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#005 ルール違反はどうすれば許されるか ~声出し応援と地域の関わり~
「観客は、スタジアムで声を出して良いか?」
コロナ渦でスポーツが再開して以降、あらゆる現場で議論となっている「声出し応援」問題。
この議論は、スポーツという特性上、「敵vs味方」の構図に分かれてしまいやすい。
しかし本来、同じゲーム、同じスポーツを見る者は皆、敵ではなく味方のはずだ。
そこで本記事では改めて、
①なぜスポーツ界は、スタジアムでの声出しを制限しているのか
②なぜ(一部の)ファンは、それでも声を出すのか
③どのような場合、観客はスタジアムでの声出しを許されるのか
について考え、敵味方を越えた理解を生み出すきっかけとなりたい。
(記事にない視点ついては、ぜひコメントやツイートで補足を頂けるとより理解が深まってありがたいです)
入場制限に怯えるスポーツ業界
スポーツは最高の気晴らしだ。
日常と明確に切り離された世界。だからこそ、お互いに全身全霊でぶつかることができる。
もし、日常空間で全力疾走を始める成人がいたら、間違いなく通報ものだろう。しかし、スポーツの世界では、全力疾走こそ歓迎される。
スポーツ観戦も同じだ。
日常空間で急に「ぬぅおおおお!!!!」と喜びを爆発させる成人がいたら、不審者一直線である。
しかし、スポーツ観戦であれば、熱いファンとして歓迎される。
そんなスポーツの世界が、ここ2年ほど苦境に陥っている。コロナ渦である。
コロナ感染が始まった2020年の平均観客動員数は、プロ野球で19年比25%、J1リーグで28%。2021年もほぼ同様である。
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その大きな要因は2点
・行政による、イベントの観客数制限
・ファン個人による、観戦見送り
特にダメージが大きいのが、無観客試合を含めた観客数制限だ。
これをされてしまうと、チームの営業努力ではどう改善することもできない。
スポーツ界がルールを独自に設ける最大の目的は、この「行政による介入を最小限にする」ことと言えるだろう。
ルールの目的は何か
ではそもそも、なぜこの世の中にはルールがあるのか。
それは、その共同体で暮らす人々にとって、そのルールが益となるからに他ならない。
逆に言うと、そのルールがないと、その共同体は何かしらの不利益を被るということになる。
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では、そのルールはどのような益を目的としているのか。もう少し分解すると以下のようになる。
・共同体を、何かから、守る
・共同体の、何かを、促進する
では、スポーツ界が設ける「声出し禁止ルール」は、何を守ろうとし、何を促進しようとしているのか。
そのヒントとなるのが、J.Leagueが掲げた声明である。
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この声明によると、J.Leagueが声出し禁止ルールで守ろうとしているのは、ホームタウンの安全。促進しようとしているのは、Jリーグのある風景、である。
冒頭の話と合わせると、スポーツ界が声出し禁止ルールを設ける目的は
①ホームタウンの安全を率先して守ることで、
②行政からの介入を最小化し、
③Jリーグのある風景を促進する。
ことであると推測できる。
※プロ野球側の声明は明文化されていない。しかし、プロ野球とJ.Leagueは足並みを揃えることを公にしており、おおよそ同じポリシーと考えて良いだろう。
お客さんは誰なのか
一方で、スポーツ観戦に感情の爆発は欠かせない。
良いプレーには、しっかりと「ナイスプレイ!」と声援を送る。それが、観戦の醍醐味であり、選手にとっても大きな励みになるだろう。
自分の愛するリーグやチームが定めた、声出し禁止のルール。それを破ってまで声を上げようとする観客の主張は、およそ以下の2点に集約される
①声を出しても、感染リスクは変わらない
②仮に感染しても、気にしない(「他ではやってる」も含む)
①に関しては、専門的な問題なので主張も反論も難しい。
大きなすれ違いを生んでいるのは、②の主張である。
繰り返しになるが、スポーツ界が規制を設ける目的は、
①ホームタウンの安全を率先して守ることで、
②行政からの介入を最小化し、
③Jリーグ(プロ野球)のある風景を促進する
ことであった。
ここに、観客のメリットは含まれていない。(少なくとも直接的には)
言うなれば、チームやリーグにとってのお客さんは、観客ではなく地域である。
しかしこれは決して、観客をただ無下にしているわけではない。
では観客は何かというと、地域からの信頼を得るために、チームとともに歯を食いしばってくれる身内である。
コロナ渦での興行開催がもたらす影響をイラストにすると、以下のようになる。それぞれの立場が考える影響の範囲、そして眺める視点の向きが、意見の食い違いを生み出している。
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以下の写真で浦和レッズサポーターが掲げた中央の横断幕に、身内扱いされてしまったサポーターの悲痛がよく表れている。
「スポーツの客は、他でもない、我々観客である」という主張だ。
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どうなれば、観客の声出しは許されるのか
結びの前に、声出し応援に対する双方の主張を今一度整理する。
規制側
①ホームタウンの安全を率先して守ることで、
②行政からの介入を最小化し、
③Jリーグ(プロ野球)のある風景を促進する
推進側
①声を出しても、感染リスクは変わらない(本記事では触れない)
②仮に感染しても、気にしない
③スポーツ界の客は、地域ではなく観客である
このように整理すると、大きな論点が一つ見えてくる。
「スポーツに、地域はどれほど必要か」
もし、地域の協力を必要とするのであれば、地域からの信頼は必須となる。
そうなると、観客はそのスポーツにとって、唯一の顧客ではない。声出しも、自身の判断ではできない。
文化も利害関係も異なる相手と、共存する覚悟が必要だ。
一方、地域の協力を必要としないのであれば、地域の信頼も不要だ。
そうなると、観客はそのスポーツにとって、ほぼ唯一の顧客だ。
文化も利害関係も異なる相手と、共存する必要はない。声出しも、自身の判断でできる。
しかしもちろん、観客の金銭負担は大きく跳ね上がるし、ホームタウンを持たずに日々全国を転々とするサーカス経営のような覚悟は必要だ。
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まとめと最後に
超圧縮まとめ
・声出し規制の理由は、地域行政からの介入を防ぐためである
・声出し推進の理由は、地域行政より観客の興奮を優先すべきだからである
・論点は、スポーツにどれほど地域行政の協力が必要か、でなる
本記事では、敵味方に分かれやすいこの問題において、両主張を共に支持できるよう配慮しました。
そして、声出しの問題から数歩踏み込んで、より共通した論点を提示することに努めました。
当然、この記事では提示できていない、別の視点もあることかと思います。
気になった点や補足などは、本記事のコメント、またツイートなどでご意見を頂けると、より理解が広がり助かります。
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