなくてはならず大変に苦痛だった。
神社の夏祭りは神社の規模にしてはまあまあ出店があり、
私たち兄弟は神社の出店のものを一つだけ買ってもらえるのを大変楽しみにしていた。
弟は毎回くじ引きをしたがり、
父に、
「あそこに当たりなんて入ってないからやるだけ無駄だ」
と言われながらも、
どうしても夢を捨てきれなかった弟は毎回くじ引きに全力を掛けていた。
子どもに夢を見させないスタイルの父。
私はくじ引きよりもおいしいものを食べる方がよかったので、
ほぼ魚肉であろうフランクフルトを食べるのが好きだった。
夏祭りの夜は神社の境内でカラオケ大会があり、
町内会ののど自慢達が自慢の歌を披露していたが、
子どもにとって演歌は騒音なので(町内会の人が歌う歌はほぼ演歌だった)、
神社の中で私はただただ
「うるさいなあ・・・」
と思っていた。
父は神社の境内のことを「庭」だと勘違いしていたので、
境内の奥のスペースでよくバーベキューも開催していた。
うちの家族で楽しむだけでなく、
父は親族も招いた大規模バーベキューをも開催していたので、
神社を横切る人は
「境内で何が・・・?」
と思っていたと思う。
幼少ながらにバーベキューは肉がたくさん食べれて毎年の夏の楽しみであった。
虫はめっちゃ来たけど。
父はたしか「肝試し」と言っていたと思うのだが、
父は私たち子どもを、
「真っ暗な夜の神社の神殿に置き去りにして来る」、
という遊びをしょっちゅうしていた。
子どもによって、
泣き叫んだり、
じっとその場を動かなかったり、
リアクションが違うのを楽しんでいたらしい。
私は子どもの頃度々父が出すサイコパスぶりがとても恐ろしかったのだが、
神殿置き去り事件もその一つだった。
父的には
「かわいがり」
ということだったのだろうが、
私は意味不明に夜の神殿に置き去りにされるのはとてつもなく理不尽だと思い、
怖いというよりいつも腹を立てていた。
父のサイコパスぶりは他にも、
「グラグラしている子どもの歯をペンチで抜きたがる」
「化膿している子どもの怪我の部位に炙った針を刺して膿を出させる」
などがあり、
特に歯を抜くことに関しては父は異様に楽しみにしており、
「グラグラしている歯がないかどうかチェック」
の時間がしょっちゅうあった。
そしてグラグラしている歯があったらどんなに子どもが嫌がり、
泣き叫ぼうともペンチで歯を抜かれることからは逃れられなかった。
ある時私の前歯を抜こうとした父が、
どれだけペンチで抜こうと引っ張っても抜けない歯があり、
出血はするし痛くて私は泣きまくるしで大変だったのだが、
結局歯医者さんに行って抜いてもらったら、
2本の歯の根が一つになり深くなっていて、
「これはお父さんでは抜けないわ」
と言って笑っていた。
私は
「あんなに痛い目に遭わせやがって・・・笑い事じゃねえ・・・」
と思っていた。
余談だが、
先日住んでいた神社がどうなっているのか見に行ってみたら、
郷愁に襲われて死にそうになった。
神社は間違いなく私が生まれ育った「我が家」に違いなくて、
私は今でも家の夢を見る時は神社が出て来るし、
境内は私の幼少期の思い出でいっぱいだった。
私は神殿で参拝をして帰った。
参拝しながら私は、
何をかはわからないが、
「愛している」
という思いが胸に込み上げて、
思わず涙が出た。