この国の金融が歪で、これほど経済競争力を失い貧しくなってしまったのは、昔の成功体験から抜け出せなかったのと、人口減少なども含め、政府(と国民)が現実を直視してこなかった結果だと思っている。
そんな現実逃避にも限界がきたのだと思うけれど、それにしても ”正常化” という当たり前の姿に戻そうとしただけで、ほんの少し利上げをすれば株価は暴落し、ゾンビ企業は倒産とか、ずいぶん脆弱な国になってしまったものだなぁ、と思えてならない。
やはり、面倒ごとを先送りしてきたツケは大きいな。
こうして大きく何かを変えようとすると、どこかにしわ寄せがいくのが世の常で、だから ”痛みを伴う改革” なんて呼ばれるのだろう。
国など大きな経済を良くしようとすると、個人単位では不都合な人も現れる。
逆も然りで個人単位で居心地の良いことは、大きな経済で考えると不都合なことが起きたり、マイナスになったりもする。
これはマクロで見るかミクロなのかといった視点の違いで、「彼方を立てれば此方が立たぬ」といったことが往々にして起こる。
不景気だから少しでも安いものを、と消費者が求め続けた結果、デフレが進み産業そのものが衰退する要因となったり。
ちなみに、これを経済用語で ”合成の誤謬” というけれど、それにしても経済用語って、どうしてこんな難しい言葉を使うかね。
どちらが正しくてどちらが間違っているという話でもないと思うけれど、こういった部分最適解が全体最適解にならないことが経済では普通に起こるし、会社やお店でも起こる。
働いている個人、例えば職人さんが職人として正しいことをやっているつもりでも、お店のオーナーや店長、統括するマネージャーからすると困るといった場面は、どこのお店や会社でも経験あるでしょ。
1億2千万人も国民がいて、多種多様どころでないほど仕事や立場、環境があり、それぞれの問題や都合がある中で、みんなに都合の良い最適解なんて到底あるわけもない。小さな小さなお店や会社でさえ大変なんだから。
そう考えると、国というとても大きな単位の政治や金融の舵取りをしている政府や日銀って、すごいなぁと率直に思えてくる。
こんな割の合わない仕事、よくされているなぁって。
国民がそれぞれの視点や自分都合で好き勝手を言えば、その代弁者とでも勘違いしたマスゴミが正義かのような顔をしてすぐに叩くだろうし、自分たちが与党だった時に経済をどん底に落とした実績があるのに、揚げ足取りや反対するしか能がないような野党は本当に煩わしいだろうけれど、石破さんには頑張ってほしいな。
しかし、組閣のニュースを見ると何とも残念な気持ちになったなぁ。
マスゴミや反対することが仕事かと思う野党のように「話しが違う」と短絡的なことは思わないけれど、あの石破さんでさえ権力を握ったら・・・でなく、あの石破さんでさえトップになり政権を動かそうとすると、清濁を併せ呑むしかないのか、と少しばかり落胆した。
7月の植田総裁会見と先日の自民党の政策討論会は、威勢よく政策を述べたものの火消しに走るというお粗末なコントになった。けれどそれによって、彼らの考える ”日本経済が浮上しない原因” が共通した認識であり、そこが本音なんだろうということも見えた気がする。
いずれ近いうちに金利は上げざるを得なくなるだろうし、また仮に雇用流動化などの改革が法的にできなかったとしても、これらの潮流そのものが変わることはおそらくない。誰が文句をいっても止めることのできない ”急速な労働人口減少” という恐ろしい現実と、それに伴うインフレがやってくる。
今後、それらによって利益率や生産性の低い会社や事業所が淘汰されていくのは、もう不可避だと考える。
つづく
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