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私がアメリカで幼稚園の先生になれた理由 その2

こんにちは、スロース英語教室のNaoko (itsumi) です。
今日は自分の英語歴についてお話します。


前回までのお話はこちらです。

高校まで:中学から発音記号と一緒に英語を学ぶ、シャイな性格、スピーチ大会出場
浪人時代:パズルをはめ込むような英文法を予備校で学ぶ

という学生時代でした。


英語即興ディベートにどハマりする(大学)


ではここから大学時代についてお話します。
受験勉強から開放されましたが、英語がしゃべれると世界が広がる!と思っていた私は大学に入っても英語系のサークルに入りました。


そこで出会ったのが「英語即興ディベート」です。英語ではparliamentary debateと言います。

このゲームについての説明をperplexity AIに作ってもらいました。

英語即興ディベートは、楽しいゲームみたいな言葉の勝負です!
想像してみてください。

2つのチームが突然渡された質問について意見を戦わせます。
面白いのは、チームメンバーは自分が好きな意見を選べないこと。
くじ引きのように、肯定側か否定側に分けられるんです。
つまり本当は「そう思わない」意見でも、一生懸命その立場を説明しなければいけません。

例えば「学校の休み時間を長くすべきか」という質問が出たら、賛成・反対の両方のチームが、相手を納得させるためにとても上手に理由を話します。
審判の先生は、どちらのチームがより説得力ある意見を話したかを決めます。

このディベートを通じて、子どもたちは考える力、話す力、そして相手の意見をしっかり聞く力を身につけることができるんです。

このゲームの細かいところは置いておいて、「私が」この活動の何を面白いかと思ったかを書きます。

「英語」
「今まで自分でも考えたこともないことを即興で7分間みんなの前で話すワクワク」
「知らない人でも話がかみ合う、お互いの人格否定にならない」

という3点でした。


幸い同じ時期に、私と一緒にこの活動に取り組んでくれる仲間がいました。
彼らと授業のないとき、空いた教室に集まってはお互いのスピーチを聞いたり改善すべきところを指摘しあったりしていました。



私も含め全員同じくらい下手くそだったので、指摘しあっても仲が悪くなったりしません。
全員同じくらい下手で、同じくらいやる気がありました。
彼らは今でも私の大切な友達です。


アルバイト以外の空いている時間はほぼ練習に費やしていました。
当時自分の大学内でこの活動をしている人が少なかったので、自分より経験のある人たちの話を聞きたくて、毎週末夜行バスで東京に行ったりしていました。
2週間東京で泊まりこみの合宿に、一人関西から参加したこともあります。



他にも道を歩きながら英語で街の様子を実況中継したり、カセットテープ(!)に自分のスピーチを録音してあとで聞き直し、より良いスピーチを後で考えたり地道な活動をしていました。



「Pros and Cons」(社会問題の賛成と反対のポイントをコンパクトにまとめた電話帳みたいな本)を読んで、賛成理由や反対理由を整理し、それを自分なりの具体例も加えながら英語に翻訳し、キッチンタイマーを片手に時間内にスピーチが終わるように鏡の前で一人で練習していました。



引っ込み思案の私は、人前でパフォーマンスが下がるのだから、自主練の出来を上げるしかないという現実ににぶつかったのです。
即興のスピーチが好きなクセに人見知り…という矛盾した性格なので、どちらかを努力で埋めるしかありません。
私は自分が納得したら、人目を気にせず取り組むという特性があります。

アジアやオーストラリアのチームとの国際試合にも参加しました
現地では発音がヘンだ、子どもっぽい論点だ、って笑われ悔しい思いをしたこともありました。



でも仲間と励まし合ったり、
「発音だけに騙されるな。ペラペラの薄い理由しか言えてないチームも多いぞ」と思うようになってきて「外国人コンプレックス」がなくなってきたのもこの頃です。



もちろん私たち日本チームのスピーチをバカにせず真摯に試合をしてくれる外国チームがほとんどでしたし、
「外国人も性格のいい人と悪い人がいる」
ということを理解しました(笑)




試合後は和気あいあいと話したり、レセプションでスモールトークをしたり、異文化体験が沢山ある活動でした。
願わくばチームメイトとして外国人のメンバーが欲しかったですね!
思いつく理由ももっと広がりが出たでしょうし、試合も楽しくなっただろうなと思います。


つまりこのエピソードで何を言いたいかというと、

「仲間ができた(一人で進める受験勉強からの転換。ディベートはチーム戦)」
「一人で基礎練もやった」
「憧れのスピーカーに会いに行った」
「そうしたらある程度引っ込み思案は解消した」
「外国チームとも試合をした。外国人コンプレックスがなくなった」

ことが大きく変わりました。



TOEICや英検の資格勉強も一応しましたが、学生時代を最後に英語をやらなくなってしまいました。
気軽に英語で話す場所が卒業後はなくなってしまいましたし、中級者の伸び悩みにも直面しましたし、社会人になってそれどころではなくなったわけです。


それでもそれから10数年たっても、英語でパっと相手の会話に割って入る、話を展開する、分からないことはとりあえず聞いてみる、などの能力はかろうじて残っており、アメリカ在住時の縁(私は元々娘の幼稚園の保護者でした)をつかんで幼稚園の先生の仕事にありつけたというわけでした。


次回予告(塾講師、職歴は大事)

短くしようと思っていたのに長くなってすみません。
「幼稚園の先生になれた理由」という切り口なので、職歴が決め手だったという話を次回します。
それがたとえ2-3年だったとしても、です。
「やっている」と「やっていない」は大違いなのです。


正直アメリカに行くまで、この塾講師時代は私にとって輝かしい時代ではなく、説明が難しいです。
ただ人生の棚卸しと、「人間が成長すること」への自分なりのスタンスを生徒さんたちに説明する必要はあると思い、このシリーズを書いています。



全3回か、長くて4回くらいになる予定です。
よろしければお付き合いください!


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