「何もしない」を、恐れるな
まえがき
こんにちは。今年で大学4年になる高田一輝です。
去年の夏まで1年ほどドイツの大学に留学し、トリーアというドイツの西の小町でゆったりとした生活を送っていました。
留学後は日本の大学に復学し、この前の3月に就活を終え、現在は大学のある熊本で残りの大学生ライフをゆったり楽しんでいるところ。
そんな生活をしながら、最近ふと思ったことがある。
それは
「同じ日本でも、同じ熊本でも、留学前と留学後で生活スタイルが変わったな」
ということ。
天気がいい日は散歩をするために自転車で川まで行ってみたり、
夜のベランダに椅子を置いて物思いに耽ってみたり、
何のタスクをするわけでもなく近くのカフェに行ってみたり。
特にこれといって目的は持たない
ある種「何もしない」時間を
意識して、過ごそうとしている。
そこに不思議とネガティブな感情はなく、むしろ何とも言えない充実感を得ている。
そんな気がしている。
「何もしない」という考え方
突然だが、皆さんは意識して「何もしない」ことはあるだろうか。
本当に何もしないということは不可能だが、ここでいう「何もしない」とは、部屋で目を閉じて瞑想をするようなこともあれば、単にぶらぶらしたり、周囲を眺めたり、散歩をすることも当てはまるだろう。
それはどんな形でもいい。
ただそこに「目的」がない限り。
唯一の目的は「何もしない」ということだけだ。
少なくとも、何かを達成したり生産性を高めるために行うものではない。
自分の感情を素直に感じるために、そしてその感情を自由に表現できるように。
日常にそのまま溶け込むようにただぼーっと、自らの思考を整理し、自身の感情から哲学を引き出すための「何もしない」時間である。
後天的に得られる意義を考えるなら、そんな感じだろう。
よく間違えがちなのが
「仕事で生産性を上げるため」「何か目標に近づくため」にこれを行おうという意識。
それは全く必要ない。
結果的にこの行いが生産性や目標に近づくのかもしれないが、それはそういったことを度外視してやったから、なんの目的も設定せずにやったからこそ
本来の意義となる。
日本に生きていてよく感じるのが、
「生活を充実させるためにスケジュールを埋めて忙しくありたい」
「どうにか過ごす時間を生産的にしないと」
「何かをしていないと落ち着かない、怖い」
と考えている若者が多い、特に東京のような大都市ではそんな印象を受ける。
あまり日本を下げるような論調にはしたくないが、意識的に「何もしないこと」を作り出す同世代の友人を正直日本であまり見ない。
逆にドイツにいた時は、ただ日光浴をするために川沿いに行く友達や、家のベランダでコーヒーを飲みながら物思いに耽っていたルームメイトがいたことを思い出す。
ドイツで友達に「今日何するの?」「今何してるの?」と聞いた時に
“I’m just chilling”
と友達が時々答えるときがあって、そのフレーズがたまらなく好きだった。
日本語だとこのニュアンスと全くイコールなフレーズって思いつかないな。
まあでも実際、忙しく、常に動き、自身の目標に向かってただ突き進むこと自体は素晴らしいことであり、ある種そういう何かに熱狂した状態が僕らの理想形の一つでもある。
だからこそ、そういった成長思考、上昇思考、加えて「友達が多く常に交流をしていること」「できるだけ多くの人から好かれているということ」がある種社会のステータスになっている大都市の生活では、ただ自分と向き合う「何もしない」時間は、それらのステータスを軸に考えるとネガティブな印象すら与えてしまう。
ただ、自分としてはそういった「自分と向き合う余白」を作ることはどんな人にとっても必要だと捉えている。
ここから少し具体的な話をしていく。
真の「自分」とは?
自分はさまざまなコミュニティに所属している。
東京のメディア企業が運営する学生コミュニティもあれば、大学の軽音楽部、留学生とのコミュニティ。
それぞれのコミュニティに足を運んだ際に、それぞれ違った影響を受けている。
東京のコミュニティにいる時は「成長しなきゃ」「無駄なことはやっちゃダメだ」と強くインスパイアされるし、大学のサークルにいれば「無駄なことにこそ意味がある」「結局人生って暇つぶしだよな」と思わされるし、留学生とのコミュニティにいると「無駄なことなんて何一つないな」と思ったりする。
何が言いたいかって、結局人は「自身の所属するコミュニティの中で見つけた自分らしさ」については考える機会がいくらでもあっても、自身が「個人」になったときの自分のあり方、自分らしさを見つめる機会が圧倒的に少ない。
自分ももうすぐ東京に移住するが、特に忙しい東京にいると、「何もしない」という内省のための時間と場所は、自分で意図的に作り出さないと絶対的に日常で生まれない空間である。
身を置くコミュニティによって揺れ動く価値観を抱いた自分は
「もっと自分らしさをしっかり見つめ、まず自分を確立してから人と関われる人になりたい」
と少し前に思った。
これから社会人になるまであと約300日ある中で、自分の体に「何もしない」習慣を染み付けさせられるように。
そして何よりも、社会人になって、東京に住み、多忙になったとしても、
この思考を忘れないように。
そう願っている。
だが実際、ある種もう自分らしさを確立しきっている(と思い込んでいる)人にとっては、このような生き方の提案は必要皆無に感じられるだろう。
でも仮に、そういった人の「行動指針」はキッパリ定まっていたとしても「なんのためにこうありたいのか」という"Life Purpose"を持つことはまた別の話であり、それはいかなる優秀なインフルエンサーでも、起業家でも、人生を生きている限り常に揺れ動き続けるものであると思っている。
だからこそこうやって、定期的に自分を見つめる時間・空間を作り出すことは、重要なほかあるだろうか。
魔法の言葉、"Niksen"(ニクセン)
少し話は逸れるが、数年前ヨーロッパのビジネス界隈で有名になった単語で「niksen(ニクセン)」というものがある。
これはオランダ語で「何もしない」を意味する動詞で、文字通りに「何もしないこと」「目的なく何かをすること」でストレスを軽減する、というもの。
実際にヨーロッパでも仕事のストレスによるバーンアウト(燃え尽き症候群)が増えている現状もあるらしく、それに対処するためのコーチングなどで使われている手法だ。
オランダの研究者ハミング氏によると、オランダでは歴史的にニクセンは怠け者、あるいは生産性の反対者として軽視されてきたという。
しかし、米国だけでなく世界中でストレスレベルが上昇し、燃え尽き症候群などの深刻な健康への影響が医学界からますます認識されるようになっているため、何もしないことがストレスと戦うための前向きな戦術として枠組みされることが欧米では最近かなり増えている。
日本で「何もしない」と検索しても、このような趣旨のページはあまりヒットしないが、この”niksen”という単語でググると、”niksen method”を紹介するさまざまな英語サイトが出てくる。
かの有名なイギリスのメディア”BBC”もニクセンの特集をしており、いかにヨーロッパでこういったトピックを取り上げられることが稀有なことではないかも見て取れる。
もちろん欧州とアジアは労働文化が大きく違うし、それに伴った生活文化や人々の思考法にも大きな違いがある。
先ほど紹介したサイトでも「ニクセンを行う最適な場所」としてビーチや砂丘、広い公園が挙げられているが、そういった場所がヨーロッパの街中には日本に比べ多いということも、押さえておく必要がある。
だからこそ、ヨーロッパの人にとってはなんら特殊ではない、こういった考え方を、この日本に住む日本人として取り入れることに大きな価値があると自分は思うのだ。
今現在テクノロジーが急速に発達し、最近だとAI技術が、人間がこれまで行ってきた単純作業を不要なものに変えていたりする。
だからこそこれからの僕らに求められていくものは、
個人単位での「創造性」「クリエイティビティ」なのではないか。
「何もしない」ということは一見「何も考えてない」「何も創出していない」ように思えがちだが、幸せについて研究するオランダの社会学者フェーンホーフェン氏はこう話す。
このように、むしろ「ニクセン」をした方が、創造性が向上する可能性もあるとも考えられるのだ。
子供の頃から自分の中の「神」的存在であるMr.Childrenの桜井和寿も
「最高のメロディが浮かぶときはいつも、何かメロディをどうにかして考えようとスタジオにいる時ではなく、お風呂に入っていたり、散歩をしている時だったりする」
とどこかで話していたことを思い出す。
自分もミュージシャンとして音楽を作るのだが、意識して「曲を書かなきゃ」と思った時よりも、朝起きた時とか、一人で散歩している時とか、飲んだ後の帰りとかに良いメロディを口ずさめたりするから、これには共感できるし、実際にニクセンの効果を享受できているといえる。
また自分は一人旅など、一人で行動することが割と多いため、旅先などで色んな思考を巡らす機会は凄く多い。
今考えるとそういう時間を自然と作れていることはよかったな、と思っている。
さいごに
「何もしない」と考えると少しハードルが高くなってしまうかもしれないが、週に一度スマホも持たず散歩をしてみるとか、休みの日の午後にとりあえずノートを持ってカフェに行ってみるとか、なんの予定もなく公園に行き、日陰でゆっくり物思いに耽る、みたいな時間をぜひ意識的にとってみるといいかもしれない。
何も目的を据えていない時間のその先に何か、真の自分らしさが、素敵なひらめきが、人生の目的が、そっと見えてくるはず。
きっと。
とはいえ、人それぞれベストな生き方は異なる。
だからどのようなやり方が自分に合っているか、それを確かめるメソッドの一つ、とくらいでこの話を受け取っていただきたい。
ただ最後に、一つだけ。
「何もしない」を、恐れるな。
2023.06.07