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リッツ・カールトンで朝食を 2.

※ こちらの内容は、ウェブサイト(現在は閉鎖)にて2016年~2019年に掲載したものを再投稿しています。内容等、現在とは異なる部分があります。ご了承ください。

ぼくは、ホテルに宿泊するといった機会がほとんどない。
プライベート旅行も記憶にないほどなので泊まる機会があったとしても、それは仕事に付随するビジネスホテルであることがほとんどになる。
そのためぼくにはホテル経験値や素養といったものがないに等しく、リッツ・カールトンさんに限らずこういったちゃんとしたホテルへ行くと緊張で肩に力が入り右手と右足が同時に出そうになる。
若い頃は、大人になればそういった素養も自然と身に付くだろうと思っていたけれど、どうやらそうでもないらしい。

そんなぼくがケーキを買いに行くだけとはいえ、ちゃんとしたホテルどころでないリッツ・カールトンさんへ行こうとしていた。
もう敷地内へ入った途端、何もしていないのに警備員に取り押さえられる自分の姿まで妄想してしまう。

さっきからずっとリッツ・カールトンと書いているけれど、正確には「ザ・リッツ・カールトン(The Ritz Carlton)」と言い、頭に「ザ」が付く。
ぼくにはこの「ザ」が頭文字に付くだけで付けない呼び方よりも3割増しくらいエラそうな響きに感じてしまい、それでまた怯みそうになる。
何はともあれ、中に入らないことにはピエール・エルメさんへ辿り着くことも、スタッフを驚かせることもできない。

はじめてリッツ・カールトンさんへ行ったときのこと。
清水の舞台から飛び降り、もう一度上がって二度目を飛び降りたくらいの覚悟を決め、緊張で肩に力が入っていることや右手と右足が同時に出そうになっていることをホテルスタッフさんたちに悟られぬよう、ぼくは涼しい顔をしてホテルへ入った。

なんだこりゃ・・・

思考が一瞬停止し、軽いパニック状態。
入ってすぐ左側にはデパートのインフォメーション程度の小さなカウンター。
まさか、これがフロントということはあるまい。
そしてその空間には、ちょっとしたテーブルと椅子があるのみで360度見回しても入口以外は壁しか目に入らない。

どう見ても入口に見えたけれど、もしやぼくは間違えたのか・・・
じゃあ入口はどこなんだ?

しばらく逡巡した後、とりあえず一度外へ出て別の入口を探してみるけれど、やはり他にそれらしい場所は見当たらない。
もしかするとぼくは緊張のしすぎで、ある筈の扉を見落としていたのではないか?そう思い直し、もう一度同じところから入ってみる。

目前には先ほどと何ら変わらない光景があるのみ。

「テクマクマヤコン・・・」

「ラミパスラミパス・・・」

小声で唱えてみても状況は好転することもなく、いたたまれない気持ちになったぼくは再び外に出ることにした。
存外に手強い超一流ホテルの入口に意気消沈し、今日のことはなかったことにして帰ろうとするぼくの頭の中をスタッフの驚き喜ぶ顔が過る。

「ピエール・エルメですか!?超すごい!大人!」

こじらせ気味な48歳の心境は、キャラ設定14歳そのものだった。

「逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。」

結局、自力でピエール・エルメさんに辿り着けなかった48のシンジくんは、意を決して綾波レイでもなければ葛城ミサトさんでもなく、一番優しそうで話しやすそうなホテルマンを探すことにした。

「すみませーん、ピエール・エルメさんへ行きたいんですが」

声をかけたホテルマンは想像通り感じの良い人で、碇ゲンドウのように突き放すこともなく「ご案内致します。どうぞこちらへ」と終始柔和な笑顔で案内してくれた。
さすが一流のサーヴィスだと思いながらも庶民の本音としては、「そこから入って右を・・・」と言ってくれた方が気楽だったりする。

そんなことを思いながら3度目となる同じ入口を通り、ホテルマンと奥へ歩を進めると、なんと壁が動いた。
ホテルマンが呪文を唱えた様子もないことを思うと、ぼくが壁だと決めつけていた部分は大きな自動ドアだったらしい。まるで隠し部屋じゃないかとたまげたけれど、ぼくは顔色一つ変えない。変わっていなかったと思う。

後日、うちの京都スタッフにこの話をすると、果敢にもピエール・エルメさんへ行ったという勇敢な男子が1名だけいた。
彼も入口がわからず3度出入りした挙句、ホテルマンに訊ねたらしい。

壁だと思っていた庶民の壁(自動ドア)の向こう側は、約30年前ぼくが毎日のように働きに来ていた場所とは到底思えないほど様変わりをし、とてもキラキラとした空間が広がっていた。

 つづく

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