一年の留学を経て今、強く思うこと
留学生活でこれが一応最後の旅行、ハンガリー旅の3日目。一通り観光も終えてスタバで寛ぎながら一人、久々に文章を書く気になった。(他にやることがなかったのもあるが)
行きたい観光地にある程度行き終えればそれ以上無理に観光したりはせずその街のカフェでゆったり時間を過ごしたり、公園でボーッとしたり。その場所に住んでる人のように旅をしたい気質は日本にいる時から変わっていない。
留学
ちょうど今から1年ほど前。目標だったドイツの大学に入学することに決まった。当時は自分の不手際もあり渡航ギリギリまで入学許可が貰えなかったりとヒヤヒヤする状況だった。それでもなんとかドイツに行くことができ、家も決まり、授業も受けられて、心底安心していたのだが、今思えばなぜ自分はあのときそこまで留学を実現することにこだわっていたのかなと思う。
もちろん沢山理由はあったし、探していた。
このまま英語があまり話せないまま大学生活を終えることが嫌だったり、日本しか知らずに社会に出ることへの怖さだったり、社会人になってから留学をやることは少し難しかったり、知り合いが留学に行ってる様子を見て少し羨ましかったり。
でも、もっともっと根本的に、どんな事象からその理由が引き起こされるのだろうと考えると、それは「自分の自信のなさ」にあったのかもしれない。
小学校中学校はある程度周りの友達ともそこまで経験の差がない、またはそれが見えづらい中で生きてきて、友達もちゃんといたし、楽しいこともあったし、成績も良かったし、ある程度自分を肯定しながら、自信を持って生きてこられた。
高校
だが、高校の3年間が自分の自信を揺れ動かしたような気がしている。中学卒業当時の成績がそれなりに良かったことで高校の難関大進学クラスに入り、高1当初はそれなりに成績が良かったものの、次第に数学など授業についていけなくなり、成績は低下。
中学時代はほぼ通っている塾の勉強だけで好成績を残せていたこともあってか、なかなか自分自身でこの状況を打開する活路が見出せなかった。
気づけば高2の頃にはクラス最下位レベルまで成績が落ちてしまい、当時の三者面談で担任に「別府(高校の所在地)の坂道を走って下るかのように彼の成績は落ちてますよ」と言われたのを今でも覚えている。
苦労したのは勉強だけではない。部活も中学の頃楽しかったこともあり高校でもサッカー部に入部したのだが、ここでも大変だった。高校のサッカー部にもなると中学時代ある程度活躍していた人や、クラブチームでやっていた人ばかりが入部するし、当然部員も増える。中学からサッカーを始め、かつ中学時代も一度もレギュラーになれなかった自分は、正直、50人ほどいる部内でダントツ最下位の技術レベルだった。
週末に開催される試合ではバスに乗れる25人ほどしか試合に帯同出来ないため、試合に出ることはおろかベンチにも入れず、3年間で一度も試合に帯同出来なかった。練習も楽なものではなく、少し厳しい先輩と紅白戦の練習でチームメイトになり、自分がミスをすると、通りすがりに舌打ちをされるような日々が続いた。元々技術に自信がなかった自分が精神的にも余裕がなくなってしまい、ボールを受ける事すら嫌になっていた時期もあった。
仲のいいチームメイト、練習試合で自分のゴールを喜んでくれる仲間もいたから辞めるほどではなかったが、3年になって部活を引退した時、やはり試合に帯同出来ずに3年間を過ごした事で、皆と思い出を共有できなかった寂しさを抱えながら引退した事は少し切ない。
環境のせいにすることは良くないとわかっているのだが、高校の時の自分は客観的に見ても勉強、部活を始め、恋愛でも全く上手くいかないまま3年間を終え、しまいには大学受験も失敗してしまった事で、知らずのうちに自分の自己肯定感や自信は、かなり落ちていたと思う。
大学
大学に入ってからもそれを引きずり続けた。憧れていた関東や関西の都会での大学生活の夢は途絶え、本来考えていなかった熊本の大学に入学することになった。もちろん浪人するという選択もあったが、その時の自分はその選択を出来る気力がなかったように思える。
入学準備をしてくれた親にありがたいとは思いながらも、いざ熊本についてみると気持ちは全く上がらず、無理矢理上げようと新歓に参加しまくったりサークルに行こうとしたりしたが、どこに行ってもその雰囲気に馴染めず、対して気の合う友達も出来ず、SNSで都会の大学に行った同級生の投稿を目にするたびに「俺はなぜここにいるんだ」と自分を責め、病み続けた。
大袈裟すぎるかもしれないが、夜中突然目が覚めて自分が熊本にいるコンプレックスが一気に自分の頭を包み、病みまくるということも多々あった。これを打開するには大学を受け直すしかないと踏み、夏休み後、東京の大学に行くため再受験に向けた勉強を始め、仮面浪人受験をしたほどだ。(結果は不合格だったが)
そんな中で大学2年になり、もう流石に割り切ってこの環境で大学生活を充実させようというマインドにようやくなった中、自分が希望を感じたキーワードがまさに留学だった。
“留学に行って、海外の大学に行って、旅をしたり、英語で友達を作ったりすれば、今のコンプレックスを抱えた、自信のない自分を変えることができるかもしれない”
大学1年の生活で唯一楽しかった経験が夏休みに参加した、留学生と交流できる”English camp”だったこともあり、留学にかなりピンときていた。
熊本の大学の規模の問題もあり、親を納得させ、留学をできる手段が中々見つからなかった中だったが、2年の秋に
「ドイツの大学は正規で入学すれば学費は無料、英語での留学も可能」
という情報に辿り着き、そこにかなり希望を見出したことは今でも覚えている。
今こうやって思い返せば、高校時代から続いてきた自らの自信のなさや自己肯定感の低さを取っ払い、他者への羨みを晴らすべく、留学したいと思ったんだなとも感じる。
一年の留学を経て
そして今、留学を終えて一年。
自ら積極的に様々なことにチャレンジした。
引きずり続けた自信のなさは、自己肯定感の低さは、留学による環境の変化や心身の充実、さまざまな刺激がもたらす考え方の変化、によってだいぶ消え去った。しょうもないことで自分と他者を比べ、無駄に人を羨むこともかなり減った。そして、それと同時に大切なことに気づけた。
それは、「自分が得意で夢中になれるものにとにかくこだわり、打ち込む」ことの大切さだ。
いくら留学をしていても数学的な要素が沢山ある経済学は全く出来なかったし、楽しくなかったし、単位も取れなかった。それと同時に留学先で出会った「しっかり自分の事を理解した上でやりたい事を見つけ、それを極める為に大学に入った」という友達や生徒の数々。どうしてもやりたい生物の研究があってわざわざドイツに来た人、音楽のプロを小さい頃から目指しており、自身のスキルやセンスを極めたくてドイツに来た人。今の自分に足りないのはこんなことなのではないかと、悟った。
「都会への憧れで関東の大学へ行きたい」
「自分の大学生活を肯定するため留学したい」
「他者への羨みを晴らすために色んな経験をしたい」
思えばそんな、周りを意識したような、とりあえず手っ取り早く自分を納得させるような、そんなしょうもない動機ばかりでこれまで自分は動いていた。
そんなことにすらこれまでの自分は気づいていなかった。
もっとしっかり自分を見つめて、これまでの人生を振り返って、自分が好きで、ワクワクして、夢中になることができて、他者にワクワクを伝えられることができ、何より得意で持続可能な事は何か探さなきゃいけないと悟った。
俗に言う「軸」のようなものなのか。
音楽
留学中や、留学中の一時帰国中に色々考えた中で、常に共通のワードとしてあったものが「音楽」だった。
勉強もそこそこ、運動のセンスもそこまで昔からなかった中で、音楽だけは小さい頃から多少の才能があったし、高校の頃一番楽しかった経験も、文化祭でピアノを弾き、バンド演奏をして、友達に「楽しかった」と言ってもらった経験だった。
留学に行って、これまで当たり前に自分の隣にあったピアノに触れられなくなり、定期的に趣味で行っていたアーティストのライブにもあまり行けなくなった事で、自分はかなり音楽に飢えていたという側面もあった。
別に何か一つのことにかける必要はないのかもしれないが、何か一つ自分の行動軸を見つけ、まだ見ぬ世界に向けて、その世界を見てみたいと強く思え、それに向けて自分を磨いていきたいなと思える事を見つけることが大切だと悟った自分は、それが音楽だと完全に認識した。一時帰国時に音楽関連で起業をしようとしているとても優秀な人と運良くお話しできる機会があり、その時に自分の音楽への熱意についてその人から何度も問われ、そこで自分の秘めたる思いを理解できたと共に、音楽への熱が再発したということもある。
何はともあれ、音楽だ。
少し音楽より楽しいような、将来稼げそうな、親とかからいいねと言ってもらえそうな、可愛い女の子から自分に興味を持ってもらえそうな、Twitterでいいねが沢山もらえそうな何かが仮に見つかったとしても、それがちっぽけに思えるだろうという熱意や目標が今の自分にはあるし、そのくらいの気持ちを意識的に持とうとしなくても夢中になれるものだと認識している。
世の中には自分より音楽のセンスがあって、小さい頃から音楽の英才教育を受け、音大に行き、プロレベルの技術を身につけ、夢に向け毎日努力しているような人が星の数ほどいる。そんなことはわかっている。でも、そんなことは関係ない。と言い聞かせる。
自分だけが表現できる世界、自分の成長、音楽を通じた他者との関わり。もしかしたら自分の出演するライブに友達や色んな人が来てくれる。とか。
まだまだこれから見てみたいものばかりがここには詰まっている。やらない理由がない。
今まで自分の人生が沢山の音楽によって彩られてきたように、誰かの人生を彩れるような、そんな音楽を作りたい。
ただ、音楽は実際手っ取り早くお金が稼げるジャンルではないし、稼げるようになることの方が稀だ。それでも生涯を通じてやりたいと思えるからこそ価値があるんじゃないかとさえ今は思えている。お金が足りないならそれはまた手段を見つければ良い。
今はまだ海外にいるため具体的なアプローチは出来ないが、日本に帰っていいスタートが切れるよう東京の音楽教室にも申し込んだし(キャンセル待ちなので行けるかはわからない)、今も色々新しい曲のイメージを膨らませたりしている毎日だ。
だから、海外という刺激的な環境から、これまでコンプレックスを抱えながら生活してきた日本の大学に戻ることが決まっているのにも関わらず、今はワクワクに溢れている。なんならドイツに残る選択もあり、一時期はドイツに残るか日本に帰るか迷っていたのだが、音楽が日本に自信を持って帰れる決め手になったほどだ。
同じ事をこれから続けていく中で、制作の中で生じる孤独だったり、何らかの理由で嫌気が刺して一時的に音楽を辞めたくなる日だったり、もしかしたらやって来るかもしれないが、これまでそんなことは実際ほぼ無かったし、もしそんなことがあった時はこの日記を読んで自分を見直し、またその都度気持ちを切り替えて再スタート出来るだろう。
きっと。
さいごに
英語が上達した事、たくさんの経験ができた事、海外に友達ができた事、留学を経て得たものは沢山あるけど、何よりはこの刺激的で様々な選択の迫られた、高いレベルの異国の環境に1年間身を置き、様々な感情を抱き、自分を考え、分析し、見つめ直すということができたことに最大の価値があると今は感じている。
音楽は決して言葉だけで伝えるものではないし、ただ文字でお気持ちを表明しているだけのことに何の価値もない。だからこそ、音でそれを伝えられるように、自分の気持ちを表現していけるように、日本に帰って沢山音楽に触れ、行動して、沢山時間を割いて、この日記が改めて意味をもてるものだなと思えるような、そう思われるような音楽を、少しでも早く、奏でたいな、届けたいなと、今は強く思っている。
2022.08.25