見出し画像

【私のカメラ人生】 episode,0

こんばんは。宮崎です。
執筆現在、ワイン屋しゅんしゅんに「イツキは今カメラを振り返った方がいいよ!」と熱弁されています。
自分の人生のカメラを振り返るシリーズ【私のカメラ人生】 episode,0ということで人生と共に振り返ってみます。
思い出語りになるので、ゆるりとお付き合いください。


ー カメラが好きな父方の爺さん ー

爺さんはアメリカで仕事をしていました。なんの仕事かはよくわからないけど。
収集癖、日曜大工、車好き、カメラ好きと、今では自分を鏡に映したような人でした。老後は市の発掘の仕事をしていて、たまに鏃や縄文土器の破片を持って帰ってきたりしていました。
そんな爺さんに借りていたカメラは

Nikon F65

です。レンズはなんだっけな。
恐竜展に行った時にガラスケースに反射するストロボに苦戦したのを今でも覚えています。さすがにアルバム出すのは面倒でした。またいつか。

まだ部屋にあった。

おじいちゃんの防湿庫は叔父の部屋にあり、専門学生になった頃防湿庫ごと部屋に持ってきました。
AsahiflexやMinolta SR2、CONTAX T3、Canon Autoboy D5などが出てきた記憶はあるのですが、他はどうだったろうか。

CONTAX T3

トーテムポールでミソンさんの展示に行った時かな、違うか

Canon Autoboy D5

Minolta SR-2


すぐ部屋から出てきた。

経年劣化ものが多く、この時すでにレンズやカメラ本体を分解し始めました。そしてこの頃、カメラを始めたと父母が言いふらしたおかげもあって、さまざまなカメラが自宅に届くようになりました。

Yashica-D

母方の爺さんのもの。これで渋谷川に潜入した。

TOYO-VIEW

この時1ホルダー分のポジしか撮ってない

Hasselblad 500C/M + Phaseone P30

中判デジタルをこの頃使えていた環境の良さ

初めて買ったロシアンレンズ INDUSTAR-61L/Z 50mm/f2.8
買ってすぐに分解修理、とうとう先日また壊れた

最初はカメラをたくさん持っていればプロなんだ、色々なカメラでかっこいい写真を撮っている自分がかっこいいのだ、くらいにしか思っていませんでした。
この時に「カメラは自分が持って撮るから意味がある、カメラに撮らされている自分からの脱却」と気づいたことに感謝してEp,0は締めさせて頂ければと思います。

やっぱり家族が持っていたカメラは、まだ大切にとっておくべき時代です。
すぐ売りに出したりせず、一度フィルムを巻いてみるのもいいですよね。

これまだEp,0なので。この続きが気になる方はスキとフォローと、メンバーシップとかやってくれてもいいんですよ。高い方はニヤけてるので、みてみて下さいね。

おやすみ。

いいなと思ったら応援しよう!